死ぬほど嫌でした
日本テレビ系ドラマ「セクシー田中さん」の原作者で漫画家の芦原妃名子さんが亡くなられました。
とても悲しいです。
漫画を原作とした映像化のトラブルということで、僕の名前を思い出す人も多かったようです。
日テレ「セクシー田中さん」だけではない…意外と多いテレビ局と原作者のトラブル、「海猿」は未だ二次使用できず、「のだめ」で揉めたTBS
ここ数日、当時の出来事がフラッシュバックしています。
どうして漫画の映像化でトラブルが頻発するのでしょうか。
他の漫画家のことは分からないので、自分の経験をお話しします。
人気作の場合、映像化の企画は同時にいくつもやってきます。
「海猿」は人気作でした。
雑誌連載中から単行本の売り上げは良かったのですが、続く「ブラックジャックによろしく」が爆発的にヒットしました。
その影響で「海猿」も増刷に次ぐ増刷でした。
「ブラックジャックによろしく」は連載開始から2年経たずにテレビドラマ化されました。
「海猿」もその少し後に映画化されました。
すでに「ブラックジャックによろしく」のドラマが話題になっており、小さな制作会社からテレビ局まで様々なところから企画書が届いたそうです。
詳しい話は聞かされず、ある日映画化が決まっていました。
企画書というのは作るのは簡単ですが、実現することはほとんどありません。
「映画は水ものだから企画段階では真剣に考えなくて良い」という編集者の言葉を真に受けていたら、ある日決まっていました。
決まったと思ったら僕が口を挟める余地はありませんでした。
漫画家は通常、出版社との間に著作権管理委託契約というものを締結しています。
出版社は作品の運用を独占的に委託されているという論理で動いていました。
契約書には都度都度、漫画家に報告し許諾を取ることが書かれていました。
が、それは守られませんでした。
すでに企画が進んでいることを理由に、映像化の契約書に判を押すことを要求されました。
嫌だったけど、「映像化は名誉なこと」という固定観念がありました。
映像化決定のプロセスが嫌なだけで、出版社もいろいろ動いてくれたんだろうなと。
原作使用料は確か200万円弱でした。
試写会に呼ばれたかどうか記憶が定かでありません。
映像関係者には一人も会いませんでした。
脚本?
見たことがありませんでした。
「ブラックジャックによろしく」を週刊連載中で忙しかったこともあります。
好きなようにされていました。
作品が自分の手から奪われていく感覚がありました。
「漫画と映像は全くの別物である」と考えました。
そうしないと心が壊れてしまいます。
映画はDVD化されてから観ました。
クソ映画でした。
僕が漫画で描きたかったこととはまったく違いました。
しかし、当時はそうした感想を漏らすことはしませんでした。
たくさんの人が関わって作品を盛り上げている時に、原作者が水を指すのは良くないのかなと。
自分を殺しました。
こうして僕は映像に一切文句を言わない漫画家となりました。
一方、出版社への不信は募ります。
何も言わないことと、何も不満がないことは違います。
言えることは、出版社、テレビ局とも漫画家に何も言わせないほうが都合が良いということです。
出版社とテレビ局は「映像化で一儲けしたい」という点で利害が一致していました。
出版社はすみやかに映像化の契約を結んで本を売りたいのです。
映像化は本の良い宣伝になります。
だから、漫画家のために著作権使用料の引き上げ交渉などしません。
漫画家の懐にいくら入ったところで彼らの懐は暖まらないのです。
それより製作委員会に名を連ね、映画の利益を享受したい。
とにかくすみやかに契約することが重要。
著作権使用料で揉めて契約不成立などもっての外。
テレビ局はできるだけ安く作品の権利を手にいれることができれば御の字。
漫画家と直接会って映像化の条件を細かく出されると動きにくいので、積極的には会いたがりません。
出版社も作家とテレビ局を引き合わせて日頃の言動の辻褄が合わなくなると困るので、テレビ局側の人間に会わせようとはしません。
漫画家の中には出版社を通じて映像化に注文を付ける人もいますが、出版社がそれをテレビ局に伝えるかどうかは別問題です。
面倒な注文をつけて話がややこしくなったら企画が頓挫する可能性があります。
出版社は、テレビ局には「原作者は原作に忠実にやってほしいとは言っていますけど、漫画とテレビじゃ違いますから自由にやってください」と言います。
そして、漫画家には「原作に忠実にやってほしいとは伝えているんだけど、漫画通りにやっちゃうと予算が足りないみたい」などと言いくるめます。
「海猿はスペクタクルだから!
原作通り作ったらハリウッド並みにお金がかかっちゃうから!」
かくして、漫画家は蚊帳の外。
テレビ局と出版社の間で話し合いが行われ、事が進んでいきます。
さて、「海猿」のテレビドラマ放映が終わり、映画第2弾が公開になった頃でしょうか。
「海猿」の原作者が現れました。
「海猿」の原作者は僕なので、どういうことか分からないかもしれません。
とにかく海猿の原作者を名乗る人物が現れ、「映画次回作の脚本はオレが書く」と言い出したのです。
漫画を描いたことがない人には、漫画家の苦労は想像できません。
取材に協力したり、語ったエピソードが漫画にちょっとでも登場すると自分が原作者だと思い込んでしまうようです。
そんな感じで「海猿」の原作者を名乗る人物は何人かいました。
この場合、その人物が実際に漫画の関係者ではあったので話がややこしくなりました。
僕はすっかり嫌になってしまい、初めて原作者の権利を行使しました。
続編の映像化を許諾しませんでした。
それまで事後報告でしぶしぶ押していた判を押さなかったのです。
一方で原作者の名乗る人物には、今後、映画に関わらないよう念書に判を押させました。
その数年後、テレビ局のプロデューサーに初めて会いました。
僕が頑として映像化を許諾しないので、いよいよ直接対面となった次第です。
「どうしたら許諾してくれるのだ」と言うので、「著作権使用料を100倍にしてくれたら許諾する」と言ったら「無理だ」と。
「10倍ならいけるかも」「50倍でいいや」みたいなやり取りをしました。
お金で解決するのが僕の良いところ。
だけど、心は壊れました。
映画は第4弾まで作られ大ヒットしました。
一度、映画の撮影を見学に行きました。
たくさんのスタッフが働いていました。
プロデューサーが主演俳優を紹介すると言うので挨拶に行きました。
撮影前だったらしく、その俳優はピリピリしていました。
プロデューサーが話しかけると「原作者?しゃべんなきゃダメ!?」と吐き捨てました。
嫌なヤツだと思いました。
それからもテレビ局にアポなし取材を受けたり、関連本を無断で出版されたり、たくさんの嫌な事がありました。
弁護士が入り、人間の醜い面を散々見せつけられた頃でした。
「もう無理だな」という言葉が頭に浮かびました。
そして、契約更新の時期がやってきて、僕はNOの答えを提出しました。
こうして映画「海猿」はテレビやネットから消えました。
それがニュースとなると多くの批判を受けました。
「死ね」
「売ってもらったクセに思い上がるな!海猿はファンのものであってお前のものじゃない!」
今、書いたことは僕に起こった出来事です。
他の漫画家がどんな目に遭っているかは知りません。
だけど、そこにはブラックボックスがあります。
それが良いほうに機能する場合もあれば、悪いほうに機能することもあるでしょう。
作家のためを思って働いてくれる編集者もいるでしょう。
誠実なテレビマンもいるはずです。
不幸なケースもあれば、幸せなケースもあると思います。
芦原さんについて「繊細な人だったんだろうな」という感想をいくつか見かけました。
多分、普通の人だったんじゃないかと想像します。
普通の人が傷つくように傷つき、悩んだのだと思います。
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