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人間関係も、勉強も、楽しく過ごした高校時代

中学校時代に続いて高校時代を振り返ってみる。

応援練習

無事に工業高校に入学したものの、入学早々試練がやってきた。それは「応援練習」。

校歌や応援歌(振り付き)を大きな声で歌うというもの。長野県では割と実施する高校が多いと聞く。(他の都道府県ではどうなんですかね?)

なぜ?と思ったのは、応援部とか関係なく1年生全員がやらなければならないこと。放課後に体育館に集められ、一定間隔をあけて並び、校歌と応援歌を歌う。歌っている間は応援部が見回り、「声小せえよ!」「もっと腹から声出せ!」という怒声が飛び交う。

この応援練習、2時間ほどみっちり行い(体感的には4時間くらい...)、これが3日間続く。壮行会の時くらいしか役に立つことはないのに、「なんでやんなきゃいけないんだよ、やだなあ」と思いつつも「別に3日間我慢すればいいしなあ」という感じで乗り切っていた。(実は入学した年に高校の歴史上初めて硬式野球部が甲子園に出場したので、結果的に役に立ってしまったが...)

ここで1つ、問題提起したい。

今思えばだが、あれはいじめやパワハラに類される可能性を孕んでいるのではないかと。まず、強制参加であること。大声を出される、長時間立ちっぱなしなど、ある人にとっては精神的苦痛を伴う可能性があること。それに、声が小さいから怒鳴って大声を出すように仕向けるという行為は、私には何の意味も感じないし論理的ではないと思う。(真面目にやっておらず、怒られても萎縮したり苦痛を感じたりせず、逆に怒られることでやるようになる生徒ももしかしたらいるのかもしれないが...)

一人ひとり肺活量や声帯の強さ、声量だって違うし、生きてきた環境や経験によっても違う。運動部で声出しをしてきた人と、帰宅部で学習系の習い事をしてきた人。(比較実験などはもちろんしたことはないが)明らかに声量が違うであろう。そんなに小さいと感じるなら、まず大きい声を出すための方法を教えてほしい。腹式呼吸だか何だかわからないが、まずそれからではないだろうか。現実的にそれができるような余裕はないだろうが、今も(自分のときと程度がどの程度違うかわからないが)そんな習慣が続いている事実はある。はっきり言って悪しき伝統だと思っている。

挫折した部活

1年生の時だけ部活に入っていた。どんな部活かわかってもらうために、まずは「ロボコン」をイメージしていただきたい。大きな括りで言うとあんな感じだが、私は決められたコースの上でマイコンカーを走らせる競技をしていた。マイコンカー本体をまず作り、プログラミングでより早く走るように試行錯誤していく。本体を作る工程はまずまず楽しかったのだが、プログラミングに入ったところで壁にぶつかった。

小中学校時代に通ったものづくり教室で多少プログラミングを勉強したし、情報の授業でもついていけてたので、あまり心配していなかったのだが、マイコンカーを走らせるプログラムは難解で、とても自分には理解できなかった。同学年の部員にいくらでも聞けばいいのだが、何となく聞こうにも聞けず、どう修正していいのかもわからず、次第に嫌になっていった。ちゃんと走るわけないことがわかっていながらコースを走らせ、勘でプログラムをいじり、やっぱりうまくいかない。そんな繰り返しが続いた。そもそもプログラム自体難しいし、絶対に完走させたいというモチベーションもない。お金・時間の無駄になってしまうし何より楽しくない。そんな気持ちから1年の終わりに部活を辞めた。

高校でのキャラはというと・・・

話を戻すと、高校3年間は基本的に楽しかった。本当に仲の良いメンバーは固定されていたものの、楽しい人、面白い人が多く、紛れもなく居心地が良い3年間だった。

将来のこともぼちぼち考え始める高校時代。大学に行くことは決めていた。というか、両親とも大卒だったことや、可能な限り勉強したかったことも含めて、大学に行く以外の選択肢は考えられなかったし、そのことに何の疑問も持たなかった。(工業高校なので、半数の人は就職の道を選ぶ)すべり止めの大学の候補はいろいろあったのだが、志望校は1択。信州大学。ずっと信州で育ってきてシンプルに馴染みがあったこと、小学校時代に見学に行ったこと、信州で暮らしたいこと。そして、工業枠推薦が使えることと、環境機能工学科があることが大きかった。

ものづくり方向に進んできてはいたが、明確に将来これをやりたい、こうなりたいという目標があるわけではなかった。ましてや、高校時代にプログラミングで挫折したために、途中でエンジニアという道は自然と諦めていた。ならばどうするか。小さい頃から環境問題に興味があった。それまで特に意識したことはなかったが、環境問題への関心や知識は周りの人よりも高いように思えたし、もっと学ぶ学問の対象として違和感がなかった。環境機能工学科という学科がある信大工学部に行こうと思ったのは自然だったのだ。

もう1つは工業枠推薦。推薦入試の1つで、長野県内の工業高校から◯人とる、という形で、普通の推薦入試とは別に設けられていた。そのために、定期テストは頑張った。1年生の間にこの学校のテストのパターンというか傾向がわかったので、2年,3年もそれを信じてテストに挑んでいた。自分の人生で自慢できることはあまりないのだが、3年間で100点を20回以上とったのは自慢である。

試験は志望理由書と面接、口頭試問。志望理由書は10回ほど書き直したし、面接・口頭試問の練習も相当やった。そして試験日。11月にしては珍しく雪がちらついていた。無事に合格。センター試験も記念受験で済み、信大に入学できることになった。

そしてもう1つ、忘れちゃならないのが課題研究。自分で研究課題を考え、研究、まとめて年度末にプレゼンする。私がやったのは「色素増感太陽電池」の研究。多くの人がイメージするあのソーラーパネルとは違い、光触媒という物質を利用して発電する太陽電池。うまくいかないことは多々あったが、光触媒におもしろさを感じ、大学でもやりたいと思った。そして本当に大学でもやることになる。

今考えるとよくそこまでできたな、と自分にツッコミたいのだが、資格・検定の取得にも躍起になっていた。

・情報技術検定2級
・計算技術検定3級
・工事担任者DD第三種
・英検準2級
・数検準2級
・危険物取扱者乙種2,3,4,6類

高校時代に資格・検定取得にハマった結果、その後も資格・検定取得が趣味の1つでもあったりする(笑)

そんなこんなで、結局ずっと何かしら勉強していた高校時代だった気がしている。それに、何かわからないところがあると、クラスメイトが質問してくれていたので、またも勉強キャラというもので何とか立ち位置というか存在を確立させることができていた気がする。

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宮川周平 / sharing love 探究者
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