『生きる』という事。
魚突き合宿 in 西表島 2023
感動を忘れないように。
そして、これを読んでくれた方が、この感動を同じように感じられるように。
情景を思い浮かべながら、文章に残します。
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2023年2月12日~14日
場所は沖縄県、西表島。
電気、ガス、水(飲み水)なしの2泊3日。
圧倒的存在感の大自然。
そして海。
そこで感じたことは、『生きる』ということ、そのもの。
魚突き当日、2月12日。
天気は晴天。
暑さで肌がじりじりするほどの恵まれた天候。
彼女の友ちゃんと石垣島から西表島行きのフェリーに乗り、先頭右側の窓際の席へ座った。
少しづつ動き出したフェリーに心がワクワクし、サンゴ礁に覆われた海の美しさに、ただただ圧倒される。
西表島の港につくと、今回合宿を共にする、運営側のコスが車で迎えに来てくれた。
同じフェリーに乗っていた先頭の反対側の窓際に座っていた男性が、今回の合宿の仲間だった。
名前は航平。
先頭の窓際とは、やはりこの合宿に参加する人は何か感性が似ている。
そしてもう一人、同じフェリーに乗っていた女性が、今回のもうひとりの仲間のかおるん。
迎えの車の中は、彼女の友ちゃん、迎えに来てくれたコス、同じフェリーに乗っていた航平、そしてかおるん、更にみんなが持ってきた荷物とでぎゅうぎゅうだ。
まだ、お互い初めましてだったのもあり、車内は話す話題もままならないような雰囲気。
ぎゅうぎゅうの状態で、島で一番のスーパーに買い出しへ向かった。
島一番のスーパーだが、東京にはないほど、こじんまりとした、のどかで、そしてどこか懐かしさを感じられるスーパーだ。
そのまま飲める飲料水がないため、水などの飲み物や軽い食事を調達した。
スーパーから目的地へ向かう道中には、人は一人もおらず、馬や牛が野放しされているかの如く、うろついていた。
島唯一の信号機は子供の勉強のために作られた信号機だという。
前後左右に広がる大自然は、視界に入れないことなど出来やしない。
人類が誕生する前の地球はこんな感じだったのかと思いながら、10分ほどして目的地へ到着した。
目的地に到着すると、今回の合宿の主催者である研人さん(伊藤研人)がテントの前に上裸で座っていた。
3か月ぶり、11月に千葉県のキャンプ場でお会いした以来、2度目の再開に思わず抱擁しながら挨拶を交わした。
研人さんとの出会いは、共通の知り合いからいただいた本(第七の旅)からだった。その本の作者が研人さんだった。
その本を読み終えた後、いてもたってもいられなくなり、SNSからDMを送り、知り合った。
最初に会話をした時の印象は、大げさではなく、こんなに魅力的な人を初めて見た、という印象だった。
喋らずとも生き様が、目だけで感じとれた。
一瞬で伊藤研人さんという人間に魅かれた。
その千葉県のキャンプ場で、今回の西表島での魚突きの計画を聞き、必ず予定を合わせて参加しようと決め、今回参加するに至ったのだ。
西表島に到着してから数分、ぞくぞくと人が集まり、自分を含め、研人さん、友ちゃん、コス、航平、かおるん、利久さんの7人全員が揃った。
突いた魚を調理するための薪と、ドラム缶風呂の湯沸かし用に使う薪を拾い、その後、施設の説明をしていただき、実際に魚突きを行う前に、全員で調理場に集合した。
道具の使用方法や泳ぎの技術面、沖付近の浅瀬は一番波が強くて危険、マスクは絶対に外さないなどのルール、そして魚突き道についての説明を受けた。
ホモサピエンス誕生から産業革命が起こるまで、人類の雄の仕事は狩りだったという。
集まりの最後に、この魚突き合宿でどのようなことを感じ、学びたいのか、色々な思いを語った。
魚突き道とは大げさと思うかもしれないが、今回の魚突きで、その魚突き道というものを、心の底から思い知ることになった。
説明が終わり、全員でウェットスーツに着替え、2月とは思えない暑さに消防署勤務時代の防火服を着ているほどの、どこか懐かしい暑さが身体にのしかかる。
初めての準備に戸惑いながらも、ようやく銛を持ってビーチへと向かった。
キャンプ地から、森の中を抜けて数分、視界が一気に開き、人類未開の地なのかと思わされるような、自然豊かな美しいビーチが目の前に広がった。全身で感じる大自然に圧倒され、感動と興奮を抑えられなかった。
この日は潮が引いており、水深は膝から腰高。
サンゴ礁を抜けるまで、約700から800mほど歩きながら、時には泳ぎながら向かう、といった状況だった。
遥か遠くに見えるサンゴ礁を抜けた沖との境目は、激しい白波が立っている。
さっきの説明であった一番危険な箇所だ。
砂浜から海水に着水した瞬間、ゆでダコのように熱くなった体が、一気に冷まされる。
とてつもない暑さから解放され、思わず笑みがこぼれた。
沖まで約800mほどの距離だが、足が海水や砂にとられ、更にウェットスーツの浮力とも闘いながら、一歩一歩沖へ向かった。
想像以上に疲れる。
しかし、足元をみると、水族館でしか見ないような魚や、サンゴ、真っ青なヒトデなど、見たこともないような生き物が沢山泳いでいる。
ようやく沖の方に近づくと、地面に足は付くものの、体が一気に持っていかれそうな波がぶつかり続けてくる。
そこでシュノーケルマスクをつけ、フィンを装着するのだが、あまりにも不安定で、まだ腰高であるが溺れかけ、ワクワクと同時に海への恐怖を感じた。
マスクとフィンを付けたら、危険な白波を潜り抜け、一気に沖へと出るのだが、波が強くてサンゴ礁へ押し返される。
全力でフィンを搔き、思い切り沖へと向かうと、白波を抜けることができた。
沖に出て早速海の中を覗くと、そこは海の生物のみ知る、異次元の世界が広がっていた。
陸上を自由に、身勝手に開拓し続けた人類が、生き延びることなど到底できない、海の世界だ。
海の世界では海の生物たちが、毎日、毎時間、その瞬間を生きている。
小さい魚は群れを成し、泳ぎが苦手で目立つ魚は毒をもって、外的から身を守っている。
視界に入るすべての生き物が、今を全力で生きている。
今、自分の呼吸経路はシュノーケルマスクの管一本で繋がれている。
急な大波やあらゆるトラブルでその経路が絶たれれば、自分の命など一瞬にして淘汰される。
人間という生物の儚さが身に染みてわかる。
圧倒的な海の美しさへの感動とは裏腹に、知らない世界への恐怖を感じる。
澄み切った海水に、太陽が照っていたお陰もあり、海の底まで、すべてが見渡せる。
小さいイカの群れ、様々な大きさや形、色をした魚が自由に泳いでいる。
海の底には、ハワイで海の守り神といわれるウミガメが、悠々自適に泳いでいる。
感動し、近づこうとするとウミガメは危険を察知したのか、一瞬で遠くへ逃げて行く。
これが、自分の知らなかった海の世界だった。
YouTubeで何度も魚突きの動画を見ており、近所の海で毎年シュノーケルをしていたこともあったため、大きい魚を何匹突いてやろうかと、甘い気持ちで海へと入ったが、銛突きはおろか、体を安定させることさえ思うようにいかない。
今泳いでいる場所の、更に奥に見える浅瀬の向こう側に、50cm以上はありそうな魚が、群れになっているのを発見し、恐怖を持ちながら全力で追いかけた。
浅瀬を抜けると、そこは海底が見えない暗闇の世界が広がっており、底の方には巨大な魚が群れを成しているのが微かに見える。
暗闇への底知れない恐怖で、心臓の鼓動も早くなり、普段と比べて呼吸も長く続かない。
不安からふと顔を上げると、そこに仲間たちはいなかった。
魚を追いかけるのに夢中になり、ずいぶんと遠くに来てしまったみたいだ。
恐怖心からの焦りで、浅瀬に戻り、何とか足をついて深呼吸をしようと、マスクを外してしまった。
集合時に『パニックは諦め』と言われたのを思い出す。
最初に言われたルールを、無意識に破ってしまったのだ。
マスクを外し、呼吸をしようとした瞬間、大きな波で体全体をなぎ倒され、急いでマスクを付けたが、唯一の呼吸経路である管には海水が溜まっており、息を吸うことはできない。
すぐにでも息を吸いたかったが、僅かな残りの空気を管に吹きかけ、海水を飛ばした。
急なことに全身に力が入り、足が攣りかかる。
やっとの思いで息を吸おうとしたが、2回目の波が押し寄せ、もう一度管の中は海水で満たされてしまった。
その時、もう一度波にのまれたら死ぬと感じた。
生き延びようと必死に、マスクを外し、何とか顔を出して息を吸った。
その時、気管に海水が入り、シュノーケルマスク越しに嗚咽が止まらなくなったが、幸運にもその場を凌ぐことができた。
マスクを外すことがタブーなのはわかっていたが、そうするしかその時は選択肢がなかった。
同じミスはしないと思ったと同時に、ひとつのミスで一瞬にして命もろとも持っていかれると思った。
パニックは諦め…。
自然の恐ろしさを感じた。
すぐにでもビーチへ戻ろうかと思ったが、魚を捕れていない悔しさと、サンゴ礁へ戻る際の白波への恐怖心から、なかなか戻る気にはなれなかった。
しかし、疲れが溜まっていたため、もう一度同じ状況になれば、次は足が攣ってしまうだろうと思い、意を決して一気フィンを掻き、サンゴ礁へ戻った。
その日は結局1匹も捕ることはできず、全身クタクタになりながらビーチへと戻った。
時刻は18時前後。2時間ほど潜っていた。
ふと西をみると、綺麗に赤く染まった夕陽が水平線上に浮かんでいた。
その日の疲れを癒してくれるような温かい夕陽。
波のない海に、ただぷかぷかと体を浮かべ、夕陽を眺めた。
この地球と自分が一体になった、そんな感覚。
何も捕れなかったことへの悔しさ、自然の美しさ、自然の怖さ、身体中の疲れ、この地球上を循環する生命体の一部でしかない自分の小ささを感じる。
何とも言えない、心地よい感覚だった。
陽が沈み、空を赤く照らした時、研人さんが狩りから帰ってきたのが見える。
赤く染まった空の向こうに、ポツンと浮かぶ研人さんの腰には、何やらドでかいものがぶら下がっていた。
まさか魚じゃないよな?
フィンを腰に付けているのだろう。
研人さんが近くに来ると、50cmはあろうかと思えるテングハギ、ブダイなど計4匹を腰からぶら下げていた。
家族がみんなの為に、今日の晩御飯を持ってきてくれた。
そんな感覚だった。嬉しさと興奮に満ち溢れた。
聞くと50cmを超えるテングハギはものすごいパワーで水中に引きずり込んできたらしい。
1mサイズのヒラマサを捕る研人さんにしたら、お手の物かもしれないが、万が一、自分がそのサイズの魚を突いていたらと考えたら、ゾッとした。
魚突きは、命と命を懸けた、魚との真剣勝負だった。
負け方が命を失う。
さっき死にかけた自分からしたら、とても他人事ではなかった。
キャンプに戻り、海水にまみれたウェットスーツや銛などの道具を川の水で流し、木に括り付けたロープに干した。
もちろん冷蔵庫などないので、保存方法はすぐに捌いて食べるか、塩分濃度を上げて一夜干しをするかの2択だ。
酸性を強くして酢でしめることなどは、ここではできない。
日が暮れ、真っ暗になった中、文明の利器であるスマホのライトを頼りに、捕った魚を捌いた。
今晩は、刺身と塩焼きと煮付けでいただくことにした。
命を懸けた勝負に勝っていただく。
魚の命に感謝が湧き出てきた。
自分が捌いている間に、ひとりはドラム缶風呂を沸かし、ひとりは食事の仕度。
7人全員で手分けをして準備をした。
まるで、ヒトという小さな群れがこの地に集落を作り、共同生活をしているようだった。
ぎりぎりまで魚突きをしたせいもあり、夜遅くに宴が始まった。
しっかりビールは用意していただいたので、お酒を飲みながら今日の反省点、気付きをそれぞれを夜が更けるまで語った。
疲れ切った体に染み渡るビールだった。
その日はくたくたになり、溶けるように体が地面に吸い込まれていき、せっかく沸かしたドラム缶風呂にも入らず、眠りについた。
翌日、様々な動物の鳴き声、燦燦とテントに照り付ける太陽で目が覚めたが、身体の疲れが残っており、もう一度眠りについてしまった。
目が覚めてテントを開けると、既にみんなが起きており、昨日の残りの食事を温めてくれていた。
川の水をろ過したものを煮沸して、インスタントコーヒーをいれたが、どんなに高価なコーヒーよりも美味しく、寝起きの身体に染み渡るようだった。
自然の中では、スケジュールは立てられない。
天候ですべてが左右されるからだ。
スケジュールという概念が生まれたのは、工場勤務が始まった産業革命以降の話らしい。
大量生産の始まりから生まれた、たった200年ほどしか経っていない新しい概念だ。
なんだかんだと準備をしながら、午後にビーチへと向かった。
2月13日、この日もありがたいことに2月とは思えない暑さだった。
この日は昨日の反省を活かして、溺れることはなく、自力で魚を突くことができた。
早い時間に切り上げてビーチに戻ると、山の向こうが真っ黒な雲に覆われている。
ゆっくりしている時間はなさそうだったため、走ってキャンプ地に戻った。
道具を洗い干していると、予想通り雨が降り始めた。
服を濡らしたくなかったので、上裸で雨に打たれながら魚を捌いた。
雨が弱くなると、大量の蚊が身体中に吸い付いた。また雨が強くなると、蚊は減るが、身体を芯から冷やした。
なぜか、必死に生きることを楽しんでいる自分がいた。
自分で捕まえた魚を捌き、おいしく頂く。
命と命の勝負に勝ったのだ。
とにかくありがたかった。
ずぶ濡れで魚を捌いている間、仲間がドラム缶風呂を沸かしてくれていた。
煙の匂いが漂うドラム缶風呂は、湯加減をずっと確認してくれていたお陰で、冷え切った体を癒してくれた。
海の綺麗さ、銛突きの過酷さ、仲間の大切さ、そしてドラム缶風呂、すべてが予想を超える感動だった。
ながながと温まっていると、キッチンから『ご飯できたよー!』との声。
余りにも気持ちがよくて、そしてちょっと開放的で、長く入りすぎた。
宴は自分の捕った魚を頂く最高の食事だった。
ただただ、ありがたい。
最後の夜は、焚火を囲って夜遅くなるまで語り尽くした。
何年か前、海外の長旅から帰ってきた友達から、仲間との別れの夜の話を聞いたことがある。
ビーチで焚火を囲いながら、みんなで熱く語り尽くしたという話。
その瞬間がその友達にとって人生の大切な瞬間で、今の自分を作っている。
そんな話を聞いたことがあった。
そんな人生を変えるような瞬間を、多くの人に提供できたらいいなと、その時考えたのを思い出した。
そして、いつか自分が人に提供したいと思い浮かべていた最高の瞬間を、その時、自分自身が味わっていた。
何時間語っただろうか。夜が更け、明日にはみんなとお別れだ。
寂しい気持ちでいっぱいになり、考えると涙が出そうだった。
最初の車の中は、共通の話題もなく、会話もままならない雰囲気だったが、ここにいる7人は、既に同志になっていた。
出会いがあって、別れがある。
住んでいるところは様々だが、離れていても心は繋がっている。
翌日、海岸のゴミ拾い、キャンプ地の後片付けをしてフェリーに乗り、石垣島へ戻った。
大自然の中にいたせいか、石垣島のフェリー乗り場が大都会にみえた。
そして、人類を感じた。
また明日から変わらず、この世界で生きていくんだ。
石垣に戻って夕方18時半、残念ながら全員ではなかったが、みんなと予定を合わせて居酒屋で語り尽くした。
しこたま飲んで、最後はみんなと熱く抱き合い、別れた。
強い絆ができたお陰で、不思議と寂しくなかった。
友ちゃん、研人さん、コス、かおるん、航平、利久さん、そして西表島、本当にありがとうございました。
また会いましょう。
これからもよろしくお願いします。
修平
最後に
自分自身、東京消防庁を退職して、ギブ&テイクではなく、ギバーで回るようなコミュニティーを自分で作ろうと、会社を起こした。
しかし、ビジネスの世界はギブ&テイクで回るものであり、どこか違和感を感じ、苦しんでいた。
この合宿を通して、自分は地球という星に循環する、生命の一部であり、儚い存在ということに気が付いた。
ただ生きていることへの儚さや、その儚いもの達が作った圧倒的な地球の美しさ、そして自分の小ささを感じることができた。
自然に人間の理屈やルールなど通用しない。
ルールや常識に縛られていた自分の概念ごとぶっ壊された。
そして何より、ギバーで回っていくコミュニティーを目の前で見ることができた。
全員が心から感謝をしていた。
そして、みんなの心には愛があった。
すべて自分の中に取り入れ、自分の利益にしようなんて、こんなちっぽけで儚い自分には到底出来っこない。
そんなものに夢はない。
ならば、この地球に自分という儚い存在をどう活かしていくのか。
様々なものが折り合いながら存在し、今ここに自分の存在があること。
ただただ、生きているということ。
『自分はどう生きるのか』
そんなことを考えさせられた銛突き合宿だった。
心から感謝。
ありがとうございました。