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苦界浄土
石牟礼道子著「苦界浄土」は聞き書きではない。事実を強烈に踏まえているけどドキュメンタリーじゃない。私小説だ。
丹念に取材して、対象の言葉を丁寧に紡ぐのがドキュメンタリーの王道ならば、この小説は違う。新日本窒素水俣工場が起こした事件の事実を丹念に追うので、まるでルポルタージュのように感じてしまうかもしれないが、全く違う。石牟礼さんは、そんな文書は書いていない。
苦界浄土本編中に、
子供のいのち年間 三万円
大人のいのち年間 十万円
死者のいのち 三十万円
葬祭料 二万円
昭和三十四年 新日本窒素水俣工場と水俣病患者互助会が取り交わした見舞金契約書。
「将来、水俣病が工場排水に起因すると判っても、新たな補償要求は一切行わない」当時の日本の人権思想。とある。
五十年以上も経ったけど、日本の人権思想は、変わっていないね。
まさに、民度が低いのか。
最近「民度」という単語、表現が散見するが、民度とは国を挙げての体質のことだと思う。隠蔽の体質、正直を忘れた政治家、大勢に流され意見のない国民、弱い者いぢめ。
苦海浄土 石牟礼道子著を今読むとこころに染みる。何も変わっていないじゃないか!その一端は自分にあるのだ。
12/23 追悼シンポジウム「石牟礼道子 死者と魂」が開催されます。東京・四谷の上智大学へ直接出向いても参加出来るようです。