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「宿命」と「運命」について
先日僕は、Twitterで為末大さんの「言葉の解像度を上げる」という文章を読みました。そこには、
似ているけれど実は少しずつ意味が違う言葉に対して、辞書的な意味に限らず、自分なりに一つ一つの意味を決めていこう。そうすると、より深い言葉の意味を理解できるようになって、言語能力が伸び、説明力も観察力も鋭くなる。
というようなことが書いてありました。似たような言葉とは例えば、「不条理、不公平、理不尽」です。この文章に僕も共感したので、そういう言葉群を見つけ、自分なりの理解ができたときに投稿していこうと思います。noteはあとから編集もできるので、言葉への捉え方が変わったら修正していこうと思います。
今回は「宿命」と「運命」についてです。最初に辞書での意味を載せておきます。
宿命:前世から定まっている運命。避けることも変えることもできない運命的なもの。
運命:人間の意志にかかわらず、身にめぐって来る吉凶禍福。めぐり合わせ。
まず、「宿命」についてですが、宿命とは向き合わなければならないポテンシャルのようなものだと思います。辞書通り変えることはできないけれど、対処法は人それぞれだと思います。つまり、「宿命」とは向き合うことは必須だが、それを受け入れるのか、抗うのかまでは決まっていないものだと思います。
例えば、ドラマなどでよく見ますが、代々当然のように医者になる一家があるとします。その一家では「医者になること」が宿命としてあります。しかし、その家系の人は「医者になる」という選択肢は宿していても、「医者になるかどうか」は決まっていないと思います。一度は医者になることに向き合いますが、もし医者にならないことを選択した場合は、その人には宿命が適合しなかっただけだと思います。その家系には「医者になる」という選択肢が他の人より有利に与えられていますが、実際医者になるかどうかはその人次第です。宿命は結果まで縛るものではないと思います。
次に、「運命」についてですが、これは「アルケミスト」という本に出てくる「マクトゥーブ」だと思います。「マクトゥーブ」とはアラビア語の言葉で、「それは書かれている」という意味です。運命とは世界の本(架空の本)に既に書かれている内容だと思います。そのため、運命に抗っても抗わなくても、運命はそのどちらかに決められています。だから「運命」という言葉は、どんな選択肢を選んだとしても「これが運命だった」と世界が肯定化させられるような言葉であり、「後悔」を否定する言葉だと思います。
例えば、現在議論がなされている東京オリパラの開催についてですが、これも開催されるかどうかは決まっていて、どっちの結果になろうとも被害はあると思います。なので、どっちになろうと私たちは「別の選択肢を選べばよかった」と過去を嘆くのではなく、それを受け入れて行動する必要があると思います。大事なのは未来がどうなろうと「人事を尽くす」ことだと思います。
そう考えていたら「天命」もあるじゃん、と思いましたが、今回は見送ります。
「宿命」は変えることはできないが、抗って背くこともできるもの。「運命」は既に書かれていることであり、僕たちの行動の先にあるもの。
宿命という入り口は一つで、その先には様々な出口が存在し、喜んだり悲しんだりしながら頑張って進みますが、どの出口に辿り着くかは運命で決まっているんだと思います。
加筆: 今見てすごいおもしろかった映画「ベンジャミンバトン」の考察でこんな言葉があったので載せておきます。
「宿命は変えられないが、宿命を受け入れた時に運命は変わる。運命は自分で創ることができる」