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「狂人の生き方」について

狂っていることが正義

「狂ってる人」というものは結構いると思っていて。
狂った生き方ができる人はいわゆる「才能」と呼ばれるものを持っていると思う。

たとえば「ボクシング」や「格闘技」などのジャンルを「今の時代」にやる理由とは何?なのか。

生きる為に今の時代に全くやる必要の無いこと。
人を「殴る」や「壊す」をやる。

それを自分の人生の「核」や、やりがいとしてやるということを「正しい」とするカルチャー。
オリンピック選手やプロスポーツ選手においては何万時間、という時間を人生でそのスポーツに使う。

全集中だ。

まさに「狂気の沙汰」である。

最近のスポーツには大きな矛盾が生じていると思っていて

例えばスポーツ選手が不倫をしてニュースになったり
品行方正や「人としての素晴らしさ」を求められたりする。

いやちょっと待てよ?と

あの人達は「狂人」なのである。

「陸上」「水泳」や「野球」「サッカー」

あらゆる「スポーツ」という今生きる上で何の役にも立たない。

金になる確率も何万分の一というものに
狂っていると言っていいほどの時間体力熱量を費やしている。

そんなことは「狂って」いないとできない。

もっと言うと「人間離れしたパフォーマンス(世界記録更新 etc...)」をする為には「普通の人間」の感覚でいっても超えられない壁。
狂っていないと超えられない壁があるのだ。

「一般感覚」や「倫理観」との両立とは果てしなく矛盾するのではないか??という問いである。

表現の場所

みんな普通に生活して、普通に仕事をし、普通に家族と楽しい時間を過ごす。

それがあたりまえでそれが自然で、それが「社会性」ってやつである。

一般社会においては生きる上で常識が求められるし、モラルや社会のルールの中で我々は生きている。
もちろん信号は守らなければ車にハネられるし、お店でお金を払わずに飯を食ったら無銭飲食だし、人を殴ったらそれは捕まって罰を受けなければならない。社会で生きている人間だから。

でも一人一人の中に「狂気」は眠っていると思っている。
確実に人間の奥底に。

それが、文学なのか、芸術なのか、音楽なのかスポーツなのか。
はたまた性的嗜好に行き着くやつなのか(犯罪はダメよ。ゼッタイ)

ただ多くの表現があるし、僕は個人の表現を尊重したいし磨けるだけ磨いてほしい。
そうしたほうが面白いし、スゴイ人間は確実に増えるから。

それを見い出すキッカケとして「ボクシング」はとても良いコンテンツだと思っています。

ホワイトカラーボクシング

ぼくも長年ボクシングやキック、その他の格闘技と携わってきましたがそのジャンルそのものに「狂気」があります。

よく言えば「エンターテインメント。」

悪く言えば「やっちゃいけないことを表現できる場所」

です。

まだ再開の日にちは決まっていませんがここからエントリーできます。エントリーしていただければ試合日時が決定次第こちらから連絡をさせていただきます。(出場の是非はそれからお返事いただければと思います。)

↓↓↓

「だれでもBATTLE エントリーフォーム」


僕は「狂気」が見たい。

一人一人の心の中に「狂気」は眠っています。

そんな、自我を目覚めさせるようなキッカケ。
また自分の本質と向き合い新たな発見もできるようなものの一つとしてこういうものがあってもいいんじゃないかと思います。

急にステマっぽい記事になりましたがwww

自分の中身を覗いてみる経験っていいんじゃないかと思います。

p.s
「狂気」といえば大好きなこちら。
教科書に載ってるような文豪たちが狂気的にクズで面白いので参考までにwww

文豪どうかしてる逸話集

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