そのプロダクトで、心は動いているのか?
僕は今、UXデザイナーとして、BtoB SaaSのプロダクトをつくっている。携わっているのは、『ストレッチクラウド』という名前の成長支援サービス。360度サーベイや研修を変化のきっかけに、継続的なアクションプランの実行に伴走し、個人の成長・変革を実現する、というものだ。まだまだ発展途上なので、どのように成長実現の確率を高め、再現性を生み出すかを探求中である。
今し方、カケアイという1on1支援サービスを運営する会社の創業者の本を読んでいて、衝撃を受けた。具体的なUXがどうとか、サービスのアイデアが云々ではなく、もっと根本的な部分で、強烈な焦りを覚えた。
覚えた焦りを2つ、書き起こしてみる。
もっとユーザーの心が動く瞬間を生み出さなければならない
書籍の中で、「長年1on1などしていなかった上司と部下の距離が、ほぼ初めてに近い1on1で一気に縮まった」というエピソードが紹介されていた。それは、「このサービスを使って生まれたあの瞬間を絶対に忘れないだろう」というユーザーにとっての強烈な成功体験であり、「こんな瞬間を生み出すために、自分たちはこのサービスをやっているんだ」という誇りと歓びを開発チームにもたらすものだと思う。
翻って、今自分が携わっているプロダクトで、そんな瞬間をどれだけ生み出せているだろう、と考えた。ありがたいことに、実際に使っているユーザーの方から、「このサービスをきっかけに部下との関係性が変わりました!」「これがあることで、着実に成長できています!」というお声を頂くことはできている。しかし、そんな瞬間を一人でも多くの人に、一日でも早く、一秒でも長く、より大きな喜びを伴って届けるために、どれだけのことができているだろう。正直、まだまだ、本当にまだまだである。
「すべてのユーザーに成長を届ける」という目標を掲げ、そこに向けて様々な検討を進めていたが、「どれだけ人の心が動いたのか?」「忘れられない瞬間を生み出せているのか?」という問いは、自分の中であまり立っていなかったように思う。(「本当に人が育つのか?」という問いに、良くも悪くも縛られていた。)
BtoB SaaSという業務支援領域でサービスを展開する上で、「深く忘れがたい体験をユーザーに届けたい」というのは高望みなのだろうか。そんなことはないはずだ。toBだろうがtoCだろうが、本当に多くのユーザーに価値を届け、愛され続けているプロダクトはすべからく、ユーザーの心を動かしている。「効率化」や「ROI」が問われるビジネスドメインだからこそ、その"Must"をクリアした上でユーザーの心を動かすことができれば、本当の意味でオンリーワンのプロダクトになることができるはずだ。
ましてや、「人の成長」や「組織の変化」の実現を謳っている我々のようなサービスであれば、そんな瞬間を当たり前のように生み出し続けなければ、目指す未来は実現し得ない。今一度、「ユーザーの心を動かす」「忘れられない瞬間を生み出す」というゴールを見据えて、サービスを向き合おうと心に決めた。
青臭い願望と、泥臭い執念は、プロダクトに宿っているか
もう一つ、この本を読んでいてとても印象的だったのは、徹頭徹尾、創業者の本田さんの「実体験」と「実現したいビジョン」がプロダクトに宿っていることだった。ユーザーの心を動かすだけではなく、「つくり手である自分自身の心を、どれだけ動かせているのか」という点である。
リクルートでマネジャーを務めていた時に、部下と全く心が通じていなかった挫折体験。1on1という対話をきっかけに関係性が変容し、チームのあり方も事業成果も激変した成功体験。それらの体験を通じて「1on1」に見出した希望と、結果として生み出された「属人的なマネジメントをなくし、人生の可能性を絶対に毀損させない」というパーパス。
人生を賭けて、全人的に自分の感情や想いを込めてプロダクトをつくっている様子が伝わってきた。自分自身、今働いている会社や取り組んでいるプロダクトには、思い入れを持っているし、実現したいビジョンや解決したい課題も明確にあると思っていた。
しかし、本田さんの言葉に触れていく中で、「果たして自分はここまでの想いや情熱を持って、プロダクトに向き合えているだろうか」「どこまで体重を乗っけて、自分の存在をぶつけられているだろうか」という問いが頭から離れなくなった。
「原体験なくして、いいサービスはつくれない」という考え方には、賛成の声も反対の声も数多くあると認識している。すべての人に原体験があるわけじゃないし、ドラマチックな体験やエピソードがある人ばかりではない。
それでも、ひとりひとりの人生は何者にも代えがたいオンリーワンの財産であり、その人しか知り得ない・感じえない感情や記憶の蓄積である。原体験の大きさなどは、どうでもいいことで、一つ一つの出来事に貴賎も存在しない。
そう思った時に、自分の人生も、やりたいことも、情熱や欲望の矛先も変わり続けていくという前提は持った上で、「今この瞬間、自分は何に賭けたいのか」「何に命を燃やすのか」ということを考えてみるのは、すごく大事なことだと思った。(すべての人に、「人生を賭けて何かをやれ!」「命を燃やせ!」と言いたいわけでは、もちろんない。あくまで、自分自身の心の置き所の話である。)
それは言うなれば、青臭い願望を恥ずかしげもなく掲げ、その実現に向けて泥臭く走り続ける執念を持ち続けることであり、そんな想いや生き様をプロダクトにぶつけられているのか、ということだ。自分の心を動かすことができているのか、ということだ。
いっときの激情に駆られていることを自覚しているからこそ、何度でも立ち返るためにあえて書き残す。一度きりの人生、せっかくの機会、そんなチャレンジを思う存分できる環境にいられるのだから、やれるとこまでとことんやってみよう。
創業者やプロダクトオーナーでなければ、それほどの情熱を持つことも、全身全霊でプロダクトと向き合うことは不可能である、というのは欺瞞だ。それを言い訳にしたくない。心からそう思う。
思いっきりやろう。