子供と添い寝がしたい芸人パパの4年間
娘はママが大好き。
そんな事は当たり前だし、分かっているし、パパが勝てるなんて思ってはいない。
でもパパも大好き、でいて欲しい。
そしてそれを感じる瞬間は何度あってもいい。
それはもう多ければ多いほどいい。
ウチの娘は、ベビーベットで寝る時期を過ぎて3人で一緒に寝るようになってから、ママに抱っこをされて寝るのが1番落ち着くようで、仰向けのママにうつ伏せで重なり、そのままママの腕に抱かれて寝るのが習慣になった。
ママに抱かれて心地良さそうにスヤスヤ寝る寝顔ったらもう。そりゃあ可愛かった。
「寝る」=「ママにくっつく」
というのが娘の中に根付いたのはこの頃だと思う。
一歳になる頃には「寝るよー」という言葉を聞くと当たり前のようにママに抱きつきに行くようになった。
夜の寝る時間以外でも、眠くなったら自分からママに抱っこされに行く。
というぐらい、寝るとなると常にママの腕の中で娘は寝た。
たまに「今日はパパと寝ようか〜」なんて言いながら僕が抱きかかえるとギャンギャン泣き出したりしたので、まぁ赤ちゃんのうちはみんなそうなんだろうなと思いながら「ごめんごめんママがいいねー」と娘を抱っこして寝ることは諦めていた。
そりゃそうだよな。とは思う。
娘に向き合って育児をしてくれている時間が長いのは嫁さんだし、何より、パパの体はゴツゴツしてる。
「親の体」を「寝床」として考えた時、絶対にパパは寝心地良くないだろう。
固いベットの良さを知るようになるのは、腰痛に悩まされる歳になってからだ。
「抱かれ寝」から「添い寝」に変わる年齢の頃には、きっとパパにくっついて寝てくれる筈だ。
そう期待しながら、その時を待った。
1歳は抱かれ寝。
2歳から少しずつ添い寝へ。
3歳でほぼ添い寝。
その全てはもちろん、ママとだった。
ママへの抱かれ寝。ママとの添い寝。
寝る時に娘がパパに寄り添ってきた日は、1日だってない。
その間も何度「今日はパパと寝ようか〜?」と娘に声をかけたか分からない。
繰り返される僕の問いに、喋れるようになった娘はずっと同じ答えを続けた。
「イヤ」
理由なんてない。
その問いにはこの答え。
それがこの世の決まり事。
分かってよねパパ。
そんな行間が含まれる、短くシンプルな娘の言葉。
「イヤ」
年齢と共にどんどんと成長していく語彙力を全く利用せず、全ての年齢で、娘はパパの添い寝の誘いに同じ言葉を返してきた。
「イヤ」
そうか。わかった。
3歳の後期頃になるともう「パパの質問は完全に無視」をかましてくる日すらあった。
それでもパパは諦められなかった。
だって!
先輩パパ達から話は沢山聞いているんだ!
小学生ぐらいになったらパパが同じ部屋で寝ることすら嫌がる!らしいじゃないか!
娘の父親離れは驚くほど早い!らしいじゃないか!
今なのだ!今しかないのだ!!!
そうとなると、パパがとる行動は一つしかない。
「既に寝付いた娘に、こちらから添い寝」だ!
ママと寝る、とは言ってもそれは寝付く(入眠する)までのこと。
寝付いた娘に、こちらが添い寝をすれば良いだけなのである。
見たか娘よ!これが大人の知恵だ!!
娘が完全に寝ついた後、嫁さんにお願いして、静かに娘の隣を譲ってもらう。
そして、1番近くで娘の寝顔を見ながら寝るのである。
「子供の寝息を聞きながらそれに誘われて自分も寝てしまう」
これこそが子育ての醍醐味なのだ!
ひゃっほう!
幸せだった。
しかし、その添い寝で幸せを感じる日々を過ごしている間も実は、自分の中に何か引っかかものがある事を僕は感じていた。
違う。
これは何かが違うぞ、と。
そしてその違和感の正体は分かっていた。
そう、これは、「作られた添い寝」だ。
「自然の添い寝」ではないのだ。
僕がやっているこの添い寝は、いわば養殖の添い寝だ。
僕は、自然に発生した、大人の浅ましい知恵という手が加えられていない、天然の添い寝がしたいのだ!
養殖の良さは知ってる!
でも!天然も知ってこそじゃないか!
そうだろう?
もちろんこの場合の天然の添い寝とは「娘の意思によるパパとの添い寝」である。
人間というのはなんて欲深い生き物なのでしょうか。
手に入れた幸せでだけでは満足出来なくなり、更に更にを求めてしまう。
神様、愚かな僕を、どうかせめて鼻で笑ってやってください。
そんなふうに僕が天然添い寝を夢見て過ごしている最中の2021年、娘が3歳の時、我が家に大事件が起こった。
嫁さんが新型コロナウイルスに罹患した。
幸い軽症ではあったが、嫁さんは隔離施設のホテルに1週間の療養。
僕と娘は検査で陰性が出たものの、濃厚接触者ということで14日間の自宅隔離という措置になった。
コロナウイルスがどういうものかとか、何故ずっとパパと2人で過ごす事にになったのかとか、何故外に出たらいけないかとか、そういう事を3歳という年齢の娘はしっかりとは理解出来ないようだった。
なにより超絶ママっ子の娘が、何日もママと会えないで寂しがる姿は見ていて辛かったし、その他いろいろな事が本当にしんどい数日間の2人っきりでの隔離生活だった。
でもそんな中で、色んな楽しみを見つけ2人で笑って過ごすうち、娘と僕の信頼関係というか、絆ようなものが深まっているような、そんな喜びを感じられる日々だった。
そして、そんなパパと娘2人っきり生活の中で嫁さんが1番に心配してたのは、娘の睡眠だった。
産まれてからその日まで毎晩ママにくっついて寝てきた娘が、ママがいないでもちゃんと寝れるのかを、とにかく心配していた。
しかしそんな嫁さんの心配事を、僕はチャンスだと捉えていた。
これは、もしや?
ママがいないのなら、娘はママの代役にパパを指名してくれるのではなかろうか?
寝る時間になったら、パパのところに来て、添い寝してくれるのではなかろうか?
そう考えていた。
自宅隔離生活初日の夜。
慣れない生活の始まりの日、心身共にクタクタの父娘。
消灯し「おやすみ」と言った後も、ドキドキして眠れないでいる僕。
その隣で、
娘は、
普通に1人で寝てた。
いや、普通に1人で寝れるんかい。
ママが居ないなら居ないで、普通に1人で寝れるんかーい。
あぁそういや保育園のお昼寝の時間とか、ママがいないでも寝れてるんだったね、君は。
茫然と娘の寝顔を見つめながら、もう「天然の添い寝」は一生ないのだと諦めた夜だった。
この日を境に、僕は娘に何度も言っていた「今日はパパと寝ようか?」を一切言わなくなった。
「運命の女神は、気まぐれに微笑む」
誰が残した言葉なんだろう?
素晴らしい名言だ。
その日は4歳になった娘の保育園行事で、親子レクリエーションという行事に参加していた。
嫁さんが仕事で参加出来なかった為に僕が参加し、午前中から同じクラスの子供達と保護者みんなでの運動遊びをして過ごした。
お昼前に解散となり、帰宅してご飯を食べるまで、娘と2人でずっとキャッキャと遊んで過ごしていた。
お昼寝の時間になり、娘にそろそろお昼寝しようか〜と声をかけた後、僕は前の日から仕事での睡眠不足もあり、娘を寝かしつける前にいつの間にか寝てしまっていた。
ケータイのアラームが鳴り目が覚めた。アラーム音を止めるため体を起こそうとした時、右半身に重りを感じ、寝ぼけ眼でそちらに目をやった時だった。
娘が、、僕に、、ぴったりくっついて、、
添い寝していた。
あまりに突然のその状況に、寝ぼけた頭では理解が追いつかず、喜びが爆発するまでは少し時間がかかった。
「起きるよー」と声をかけると、娘はその状況がさも当たり前みたいな顔で「おはよう」と起きてきて、そのまますぐにジュースを飲もうとしたので「ジュースは駄目!麦茶にしなさい!」「嫌だ!ジュース飲む!」と速攻で喧嘩になったが、叱っている僕の顔はニヤけっぱなしだった。
きっとあれは娘の気まぐれだっただろうし、もしかしたら寝返りをうった時に隣にいた僕にたまたましがみ付いただけかもしれない。
それでもいい。
それでも、いいんだ。
パパはこの事だけで、これからも頑張れるんだ。
子育てを「させて貰っている」喜びを、最大限に感じる事が出来た日だった。
当たり前みたいな顔して、君が隣で寝てたから、5月23日は添い寝記念日。