note再開します。
こんちは、noteに飽きてしまって最近更新してなかった暇人です。
なんかTwitterには書けないようなちょっとアブナイ話を書いたり、面白い話を書いて、あわよくばお金はいればいいかなって思ってやってたんですが、
アブナイ話をする相手も最近できたし、そんな頻繁にすると体力なくなっちゃって大変なのでnoteに書いてませんでした。とりあえずめんどくさかったので書いてませんでした。
しかし今日、ヒッチハイクについて教わった方とご飯に行って、色々話してて、言語化って大事だなって思ったので、言語化の練習としてnoteを更新していこうと思います。(ヒッチハイクについて教わった方と会ったときの記事: https://note.mu/shuheykbt/n/n1fb45c3b4749?creator_urlname=shuheykbt )
言語化つっても僕が言語化しようとしているのは、「一体自分は何が好きで、何が嫌いなのか」です。
今日その先輩と話してて思ったのが、自分が何を好み、何に熱意を注ぐのかってのを言語化してると、自分の好きなこと・欲望みたいなのが明確にみえてくるなってことです。
まあそりゃ当たり前なんですけど、ここ最近自分は何か目標みたいなのが欲しくて(目標みたいなのがあったほうが人生楽しいように思えてきた)、でも目標って突如ふってくるわけでもなければ、適当に設定するものでもない(適当に設定することは可能だけど、そこに向かう気力が起きない)ので、どーしよっかなーみたいなことを考えてました。好きなものを言語化したらきっと何か見えてくるだろうなーとか思ってたんですけど、だるかったんでやってませんでした。
でも今日先輩と話してて、ああやっぱ好きなこと言語化するの大事だなぁって思って、言語化することにしました。
今までは、なにか自分のなかで曖昧な状態のものを言葉という形にしてしまうと、それがもとの自分の中でのものと全く別物になってしまうような気がして言葉にしていなかったのですが、今日、なんかそれはそれでいいかなーみたいな気がしてきました。
自分の目指す方向が暫定的にでも現れるのなら、曖昧な欲望が言葉になることで形を変えてしまったとしても、言語化を続けることで、もとの欲望から離れたり近づいたりして、その曖昧な欲望にたどり着こうとする営みができるのかもしれないな、と思ったからです。
今までしてきたように、曖昧な欲望を曖昧なままにするのもいいけれど、なんかやっぱ今までのあり方に変化がほしくて、言語化することにしました。
この記事のなかでも、「なぜ自分が好きなことを言語化し始めようと思ったか」についての考えも、「言語化」することによって変わりつつある気がします。それは、もしかしたらもとのモチベーションを言語によって変成させてしまっているのかもしれないし、新たな発見をしているのかもしれません。
とりあえずわかんないけど、なんか自分の好きだなぁ、嫌いだなぁって思うことについて言語化してみようと思います。自分のなかの固定観念にも気づけるかもしれない。毎日やるかはわかりませんが、気が向いたら書いていこうと思います。書いてなかったら察してください()
嫌いだなぁってことを書いて、それについて傷ついてしまう方がいたらごめんなさい、ブロックなりミュートなりしてください、
適当になんでもコメントもらえると嬉しいです。
ちなみに今電車で隣に座ってる女性が寝落ちして僕の左肩に頭をもたげているのが嬉しいです。(キモいとか言わない)
ばい。
次なんか面白いことやるように使おうと思います。 もらえたらめちゃくちゃ喜びます。 サポートの際、これやってほしい!みたいなのがあれば反映されるかもです。