デザインと研究
デザインと研究の関係が気になっています。もちろん、デザインしたモノや、デザインのプロセス、デザインの歴史なども研究対象ですが、気になっているのは、何かをデザインするための研究です。
美大で、デザインを学んだ自分にとって、デザインは課題に対して、どういう答え、どういう造形を、導きだせばいいのかを試行錯誤することだと考えていて、あまり、研究という感覚は、身についていませんでした。
ところが、美大ではない工学部や社会学部出身のデザイナーと話をしていると、デザインをするために、こういうリサーチをしましたとか、検証して分析した結果こうなりましたとか、デザインするための研究に近い説明をうけることが多くなりました。
考えてみると、デザインするためには、自分の感覚で、カタチにすることも大事ですが、それ以上に誰のために、どんな目的でデザインするかが重要であり、そのためには、その裏付けが必要になります。それがない美しいだけ、面白いだけのデザインは、社会的には、評価しにくいものになります。
発端は、自分が興味があったり、誰かに頼まれたことからもしれませんが、そのことを調べて、分析することで、本当の課題が明確になってきます。その明確になった課題に対して、自分なりの解決方法や、新しい価値を創造し、具体的に表現して、有用なものにすることがデザインに求められています。
2014年にはじまった明星大学デザイン学部で、2017年にはじめての卒業生が取り組んだ卒業研究。92人がそれぞれにテーマを探し、調査、分析を重ねて、課題を明確にして、解決方法を提案し、卒業研究報告展として、展示とプレゼンテーションで伝えました。
これを、ぼくの出身大学である武蔵野美術大学の卒業制作と比べると大きく異なることがわかります。美大で学んだ自分としては、卒業制作があたりまえであり、どんなに説明がしてあってもそれは制作物として展示してあります。
ところが、明星大学デザイン学部では、制作ではなく研究が目的であり、制作物があったとしても、それは具体的な提案を示すためのものです。大事なのは、どのような道筋で考え、どうなふうに調べた結果、何がわかり、そこからどうやって発想したのかというプロセスをしめすことです。当然、文字が多くなります。
どちらがいいとか、悪いとか言っているわけではなくて、いまさらですが、制作と研究という目的とアウトプットのあり方の違いがわかってきました。
それは、プロセスを大事にするか、成果を大事にするかという話とも重なってきます。デザインには、計画と造形、あるいは、企画と表現という両方の意味があり、言い換えると、プロセスと成果の両方の意味を含んでいます。
美大では、できたものの成果が大事であり、どんなにプロセスが良くても評価されません。理屈を重ねて、研究したものが素晴らしいデザインにつながるとは限らないことも事実です。そこに美的構成力がない限り、デザインとしての評価は低いものになります。
自分も含めた100人にひとりの美大出身者の感覚だと、美大の卒業制作は、とてもわかりやすいものです。そこには美的構成力を伴った最終的なカタチが示されていて、多くは、直感的に感覚で捉えられるのもが多いのです。
しかし、そこに至るプロセスは、簡単な説明に留まることが多く、研究として提示されたものでも、デザインのことを学んだ専門家ではないとわかりにくいのだと思います。
一方で、デザインや美術を学んだことのない、その他の99人にとって、論文や文章での表現は、誰でもある程度は理解可能であり、明星大学デザイン学部の卒業研究のような文章とビジュアルで示されたものの方が、美大の卒業制作よりも理解しやすいのではと考えるようになりました。
もちろん、美大、非美大とわけることは乱暴であり、美大で学ばなくても感覚的な美的な感性は誰もが持っているものであり、感覚と理屈の両方のバランスが違うだけなのだとも思います。
デザインと研究 この二つがうまく関係を結び、デザインするための研究と、研究した結果としてのデザインがつながることで、もっと遠くまでたどりつけるような気がしています。