見出し画像

節酒365日

お酒をあまり飲まなくなって1年が経過しました。

相変わらず月3〜4回の飲酒。
一度に飲む量はハイボールや日本酒を4~5杯。
それ以上飲む時もあります。
そんなループで月3~4回。
頻度は問題なさそうですが、各回の飲む量が多いです。


近所に大酒飲みが住んでいるようです。
週イチの空き缶回収日には、大量のハイボールの空き缶が詰まったゴミ袋が捨てられています。
2週に一度の空きビンの回収日には、ワインの瓶が10本以上。
僕もこんなでした。

γ-GTPの数値は40前後。
体重はピークから22~23kg減で半年前から変わらず。
一時25~26kgまで減ったけど、ちょっとリバウンドしてしまいました。
気持ちを引き締め直さなくては。

体重管理のためのプール通いは、ここ2ヶ月ほどサボり気味です。
週1~2回しか通えていません。

仕事が忙しいです。
漫画をたくさん描いています。

趣味の釣りは、出かける頻度が増えています。
今年の夏はうなぎ釣りを頑張っています。

自炊はちょっと手抜き気味です。
何かを頑張ると何かをサボってしまいます。
バランスって難しい。

本を読むようにしています。
哲学や脳科学の本を読んでいます。
飲酒にまつわる本も何冊か読みました。

・しらふで生きる 大酒飲みの決断 (町田康)
・今夜、すベてのバーで (中島らも)
・アル中ワンダーランド (まんきつ)
・酔うと化け物になる父がつらい(菊池真理子)

「分かる、分かる」「ダメだよ〜!」「自分はまだマシかも」「うわ、一緒だ!」
独り言を言いながら読みました。

中でも、町田康さんの「そもそも人生は楽しくない」という考え方は、自分にとてもフィットしました。

「人生は楽しくあるべきだ」と考えるからこそ、楽しくなかった時にお酒を飲むのです。
そもそも楽しくないと思えば飲む必要がありません。
意訳です。

楽しくないことは悪いことでしょうか?
過ごした時間に「楽しい」「楽しくない」と意味づけをすることに意味はあるのでしょうか?
「もっと楽しまなきゃ」
そんな言葉が自分を追い詰めるのかもしれません。


現在の飲酒習慣が適切か、健康への被害や日常生活への影響が出るほど問題があるのか、AUDIT(The Alcohol Use Disorders Identification Test)というスクリーニングテストがあります。
WHO(世界保健機関)が開発した、飲酒問題の程度を調べるテストです。

0~7点は「問題飲酒はないと思われる」。
8~14点は「問題飲酒はあるが依存症には至らない」。
15点以上は「依存症が疑われる」。

僕は7点でした。
自己採点なので判断の甘い部分があるかもしれません。

では、知人はどうだろう?と採点してみると、軒並み「依存症が疑われる」に分類される人がいました。

例えば、年間360日以上飲んでいるという知人。
「仲間を紹介したい」というので約束の時間に指定の居酒屋に行くと、知人だけがいない。
電話もメールもつながらない。
知らない同士、乾杯してやり過ごす。
2時間後に現れたと思ったら二日酔い&迎え酒。
3軒付き合いそろそろ終電。
帰りたいけど帰ってくれない。
翌日、連絡するとやっぱり繋がらない。
夕方ごろ、ようやく連絡が取れたと思ったら前日のことを覚えていない。
どこかにぶつけたのか足にアザがあるらしい。
34点でした。

本人は自分をアルコール依存症だとは認めないでしょう。

先日、一人でお酒を飲みました。
とある義理で受けた仕事がありました。
他の仕事を犠牲にしてまで納品したけど特にリアクションがありませんでした。
少し気持ちが落ち込みました。
「人生は楽しくない」と思っていても、ダメージを受ける夜があります。
僕は弱い。
そんな時にお酒はやはり、僕の相手をしてくれる友人なのです。

仕事も友人です。
釣りも読書も友人です。
プールも自炊も。
友人は多いほうが良いです。
一人に依存しなくて済みます。

次は1年後に報告します。

報告なんて誰も期待していないって?
いえ、僕が僕に期待しているのです。

節酒は続くのでしょうか?

いいなと思ったら応援しよう!