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11月20日(水)私は多重人格??
続きです。
私は、明るい自分から、いつもの自分に切り替えて、訪看の電話を切ろうとした。でも、変われなかった。役割を演じてるはずが、その役になってしまったようで…焦った。自分じゃない誰かに代わって欲しくて探した。頭の中で、帽子が4つ並んでいた。白とグレーの縞々帽子をかぶったら、まだ混ざってはいたものの、交代で来た。私は、生まれて初めて、人格交代したのかもしれない。とりあえず、電話は切った。記憶がないと思われたのか、丁寧に説明されたのは笑えた。記憶は繋がってますよ。
母に電話して、このことを話した。母が嫌いな自分は怒っているが、身に起こった出来事で、不安だったんだと思う。「不思議な世界だね」って言われた。
私は昔から、役を演じていた。人、場面、状況によって、どの役が適切か考えて、演じていた。一日一人しか会わないわけじゃないから、頑張って役を切り替えながら生活していた。そのうち、考えなくても自然に役を演じられて、自由に色んな役を切り替えて演じられるようになった。その状況が10年以上も続いて、私は、私という人間を見失った。”私”という役しか見つからなくなってしまった。
これが既に、軽い解離性同一障害だったのかもしれない。
今日は、OD後の明るい自分から、電話を切るために、いつもの自分に切り替えようとした。でも、出来なかった。解離しても、出来なかった。体が乗っ取られて、それがもう、私になってしまったように感じて、とてつもない不安に駆られた。DIDの友達の、内界の話を思い出して、自分も誰かを探しに行った。そしたら交代できた。
ここからの内容は、DIDの方には失礼な話をぶっちゃけます。先に謝ります。ごめんなさい。
昔から、自分の中に、自分じゃない友達がいればいいなと思ってた。自分を褒めてくれて、話し相手になってくれる、都合のいい友達。だから、自分に語り掛けて、イマジナリーフレンドを作ってた時期があった。
去年の入院の時、責任から逃れるために、DIDのふりをしたことがあった。すぐに、ベテラン看護師にバレたけど。DIDの人の苦しみは、知っていた。でも、失礼にも私は羨望を抱いてしまっていた。真似をしたのは、病棟にいたDIDの人だった。この時からかな、自分と向き合えなくて、現実逃避したくて、自分がばらばらに分かれて、感情も記憶も、別の人格が持ってくれていればいいのにって思うようになったのは。
くそ主治医が、私の中の感情を、人間として捉えて、具現化する治療を行った。そしたら、声が聞こえるようになった。これは、幻聴とかとは別。姿も見えた。徐々に会話できるようになった。でも、これは妄想の世界で、現実ではないと思っていた。私が頭の中で描く物語。感情を擬人化させて、別の人間と思うことで逃げ始めるようになった。くそ医者の治療でDIDに近づいた。分かってる、これは、クソ医者のせいではない。あの治療でDIDにならなかった人だっている。私のせいだ。
ここ最近の訪問看護では、役を切り替えることが多かった。解離を通して、それを分かりやすく見せることもあった。DIDのふりに頼って、一人の自分として伝えられないこと、出来ないことを、乗り越えようとした。
私は、正直言って賢いほうだ。だから、小賢しくも、最低な現実逃避方法を考えて、最低にも続けてしまっていた。文字に起こすと最低すぎて無理。私ってこんなにも逃げてたんだな。情報に溢れてる時代だから、DIDの真似、演技をすることはできた。私の役者カードに、新たな役が追加されたような感じ。
DIDになった私は、自分を気持ち悪いと思った。DIDの人に関しては、一切そんなこと思わないし、むしろ羨望のまなざしなのに(ごめんなさい)、自分がそう周りから見えるのだと思うと、気持ち悪く感じる。自分がセクシュアルマイノリティであることに対して思うことにそっくりだ。受け入れられない、自分を。
友達の真似をしているだけなんじゃないか、そう思う自分もいる。この時点で、最低なんだけど。追いかけっこしてるんじゃないか…
これからが怖い。泥沼化していく未来が見えて怖い。自分は自分のせいでDIDになったのか、DIDを受け入れられるのか、DIDを利用した自分の罪悪感を認められるか…
これを書いてる私は、DIDの友達が、この記事を見てどう思うか不安。だけど、黙ってるのも嫌だった。私と仲良くしてくれる友達を大切だと思ったから。こんな言い方卑怯だよね、ごめんね。
世界中のDIDと共に生きる方々、本当に最低な私でごめんなさい。許されるとは思っていません。許さなくていいです。