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『京都・六曜社三代記 喫茶の一族』を読んだ。

先日、誠光社で『京都・六曜社三代記 喫茶の一族』とランベルマイユブレンドのコーヒー豆を通販で購入した。すごく面白くて一気に読む。読むとコーヒーが飲みたくなり、手元にはこのブレンドがあるのだ。最高じゃないか。

六曜社は1950年創業の京都にある老舗喫茶店だ。僕が初めて六曜社に行った日のことはよく憶えている。『トイストーリー2』を映画館で見た後だったので調べればすぐに年月までわかる。2000年3月、少し薄着だったので4月かもしれない。満席の活気のある1階店でコーヒー飲んで、ドーナツを食べた。1番最近行ったのはいつだったかな。地下店にひとりでふらっと入ってカウンターの隅でコーヒーを飲んだ。なんて、常連ぽく書いているけれど、タバコが苦手なので喫煙できる六曜社にはたまに行く程度で、そんなに頻繁には足を運んでいなかった。最近は禁煙化しているとのこと。今度京都に帰ったら、またコーヒーを飲みに行こう。本にも幾度となく登場し、友人でもあるスタッフ”はっちゃん”にも会えるかもしれない。

この本を読んで気になったのは六曜社の奥野修さんと同世代の僕の両親の事。母は京都生まれ京都育ち。父は大学生時代を京都で過ごし、その時に母と出会った。別件で父と電話をしたついでに、60年〜70年代当時に六曜社に行ったことがあるか尋ねたところ、存在は知っていたがたぶん行ったことは無いとの答えだった。この本を読みながら、店の一席に父が座っているのを想像したので、勝手に少し残念に思った。

そこから詳しく聞いてみると、父は三条堺町のイノダコーヒに通っていて、大学の講義にもろくに出ずに毎日朝から当時一杯120円のコーヒーでねばっていたらしい。そう、父は六曜社から数百メートル先のイノダに居たのだ。それはそれでいい話だ。

それと、父も使ったこの”ねばる”という表現はこの本の高田渡を紹介する項でも出てくる。少し可笑しみのある、間の抜けた、すごく好きな表現だ。まだ何者でもなくて、若くて健康で、金はないけど時間はある。喫茶店でコーヒー一杯でねばるのは、なんて贅沢で幸福な時間だっただろう。

父はイノダから京都御所に行き、当時組んでいたカントリーバンドの仲間と日が暮れるまで芝生の上でギターを弾いて、しばらくしたらまたイノダに戻る。そしてねばる。そんな毎日を過ごしていたらしい。

当時父がよく行った喫茶店は四条木屋町にあったみゅーずや、夜の窓など。みゅーずには僕も大学生の時に行っていた。今はもうその店も無くなった。まだまだ父の話は続く。

「店の名前は忘れたけど、お母さんとは千本中立売にあった東映の助監督が夫婦でやっていた無許可営業の喫茶店に良く行ったで。ロックが流れてて、なぜか料金はカンパ制でな。講義が終わって、その店に入ると銀のラメの入ったタンクトップを着た20歳のお母さんがタバコ吸いながら待ってて…」

えっ!ちょっとまって!お母さんタバコ吸ってたの⁈ ここで今まで語られたことがなかった衝撃の新事実発覚。母がタバコを吸っているのなんて見たことなかったから、ここまでのええ感じの思い出話が吹っ飛ぶくらいビックリした。

「タバコなんか好きちゃうかったけど、かっこつけてたんやろ。」

二人で笑いあって電話を切って、僕はまた『京都・六曜社三代記 喫茶の一族』をパラパラめくりながら、ボブ・ディランのジャケットみたいに肩を寄せ合って河原町通りを歩き、六曜社の前を通り過ぎる若い頃の両親を想像した。


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