僕の好きな漫画5「スマグラー SMUGGLER」
「僕の好きな漫画」第5回目。今回ご紹介するのは「闇金 ウシジマくん」で有名な真鍋昌平さんの「スマグラー」という作品です。
毎度おなじみWikipedia よりあらすじを引用です。
「役者志望のフリーターの砧涼介は、流されるままの自堕落な生活の果てに借金を作らされ、裏社会の非合法な「運び屋」の仕事をせざるを得なくなった。砧は、上司のジョーや同僚にあたるジジイと共に、中国マフィアが抗争の果てに惨殺した暴力団の組長と護衛の死体を運ぶ仕事になんとか成功する。
しかし砧の「運び屋」としての次の仕事は、依頼人が以前の依頼で死体を運んだ組長がかつて率いていた暴力団。
仕事の内容は、実行犯である殺し屋「背骨」を彼らの元へ運ぶというものだった。
砧はジョーに「背骨」を監視する役割を与えられたが、彼に親近感を持ったことから油断をしてしまい、「背骨」に逃げられてしまう。暴力団相手の大仕事での失敗に窮地に陥った砧だが、ジョーの言葉によって死地の中で覚悟が定まり、自らが「背骨」の代役として暴力団の元に差し出されることになった。
砧は暴力団の拷問を受けながらも最後まで耐え、「背骨」を追うジョーたちの奮戦もあって何とか危機を脱する。
逃げることなく苦境に立ち向かって切り抜けた砧に人間的な成長を見たジョーは、砧を運び屋から解放し表の世界に帰るように促すのだった。」
真鍋さんは実は僕と同期(?)なのです。
アフタヌーン四季賞という新人漫画賞で、同じ回に同じ準入選をいただいてます。当時、受賞作をまとめた合本というのがあって、受賞者や関係者にだけ配られるのですが、それを読んで真鍋さんの絵を見て「なんてカッコイイ絵の人がいるんだ」と印象に残っていました。確か「拾ってきたハムスターが死んじゃう漫画」でした。
四季賞は授賞式はないので、真鍋さんがどんな方か存じ上げることもなかったのですが、アフタヌーンつながりで、真鍋さんが「地雷震」の高橋ツトムさんの所で1ヶ月くらい働いている時期があって、高橋さんのスタッフをしていたことのある僕は、その時に初めてお会いしたのでした。
すでに連載が決まってるので、「人の使い方を覚えてこい」ということで、編集部から高橋さんの仕事場に派遣されてきた感じだったと記憶しています。天才というヤツですな。当時、僕はヤングサンデーで短期連載をしている頃で、「すでに連載が決まっている」ということに勝手にライバル心を燃やしていました。
真鍋さんの絵はとにかくカッコイイのです。遠近法を理解し尽くしている人があえて崩して描いている感じで、電柱1本を描いてもその電柱がカッコイイ。ああいう電線の美しいラインはなかなか描ける物じゃありません。僕は努力で習得した絵しか描けないので、さらっと描いてカッコイイのに憧れました。多分、今の青年漫画誌で活躍を目指している人が花沢健吾さんや浅野いにおさんに憧れるような感じで、僕の中では最先端が真鍋さんでした。
で、確か海猿の6巻か7巻を描いている頃に、「スマグラー」の単行本を買ったんだと思います。真鍋さんは当時「THE END」という連載をしていて、その単行本が出た時に前作の「スマグラー」の単行本も出たんだっけなぁ…?よく覚えてないですが…「THE END」も面白かったですね。連載第1話でイントロの1ページ目があり、めくると見開きで真っ黒なページが出てきてタイトルが「THE END」ですよ。「いきなり終わっちゃった〜〜!」と衝撃の連載第1話。天才の所行です。
「スマグラー」には衝撃を受けました。これでも僕は精一杯漫画を描いてきたつもりでしたが、スマグラーは絵が上手過ぎて、「どうせ凡人が頑張ったって、天才には勝てないんだ」とすごく落ち込みました。単行本のカバーの訳の分からないデザインもさることながら、ストーリーもブッ飛んでいて、絵もセンスの塊としか言いようがありません。
例えば、部屋の隅を絵で表現しようと思ったらどうしたらいいでしょう?極論すれば直線を3本引けば部屋の隅になります。でも、真鍋さんの描く部屋の隅はとてつもなくカッコ良かったのです。ラフな線と強い線弱い線が混ざり合って、どうしようもなく「部屋の隅」でした。「こんなカッコイイ部屋の隅は見たことがない」と嫉妬です。
僕は週刊作家でしたので、スタッフを雇って大量生産体制を作り上げ、それを維持できる描き方をしていました。それはそれで漫画を描く上で間違った選択ではありませんが、スタッフが入れ替わっても画面のクオリティを維持するためには、ある程度の絵の記号化が求められます。ある時間の中で、あれレベルの人であれば誰でも描ける絵にしておかなければ大量生産は出来ません。クセのありすぎる絵や、個性的すぎる絵は大量生産には向かないのです。天才じゃない僕がイメージした絵を、僕じゃない人が描くという状況が発生する訳ですから、完成した絵は「普通」の絵になってしまいます。
それが歯痒くもあり、天才が1人で描いた自由奔放な絵に強烈に嫉妬しました。思わず「スマグラー」の単行本をスタッフの前で広げ、「こういう風に描いてくれ!」と叫んだ程です。
真鍋さんがロックなら僕は歌謡曲を歌っているような物です。ロックが上だとか歌謡曲が下だという話ではなく、あっちが野生動物で鹿だとか猪だとかジビエだとしたら、僕は加工された豚のソーセージっていうか、真鍋さんが天然クロマグロだとしたら僕は魚肉ソーセージですよ。添加物入りで腐らないのだけが自慢っていうか、悔しいんですよ。重い、暗い、地味と言われる僕も、自分なりに自分の持つメジャー感に悩んだりするのです。結局、売れるように描いてるんだろう?と。
「スマグラー」における、僕のコンプレックスを刺激しまくる真鍋さんの画風は、とにかくカッコ良かったです。それに尽きます。
最近は他の作家さんに対してそういう嫉妬みたいなものもなくなってきて、それが良いことなのか悪いことなのか…。
その後、僕は徐々に記号化した絵から離れて、より絵に手間ひまをかける方向で努力してきました。一方、真鍋さんはどんどんメジャーになり、現在の画面を見ると大量生産化が図られ、個性という点では大分普通の画風になってしまいました。それが少し寂しくもあるのです。
ということで今回はお終いです。
ではまた次回。