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12月18日(水)DIDの診断が下りた

眠い。思考が止まりそうだけど、頭を働かせる。

朝、ぎりぎりに登校して、またちょい遅刻した。けど、別に大したことはない。中国語の先生は、精神疾患に理解のある先生で、優しい言葉をかけて下さった。どうやら私は、小テスト類の成績が90点台をキープしてるらしくて、もっと手を抜いて良いんだよって言われた。けど、手の抜き方が分からない。先生自身は、博士課程の時に、自分はもっと出来る、と完璧主義で暴走して、精神的に辛い思いをしたらしい。死ぬほど気持ちが分かる。私もそうだなぁ。難しいよね…だって、出来るって分かってるんだもん。

昼食中、母から電話があり、先生との面談が20日(金)の10時半からになったと連絡があった。先生の都合聞いて、都合が合えば、私に連絡して、私の気持ちが追い付いてたら、面談しますってもう一回電話する…そういう約束だったじゃん!もう言ったって無駄だと思って言わなかったけど。

急いで主治医の診察を入れた。両親と何を、どう、話すか。何より、主治医はまだ、私たちの解離の状況を知らないから、そこから話さないと。

午後の授業が、先生の体調不良でなくなったから、病院でOTしてきた。こんなことになってどうしようって話から始まり、訪看が今日くる話になり、その訪看が男性で、男性恐怖症がまだ少し残ってる話になり、そこから私が昔性被害を受けた話になった。結構話すのしんどかったけど、担当さんが興味津々に話を聞くから、頑張って話した。本当は嫌だった。担当さんの反応って、結構オーバーで、時に私以外の話の登場人物に対して攻撃的なんだよな。ちょっとグサッとくる時がある。

そんなこんなで、OTを終え、診察の待ち時間。訪問看護の時間も迫ってきて、いよいよ訪問看護が怖くなってきた。やっぱりタナカじゃなくてショモトじゃ無理か電話してみた。ショモトが出て、やっぱり無理だと言われた。ショモトがタナカは大丈夫って言うから、不安だったけど電話を切った。

診察に呼ばれた。12月1日から始まった、私のっ身に起こった出来事を淡々と話した。

12月1日~6日:母が私を医保で入院させたいと主治医に電話。その一連の会話の流れで傷つく

  • 私自身の話なのに、両親と主治医の面談が裏で進められていたり、一人暮らしを出来るかどうかを両親と主治医が相談していて、自分の人生じゃないと感じた

  • 先生が私自身の辛さを見てくれてなくて、BPDとしてしか見てくれない。BPDじゃない自分を認めてほしかった

  • 母が勝手に父親に、私が母から虐待を受けていたことを話した。私が長年守ってきた父との関係性が崩れて腹が立った

12月7日~9日:ストレスから学校に行けなくなって、1週間が経ち、ストレス源となった母に怒りの電話を入れた。電話越しに虐待してた理由を聞かされ、ショックでさらに傷つく

12月10日~:紅葉たちの登場。人格が現れ、生活を回すようになる。

  • 紅葉が、自分は感情である、と日記を残してた

  • 自分一人では体を動かせない状態・色んな自分が出てくる状態・一人称や口調が違う状態で、演技だとしても恥ずかしくて自分じゃできない事が続いて、人格を認めざるを得なかった

  • 感情が感情たちに名前を付けることで、存在が認められた

12月17日:茜が、両親に札幌に来い、と親に電話し、親が20日に来ることに。茜がなぜ事を起こしたのか話した。そして、私が気持ちが追い付かないことも伝えた。

以上のことを伝えて、これも踏まえて主治医は両親に病状説明をし、訪看も謎に両親と話すことになった。その間に、私は心理士さんと作戦会議をし、訪看と話し終えた両親に自分の気持ちを伝える。心理士さんもその場にまじえて。だから、取り急ぎ話したいことをまとめなければ。

ここからは私の不安を聞いてもらった。

今、私はどういう状態なのか聞いた。

個々の感情の個性が強くて、人格をまとめるべき翠さんの存在が弱くなっている。感情を人格として扱うことで、責任を人格に押し付けて、どんどん責任感が弱くなっていき、コントロールが効かなくなっていくだろう。でも、現象としてそうなってしまう以上は仕方がない。周りはそれを前提に動かないといけない。ただ、翠さんの回復からは遠くなるだろう。

治療方針は変わらない。BPDが治療の主体です。どの人格が出ても、治療の約束は変わらないし、起こした問題は、翠さんが自分をコントロールできなかった結果と判断します。

診断について聞いた。私は、今もなお、自分は多重人格の演技をしているだけなのではないかと思ったりする。過度な演技で恥ずかしいと思う。だから他人には知られたくない。でも、主治医からの”診断”が下りれば、他人に演技じゃないと言えて、認められて、自分も認められると思った。何よりも認められたくて、自分に自信が無くて、不安でたまらないんだ。

わざと演技だとか評価するつもりはない。ただ、自分で強く思えば、そう振舞えてしまうから難しいところではあるけど、本当にそうなったどうかは、翠さんにしか分からない。でも、自分でコントロールできない状態があるから、DIDの状態なんじゃないかと思う。

診断書をくれますか?これは無理やり診断させた形になりますか?

根っこの診断はBPDで変わらない。その中の症状として、解離があって、そこが強くなったってだけです。それを、BPDに付随して、解離性健忘、解離性同一性障害と診断することはできます。現時点で、この現象についての診断名をご両親も知りたいと思うので、診断名が欲しいことは妥当な願いだと思います。ただ、言葉って口にすると固定化していく部分があるので、認めたからどうなんだろう…むしろ分離だから、それを独立して認めるってあんまりいい方法ではなくて、解離を強めると思うんですけど。

私もどの道に進めばいいか分からない。認め過ぎてもだめだし、認めなさ過ぎてもだめ。まだまだ分からに事だらけで、本当に手探りで、真っ暗な闇の中にいるみたい。

とりあえず診断が下りたから、訪看は人格のことを”感情”ではなく”人格”として扱ってくれるだろう。これで人格たちも一安心。

ただ、主治医も、特に訪看も、私たちの統合を目指してる。既に消えたくないと言ってる人格もいる中で、人格を人格として扱いながら治療していくのは、訪看としてはあまり好ましくない状況なんだろうな。

要はバランス。塩梅なんだよ、きっと。診断が下りたとか、そういう他者評価じゃなくて、自分の物差しで自分を評価して、いい塩梅で認められたらいいんだと思う。人格として見過ぎず、あくまでその感情を見つめることで、きっと統合できる。

ただ問題は、人格が背負ってるものを私が背負えるのかということ。人格に任せたら、気持ちも責任も消えてしまうように、一見そう見えるから、楽なんだ。もちろん、人格の責任はとるけど。

統合が楽なのか、分離が楽なのか、何が回復の兆しへ向かうのか、私には分からない。




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