「四号警備 新人ボディガード久遠航太と隠れ鬼」試し読み(2)/安田依央
【前回】 【登場人物紹介】
猿橋が即身仏になる手助けをした者がいるのか。あるいはそう見せかけて殺害したということか?
にしても、外国の通信社から配信された記事を見ているのも不思議だ。航太の疑問に答えるように口を開いたのはそうびだ。
「国内での報道が遅れているのは、各社が報道を見合わせたせいだ。あまりおおっぴらには報道できない理由があるんだろう」
「えっ。そんなことってあるんですか?」
スーツ姿のそうびはソファに腰かけ、紅茶茶碗を手にしていた。目を伏せているだけでぞくっとするような美しさだ。溜息が出る。そうびはいうまでもなく、烈に一色、社長に至るまで、紅茶を飲んでいるだけで恐ろしく絵になる人たちだった。
「あるかないかで言えば、あるな。しかし、外国の通信社には横並びの報道協定が及ばず、すっぱ抜かれる形になってしまった。そろそろこの記事に気づいた善良な市民たちが騒ぎ出す頃だろう。情報が拡散しきる前に、国内の報道各社も慌てて追随するはずだ」
確かに誘拐事件などでは犯人を刺激したり、情報を与えないように報道協定を結ぶ、という話を読んだことがあるが、今回の事件に何か伏せておくべき事情があるとも思えなかった。
「何故、報道を規制する必要が?」
航太の問いにそうびがふっと笑った。
「その内、お前さんも知ることになるだろう」
え、何なのそれ? と思った。
社長室から出て首をかしげながら皆のうしろを歩いている。消化不良だ。恐らく航太だけが話を飲み込めておらず、他の皆は理解している。一体何のことなのか教えて欲しかったが、航太にはまだ早いということなのだろうか。
オフィスフロアの一角に応接室がある。部屋の入口には使用中の表示が出ており、ちょうど大園班所属の元海上保安官がお茶を運んでいくところだった。お茶といってもコーヒーサーバーのものをホルダーつきの紙コップに淹れたものだ。
彼はやあ、と言い、一色に軽く会釈をしてコーヒーを零しそうになっている。一色の手伝いで紅茶ポットなどの載った盆を持っていた航太は思わず一色を顧みてしまった。
「何ですか久遠君? 私が皆さんにお茶を淹れているのはあくまでも趣味です。他班のためにお茶を淹れるつもりはありませんよ」
「そ、そうなんですね……。いつもおいしいお茶をありがとうございます」
そう言うと、一色はちょっと驚いたような顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「そこでお礼が言えるのはいいことですね。あなたの美質ですよ」と言われて、えっ? と思った。そんなつもりはなかったのだが、普通は言わないのだろうか。なるべく周囲から浮かないように気をつけているが、時々こんな風に少し変わった反応をしてしまう。気をつけないとと思うが、そもそも何が原因でこうなっているのか分からないので困るのだ。
次の予定まで少し時間があった。
この会社には立派な庭園がある。天気もいいので散歩がてら植物の様子を見ようと思った。先日より社長の許可を得て、植物の世話をしている老婦人の手伝いを始めたのだ。老婦人の名は一子さんといい、御年七十を超えている。庶務の仕事を長く務めながらエスコート班で子供の送り迎えをしている、この会社の生き字引みたいな人だ。航太は空いた時間があると、彼女の手伝いをしながら植物のことを色々教わるのを楽しみにしていた。
正面入口のすぐ脇に小さな薔薇園がある。一子さんの姿は見えないが教わった通りに薔薇の健康状態を見ている。と、大園班の数人の声が聞こえた。先ほどの客人が送り出されて来た様子だ。
客人たちは若手の男性が来客用の駐車スペースに車を取りに向かったのを待ちながらエントランスを散策しているようで、会話が聞こえてきた。
彼らは中南米に出かける予定があり、その際の警護を依頼に来たという話だ。大園班には海外専門の警護チームがある。航太は会ったことがないが班長の大園は主にこのチームを率いており、ほとんど国内にいないらしい。
精鋭揃いの大園班の中でもこのチームには元傭兵や外務省出身の海外情勢の分析官などが所属しており、外国籍の人間もいる。先日、社内で出会い頭に来栖よりも大きな外国人にぶつかりそうになって、「ははっ。気をつけな、キュートなお嬢ちゃん」みたいなことを英語で言われて、はあ? と思ったのだ。
以前、魚崎と共に参加した現場で、航太は通り魔に襲われたホームレスの老女を助けようとして、自身が危険にさらされたことがある。これが原因で強く叱責され、警護員失格だとまで言われてしまった。
大園班エースの来栖という男は、金を払っている依頼人の命を護るのが自分たちの仕事だと言い切ったのだ。
もちろんその通りなのは分かっているが、では、その隣で殺されそうになっている人を見殺しにしてもいいのか?
航太にはどうしてもそう思えなかった。
だが、警護員は組織で動くものだ。指揮官である来栖の指示に従わなかった航太に非があるのも間違いない。頭では分かっているが、どうにも納得できないものがあった。
現在は一応、獅子原班に仮配属という形になっているが研修期間中は遊撃というポジションだ。状況に応じて他班の応援をする。ただし、来栖の不興を買ったために、航太は大園班からは出入り禁止をくらっていた。
航太が希望するなら大園班に入れるようにすると烈は言ってくれているが、本当にそうなるのか。それ以前に、自分は本当に大園班に行きたいのだろうか? 段々分からなくなって、日々自問自答しているところだ。
「とりあえずこれで来月の出張も安心だね。あちらはとにかく治安が良くない」
「本当にそうですよね。僕はともかく、長沢社長はかけがえのない方ですから。何としても護ってもらいませんと」
あれ? と思った。客人二人の会話に、聞いたことがある声が交じっていて、ちらりと目をやる。向こうから航太がいるのは見えているはずだ。ただ航太は庭仕事をする際には必ずかぶりなさいと一子さんから言われているつばの大きな麦わら帽子をかぶっているし、首には汗を拭うためのタオルをかけている。当然上着もネクタイも着用していないので造園業者に見えているのかも知れない。
一人は六十がらみの重役タイプ。話し方にも態度にも貫禄がある。話相手はと見ると、やはり先日、浅川社長宅で出会ったマーケター石神だ。挨拶すべきかと思い、「本日はありがとうございました」と立ち上がって丁寧に頭を下げたが見向きもされなかった。
長沢社長と呼ばれた男が笑って言う。
「謙遜しなさんな。かけがえがない存在といえば石神さんだろう。辣腕マーケター、各企業が喉から手が出るほど欲しがってるっていうじゃないか。そういう我が社も三顧の礼であなたを迎えさせていただいたわけだし」
「いやいや、当社はもうそんな、僕の方が経営に参画させていただけるだけでもったいないというものですよ」何となく調子がいい。
「そういえば、今度みどりとかいう下品な女社長の所に行くそうだね。驚いたよ、あなたの食指が動くような会社じゃないだろうに」
「だからこそですよ。いえね、ここだけの話、あの会社の内情はひどいもんでね。社長も我が強いばかりの素人ですよ。経営のイロハも知らないおばさんが勢いだけでよくもあそこまでやってきたものだと感心してますがね。やはり経営者たるにはそれだけの資質のある人間でないと。おばさんの井戸端会議みたいなあの会社のやり方にはヘドが出る。僕が入ったからにはちゃんと思い知らせてやるつもりです。経営ってのは選ばれた男が統べるものだとね。ここだけの話、実はもうしかるべき担い手も見つけてありましてね」
「おぉ、怖い怖い」
二人の男が笑いながら車に乗り込んで去って行く。無性に腹が立った。別に浅川社長のことは好きでも嫌いでもないが、事業拡大を考え、信頼して迎えたはずの執行役員がこんな心づもりでいるなんて裏切りにも程がある。まして彼らからすればここはよその会社の敷地内のはずだ。誰が聞いているかも分からないのに、こんなにも堂々とコケにするなんてあんまりだ。あんな人が辣腕マーケター? 冗談じゃないと航太は思った。
でも、どうする? このことを浅川社長に報告するのか? いや、それはできない。
「何とも腹立たしいですわね」
「一子さん」
不意に聞こえてきた声にしゃがんでいた航太は慌てて立ち上がり頭を下げた。
「今の時代にあんな風に女性を下に見て、経営を統べることなどできるのかしら」
愛らしい顔で首をかしげる一子さんに気持ちを代弁された気がして、航太は頷く。
「久遠さん、今のことを浅川社長に教えて差し上げたいと思って?」
「あーどうなんでしょう。気持ちとしてはそう思わないでもないですけど」
「一個人としてはわたくしもそう思いましてよ。でもいけません。理由はお分かりよね?」
「はい。守秘義務がありますから」
要人警護の性質上、警護中に色んな話を見聞きする機会がある。会社の重要機密から要人のプライベートまで様々だ。警護されるのに慣れている人にとって警護員は空気のようなものらしく、傍に警護員がいても平気で機密事項を口にするし、赤裸々な振る舞いをする。
逆にいえば、それだけユナイテッド4の警護員が信頼されているということだ。
なので守秘義務は何を置いても絶対に遵守しなければいけないものだと、教育係の浦川そうびによって最初に叩き込まれていた。
「よろしいですわ。あなたの正義感はとても好ましいものだけどこの仕事は時にそれとは相反せざるを得ないことがあります。こんなことを強いるのは心苦しいのだけれど、何より優先しなければいけないものよ。どうかそれを心に留めておいて下さい」
「はい」
彼女の物腰はとても上品なのに不思議な重みがあり、我知らず背筋が伸びる気がする。
一子さんはいつもの柔らかい笑顔に変わり、薔薇の剪定について教えてくれた。
即身仏の事件はその後しばらくマスコミを騒がせたが、結局猿橋の自殺だということで決着した。
「そういえば、なんで報道規制がされていたんですか?」
烈と共に現場に向かう途中、今更ながらの航太の疑問に烈が、にやりと笑った。
「そりゃあれだ。忖度ってヤツだぜ」
「忖度? 誰に対してのですか?」
次の言葉を待つが、烈はビルとビルの隙間、昔ながらの喫茶店の角に置かれたプランターから伸びる萎れかけのひまわりを見て、「おっ」と声を上げた。
「カナディアンロッキーの麓の街で見た九月のひまわりを思い出すなあ。昨晩までは鮮やかな色彩に生命力の横溢を誇っていたのに、翌朝には積もった雪の白に覆われ、凍えていた。眼前に拡がる山脈、峻厳な大自然の中、人間の営みの何と儚く、健気なことか」
例のごとくポエムを語りながらひまわりの花弁に手を伸ばし頬を寄せる。少女めいた美しい顔にひまわり。恐ろしく絵になるのがちょっと腹立たしい。
「獅子原さん、それ説明する気ないですよね」
航太の抗議におかしそうに烈が笑う。
「すまんすまん、今はな。だが、そのうち君にも分かるだろう」
そう言うと、もう歩き出している。
またかと思った。誰が誰に忖度をしているのか。航太は考えを巡らせながら烈の後を追った。
(第3回につづく)
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