この世で最も恐ろしいこと、それは否定されること
人はその漢字の由来からも分かるように、コミュニティをつくってそこでの協力関係やチームワークによって支え合いながら生きていこうとする生き物です。ですから、たとえコミュニティに属していたとしても、そこでメンバーから認められ、受け入れられていると感じられなければ、不安や孤独を感じ、健康状態にも影響を及ぼすことすらあります。今日は人がもつ「認められたい」という欲求について考えたいと思います。
まずは相手を認めるところから
人に認められたいという欲求は、友人や同僚、上司に「自分の存在を受け入れてほしい」「話を聴いてほしい」「褒めてほしい」という気持ちです。これはアメリカの心理学者クレイトン・アルダファーが提唱するERG理論における3つの欲求(生存欲求、関係欲求、成長欲求)のうちのひとつ、「関係欲求」にあたります。一言でいえば、自分を肯定的に評価してくれる良好な人間関係ということになるでしょう。
良好な人間関係ということは、片方が肯定的でもう片方が否定的という片思いのようなことは少なく、お互いに肯定し、尊重し合っている関係といえます。自分のことを認めてくれる相手に対しては自分も認めようとしますし、自分のことを認めてくれない相手に対しては否定的になりがちという、いわゆる「返報性」がはたらくわけです。つまり、認めてもらいたい相手のことは、まずこちらから認めてあげることが必要だということです。
「あの人は私のことを認めてくれない」と思う相手のことは、上司として、同僚として自分も認められていないもの。まずは冷静にその人のものの見方、考え方を理解することから始めましょう。
認めるとは否定しないということ
相手を認めようとした時に、「否定しない」というスタンスがとても重要になります。人は否定的な言動に対してとても敏感なもの。相手の意見に対して「でも~」とか「いや~」と即座に切り返したり、頷くこともなく無表情で話を聞いたりすると、相手は否定されたと感じ、不安になったり、不愉快になったり、さらには心を閉ざしてそれ以上意見を言わなくなってしまいます。意見が違う、考え方が違う、間違っている、と感じても、まずは「そうだね」や「なるほどね」と一旦受け止めてから自分の考え方を伝えるだけで、相手は尊重してもらえた感じ、その後の話を受け入れやすくなります。
「議論」は確固とした自分の考えをもってのぞむという観点からは良いことですが、白熱してくるとつい否定的な言葉を投げかけて、最終的には勝ち負けの勝負ごとのようになりがちです。そうではなく、自分の意見と相手の意見のそれぞれを尊重し、ズレが生じたときには何故お互いがそのような意見に至ったのかという背景を理解するという「対話」をこころがけたいですね。
否定の力
「この世で最も恐ろしいものはなんですか?」というアンケートで「否定されること」が1位になったという話があります。それほど、否定のもつ威力は大きく、相手に強いストレスを与えるものです。その一方で、否定的な言葉は意外と通常の会話において安易に使われていることも少なくありません。自分を認めてほしければ、相手を認めること。相手を認める時には、否定しないこと。私自身も人とのコミュニケーションにおいて常に意識していきたいと思います。
あとがき
三連休初日は私がリフレッシュしたいときによく行く鎌倉・江の島に行ってきました。さわやかに晴れて外出日和だったので、江ノ電もレストランも江の島も老若男女、日本人、外国人、人、人、人。。。でも人の動きが本格的に戻ってきたと感じられるのは良いことですね。ランチは私のお気に入りのレストラン、高台のテラスからの絶景オーシャンビューを楽しみながら美味しいピザが食べられるアマルフィデラセーラで。まるでイタリアやギリシャのリゾート(行ったことないけど映画のワンシーンでよく出てくるやつ)
先週次男が溶連菌にやられました。小学校で流行ってるとか。一方長男の中学では、コロナとインフルで学級ではなく学年閉鎖に。除菌・殺菌やりすぎて人類の免疫力が低下してるんじゃないかな。菌・ウィルスと人類の闘いはいつまで続くのだろう。。。