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カルミナ・ブラーナ
おはようございます。
5/24〜5/26の3日間3公演、無事に終演しました。
僕は前回の収録のときから参加していて、今回は2回目のカルミナでした。神父の群舞は今回はやりませんでしたが、自然のシーンの鳥は同じ部分をやらせていただきました。
なんといっても今回は生オケ生歌での上演で、総勢250名が集結するという超スケールの公演でした。
収録のときはコロナの関係で全て音源だったので、舞台上に歌手の方々はいらっしゃっても口パクを余儀なくされていたため、そこまで通常の舞台との差を感じなかったのですが、今回はやはり違いました。
幕が開いた瞬間からその凄まじい歌声に圧倒され、助けられ、感動させられ。ものすごいエネルギーでした。
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自然のシーン、僕は短いソロがあります。
ゲネプロまでは自分の調整に必死であまり気づいていなかったのですが、迎えた初日のソロパートが始まって、初めて気づいたんです。
「あ、今僕はこの広いステージ上で、全ての歌声を独り占めして踊っている。」
その瞬間、なんて贅沢な、幸せな時間なんだろうという気持ちがぶわーーーーっと溢れてきて、自分の中にすごいエネルギーが満ちてくるのを感じました。たぎる、とかみなぎる、とかいう表現が正しいのかは分かりませんが、なかなか味わえない高揚感がありました。
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出演部分としてはそう多くはなかったのですが、とても達成感がありました。
それはやっぱりこういった特別な環境で踊れたことが大きいと思います。
最後にみんなで円になって踊るところ、本当に楽しかった……。
(リハーサルはややこしくて本当に大変でしたけど😂)
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そしてもちろん、ディレクターが踊る姿を見られたこと。少しだけど同じ舞台上で同じ時間を共有できたこと。これが本当に貴重な経験でした。
舞台に登場すると、全てを支配してしまう存在感。
動き出すと、見るもの全てを釘付けにする引力。
踏み出す一歩、掲げる掌の迫力。
リハーサルのときから一貫して別格でした。どれだけ跳ぶか回るかではない(ちなみに今でもディレクターは並みの若いダンサーでは比にならないくらい跳ぶし回ります)、何か圧倒的なもの。
そういったものを目の当たりにできる機会はそうそうありません。毎公演、袖から目に焼き付けていました。
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約2年前の「クレオパトラ」ではディレクターの隣でカーテンコールに出るという、これまた光栄な機会に恵まれたのですが、今回は真後ろから喝采を浴びるディレクターの姿を見ることができました。
常にオーラを発している(?)ディレクターはいつも大きく見えるのですが、この3公演で見たあの背中は、それはそれは大きな背中でした。こうなりたい、ということすらおこがましいほどでしたが、常に目の前にあってほしいなと、そう思いました。
そしてその隣の、誰よりも華奢なのに頼もしい背中がもう一つ。
本来男性に振り付けられた超難度のあの踊りを、いとも簡単そうに踊り切ったのぞさん。
精神的にも肉体的にも相当ハードだったはずですが、それをおくびにも出さずにやってのけた彼女、さすがでした。
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作品解釈については、ご覧になった皆様各々が感じたことが全てなのだと思います。
ディレクターが「今だからこそ」とおっしゃっているように、コロナ/アフターコロナの情勢であったり、昨今の混沌とした世界情勢であったり、あるいは古来から変わらない/繰り返す人の業(?)であったり、そういったものを誤解を恐れず、婉曲無しにどストレートに表現しているこの作品。
訴えかけるものはとても大きく、重い。
見るだけでもエネルギーを使うのは想像に難くないです。
でもそれが大切なんだと思います。目を背けたくなるものから背けない、向き合う姿勢というんですかね。表現する側も、見る側も、考えさせられるということが大切だと思うので、特に正解はないのかなと。
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というわけでカルミナは無事に終わりました。
もうあのハッピーダンスを踊らないのは少し寂しい気もしますが……。
本当にありがとうございました。
次に控えるのはバヤデール。
ずっといろいろと並行してやってきましたが、遂にこちらも本番を迎えます。
僕としても思い入れの強いこの作品、精一杯がんばろうと思います。
ではでは。