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雌鶏 第七章/楡 周平
1
貴美子(きみこ)から計画を聞かされた小早川(こばやかわ)は素早く動いた。
誠一(せいいち)の修士論文に目処(めど)がついた時点で、指導教授のマクレインに、「帰国後は現職の衆議院議員である父親の後継者となるべく秘書になることを決意した。日米は今後より一層固い絆(きずな)で結ばれることになるであろうから、アメリカの政治の場に身を置いて研鑽(けんさん)を積みながら人脈を築きたい。ついては上院でも下院でも構わない。私を受け入れてくれる現職議員を紹介してくれないだろうか」と願い出た。
院生時代の成績も申し分ない。誠一の人となりも熟知しているし、現職の国会議員、それも大蔵政務次官の息子である。
それでも、卒業後は直ちに日本に帰国するものと思っていたマクレインは、少し驚いた様子だったと言うが、彼もかつて次席補佐官として政権内で働いた経験を持つだけに、日米双方の政界に深いパイプを持つ人材を育てるまたとないチャンス到来だ。それに、ビジネスマン、留学生のいずれを問わず、長く滞在した国にシンパシーを覚えるようになるのは洋の東西を問わない。
マクレインも自分の弟子からアメリカ贔屓(びいき)の国会議員が誕生すれば、国益にもなると考えたのだろう。彼は誠一の申し出を快諾すると、ミシガン州選出の上院議員、アルバート・ヘンドリクスを紹介してきた。
小早川によれば、ヘンドリクスは保守強硬派とされる人物で、早くからマクレイン同様アメリカ市場を席巻する日本車の脅威を訴えてきた対日強硬派の急先鋒だという。
マクレインの紹介とはいえ、いずれ日本で国会議員になる人物を、自分の事務所で働かせることにヘンドリクスは難色を示したらしいが、小早川が語るには彼自身が書いた手紙が功を奏したらしい。
年功序列、前例主義、高齢者による議会支配等々、日本の政界が未(いま)だ旧態然とした体制下にあることに危機感を覚えていることを訴え、アメリカでは若く才能に満ち溢(あふ)れた人材の登用を躊躇(ちゅうちょ)せず、政治のみならずビジネス社会においても重用される。そしてリーダーが代われば、政策、経営方針、組織までもが一変してしまうアメリカのダイナミズムを称賛し、将来日本を率いる人材になるべく誠一をヘンドリクスの元で学ばせたいと訴えたと言うのだ。
これに対してヘンドリクスはスタッフの雇用は議員本人の裁量に任されているとはいえ、誠一は外国人である。正式にスタッフとして働いてもらうことはできないが、インターンとしてなら迎え入れると返してきた。
かくして誠一は、無事修士号を修めると同時に、住居をニューヨークからワシントンDCに移し、キャピタルヒルズ内にあるヘンドリクスのオフィスで働くことになったのだった。
朗報は直ちに小早川から電話で知らされたのだったが、さてそうなると、どうやって鴨上(かもうえ)の首を取るかだ。
小早川が貴美子の元を訪ねてきたのは、誠一がワシントンに居を構えて、十日ほど経(た)った頃のことだった。
「思いの外うまくいったわね。私も調べてみたけれど、ヘンドリクスって、将来大統領になるかもしれないって言われるほどの有望株らしいじゃない。それに保守本流、しかもミシガン選出とあって日本の自動車産業を目の敵にしているんでしょう? インターンとはいえ、よく日本人をオフィスに入れてくれたわね」
「一番効果があったのは、マクレイン教授の推薦状でしょうね」
目的が無事果たせたことに、安堵(あんど)しているかのように、小早川は目元を緩ませる。「教授の父親が自動車メーカーの役員だった頃、ヘンドリクスの父親が直属の部下だったそうでしてね。元々父親同士が親しい仲だったことも幸いしたんでしょう」
「確かヘンドリクスの父親も、その後同じ会社の役員になったのよね」
「ええ……。それに際しては、マクレイン教授の父親の後押しがあったようですけどね……」
「なるほどねえ。それじゃあ断れないわけだ」
「それにヘンドリクスが初当選したのは、マクレイン教授が次席補佐官に就いていた時でしてね。党の公認を得るに当たっては、マクレイン教授が随分動いたようなんです。教授にも面子ってもんがありますからね。推薦状を送った相手から、断られたんじゃ格好がつきませんもの」
「それでも、最初は渋ったんでしょう? 最終的には先生の手紙が功を奏したんじゃありません?」
貴美子は、さりげなく持ち上げた。
小早川も満更でもないとばかりに、小鼻を膨らませる。
「現職の与党国会議員。それも大蔵政務次官が、今の日本の政治を憂いている内容ですからね。マクレインもヘンドリクスも、日本にいい印象を持っていないのは明らかですが、誠一が私の跡を継ぐのは規定の路線ですのでね。縁を結んでおいて損はないと考えたんでしょう。ほら、映画のセリフにもあるじゃないですか。『友を近くにおけ。敵はもっと近くにおけ』って。まさにそれじゃないですかね」
「二人とも、それだけご子息の将来性を高く評価したってわけね」
全米トップクラスの大学の教授、そして現職の下院議員に我が子の可能性が認められたと聞けば、嬉(うれ)しく思わぬ母親がいようはずがない。
貴美子は口元が綻んでしまうのを抑えきれない。
さて、そうなると次の一手だ。
「先生……。いよいよ次の段階に入るわけですが……」
貴美子は一転、表情を引き締め、声を押し殺した。
「鴨上先生を失脚させにかかるのですね」
小早川の喉仏が上下に大きく動く。
「鴨上先生を失脚させるのは、難しいことではないの。あの人が力を振るえるのも、裏にいればこそ。表舞台に引き摺(ず)り出せばイチコロなんだから」
「おっしゃる通りですが、しかしどうやって……。先生は陽の光を浴びればモグラは死んでしまうとおっしゃいましたけど、どうやったらそんなことができるのか、未だ皆目見当もつかなくて……」
鴨上に刃(やいば)を向けるとなると、やはり失敗した時の恐怖が先に立つのだろう。
話すうちに小早川の声のトーンが落ち、ついに語尾を濁してしまう。
「簡単よ。これまで鴨上先生が政財界を裏で動かして、どんなことをしてきたのか。それもアメリカがらみの案件を、洗いざらいぶちまけるのよ」
「洗いざらいって、そんなの何件もあるんじゃないですか?」
小早川は、目を丸くして驚愕(きょうがく)する。
「そう、いくらでもあるけど直近、それも大金が動いた案件をリークするのよ」
「リークって、どこにです?」
「決まってるじゃない。ヘンドリクスよ。対日強硬派の急先鋒にして、大統領を目指している人間なんだもの、日本を叩(たた)き潰すカードを手に入れたとなれば黙っちゃいないわ。それはアメリカのメディアだって同じ。一旦、事が公になれば――」
貴美子は冷笑を浮かべたのだったが、
「そ、そんなことできるんですか? 確たる証拠がなければ――」
小早川は顔面を蒼白にして、言葉半ばで反応する。
「証拠ならあるわよ。私の手元に……」
「先生の手元に?」
「鴨上先生にだって判断がつきかねる相談事、願い事がありますからね。私に卦(け)を立ててもらえっておっしゃるのは、そうした事案なんですもの。先生にも心当たりがおありになるでしょ?」
「ええ、それはまあ……」
「中には、表沙汰になると大スキャンダルになること間違いなし。当事者どころか、鴨上先生の命取りになる事案も多々あるの」
「しかし、証拠と言っても様々です。メモや証言だけではヘンドリクスも動きようがないのでは……。やはり当事者間で交わされた文章とかの確たる証拠がないと……」
「その確たる証拠はヘンドリクスに入手してもらうのよ」
「まさか、そのために息子をヘンドリクスの事務所に?」
小早川は、跳び上がらんばかりの勢いで声を張り上げる。しかし、貴美子はそれに答えず話を進めた。
「卦を立てるに当たっては何を見て欲しいのか、目的を訊(き)くわよね」
頷(うなず)く小早川に、貴美子は続けた。
「私の前では、誰もが正直になるの。当たり前じゃない。将来や今かかえている事の結末に不安を抱いているから卦を立ててもらいに来るんですもの、嘘偽りを言ったら当たるものも当たらなくなってしまうでしょ? だから私が訊(たず)ねるまでもなく、秘めた思いや不安を洗いざらい打ち明けてしまうの。たとえ表に出てしまおうものなら、命取りになるようなことでもね」
貴美子は巧妙に嘘を織り交ぜた。
卦の結果は、あらかじめ鴨上から指示された通りを告げているだけに過ぎない。彼が貴美子の下を訪ねるよう勧めるのは、占い師の前では誰しもが正直になる。つまり、依頼人の本音を知るのは弱みを握るのと同義だと考えているからだ。
しかし、いくら手を結んだとはいえ、貴美子に神秘的能力があると信じて疑わない小早川に、この絡繰(からくり)を明かすわけにはいかない。
「おっしゃる通りです……。私だって、先生には全てのことを洗いざらい打ち明けていますから……」
「とは言っても、私は表沙汰になれば大スキャンダルになるネタをいくつも知っていますけど、記録しているのは簡単なメモ程度で、録音をとっているわけでもありません。物証と言えるものは、何一つ持ってはいないの」
「メモ程度では、捏造(ねつぞう)されたとかいくらでも言い逃れができますからね」
「それに、物証になるものを持っていたとしても、そんなものを公にすることはできないわよ。当たり前でしょ? 私が漏洩元(ろうえいもと)だなんて知れようものなら、占い師にあるまじき行為だし、危なくて誰も近づかなくなりますからね。それじゃあ、商売上がったりになってしまいますもの」
その言葉を聞いた途端、小早川は不思議そうな表情になって訊ねてきた。
「今のお話からすると、先生はまるで占い師生命を懸けて、今回の件に協力してくださっているようですが、なぜそんなリスクを冒してまで私に?」
「正直言って、この国の権力者の腐敗ぶりにうんざりしているからよ」
貴美子は、声を荒らげてみせた。「経済界の重鎮たちの依頼内容は、会社の経営に纏(まつ)わることより、自身の出世や権力闘争の行方とか、欲に基づくものが圧倒的に多いのよ。政治家にしてもそれは同じでね。国の舵(かじ)取りを担う立場にありながら、政策に関するものなど一つとしてありはしない。とどのつまりは己の出世欲、権力欲を満たすこと、そして利権に与(あずか)ることしか考えちゃいないの」
それは、小早川にも言えることなのだが、貴美子は「あなたは違う」と印象付けるべく、話を続けた。
「日本の政界には、新しい風が必要なの。居座り続ける老人たち、旧弊を吹き飛ばすような暴風が……。だから私は先生と、ご子息に賭けてみたいと思ったの。ご子息が私の思惑通りに動いてくれれば間違いなく鴨上先生の首を取れるし、彼以外にこの目論みを果たせる人間は他にいないと確信したの」
そこで、貴美子は一旦言葉を区切ると、
「これでも私、この国を憂いているのよ」
ニコリと微笑んでみせた。
「なるほど、政財界の重鎮たちの真の姿を目の当たりにしてきたからこそ、危機感、絶望感を抱かれたわけですか」
小早川は腑(ふ)に落ちたとばかりに二度、三度と頷く。
「繰り返すけど、これはね、千載一遇のチャンスなの。国内で風を吹かそうにも、政治家やマスコミを動かすのは難しいけど、アメリカなら話は別よ。ましてあちらには、日本企業の台頭に危機感を抱いている政治家は数多くいますからね。興梠(こうろぎ)総理どころか、政界の重鎮たちの首を取り、裏で絶対的権力を振るう鴨上先生の首まで取れるとなれば、彼らは絶対に動くわよ」
貴美子の確信の籠った言葉に、小早川の目が炯々(けいけい)と輝き出す。
「で、先生。その大スキャンダルになるネタとは?」
「それはね――」
まずは、鴨上からだ……。
貴美子は、いよいよ復讐への第一歩を踏み出した。
2
誠一がヘンドリクスの下で働くことが決まったのを機に、櫻子(さくらこ)との縁談は棚上げされたかたちになった。
もっとも、二人の結婚を清彦(きよひこ)が断念したわけではなさそうだった。と言うのも「必要ならば、遠慮なくおっしゃってください」と、これまでよりも積極的に、資金提供を小早川に自ら申し出てきたからだ。
インターンとはいえ、過去にアメリカの現職上院議員の下で研鑽を積んだ経歴を持つ国会議員は日本にはいない。しかも、名門コロンビア大学で政治学修士号を修めた上に、父親の跡を継ぐことが決まっていて、政治家になるために必須とされる地盤、看板、カバンの三要素も既にある。政界が魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する一寸先は闇の世界だとしても、当選の暁には若手代議士の最有望株と目されるのは間違いないのだ。
しかし、過去に内縁の妻がいたことを小早川の目前で白状させられた上に、「血縁者がもたらす難題に直面する」と、この縁談は好ましいものではないと宣告されてしまった。かといって、誠一以上の条件を兼ね備えた相手は二度と現れない。絶対に逃してはならないと清彦は未練を捨てきれないでいるのだ。
となると、清彦が取れる手段はただ一つ。金の力で小早川を縛りつけることしかない。
もちろん小早川も清彦の狙いは先刻承知で、「どうしたものか」と相談してきたのだったが、貴美子は、「必要なだけ借りたらいいわ。大丈夫、面倒なことにはならないから」と一言で片づけた。
というのも貴美子には、鴨上の力を無きものにした後は、清彦に生き地獄を味わわせるシナリオが既に出来上がっていたからだ。
それから半年。何の前ぶれもなく、突如アメリカから齎(もたら)された一報に、日本は騒然となった。
日本最大手の民間航空会社、全日本航空(全日航)が三年前に導入した最新型ワイドボディ旅客機を巡る大スキャンダルが発覚したのだ。
それはアメリカ上院の外交委員会多国籍企業小委員会が開いた公聴会の場でのやり取りが発端となった。
公聴会は日本でも一般的な関心及び目的を有する重要な案件については幾つかの法律で開催が義務づけられてはいるのだが、アメリカ議会が開催する公聴会は、頻度、報道機関の注目度共に格段に高く、何よりも議員の質問に対する証言の信憑性(しんぴょうせい)は日本とは雲泥の差がある。
日米共に証言に先立って宣誓を求められるのは同じなら、嘘をつけば偽証罪に問われるのもまた同じではある。しかし、アメリカの場合、公聴会に限らず偽証は罪に問われる以前に、人格そのものを否定されることになり、その後の社会生活に甚大な影響を及ぼすことにもなりかねない。
それゆえに公聴会の席上、「当該機を全日航に売り込むに当たっては、コンサルタントとして雇った人物を通じて、日本の有力政治家に圧力をかけてもらった」、「それに際して、その人物を通じて、有力政治家複数名に事実上の賄賂を支払った」と、航空機メーカーの役員が証言したのだから、日本のメディアも黙っているわけにもいかない。
公聴会が開催された当日から、夜のテレビニュースはこの件についての報道一色となり、翌朝からは新聞が続いた。しかも、航空機メーカーの代理店となった、総合商社が関与していることが証言の中で明らかになると、メディアを挙げての取材、報道合戦となり、その熱は日を追うごとに増すばかりとなった。
小早川が貴美子の下を訪ねてきたのは、そんな最中のことだった。
「何もかも、先生が描いた筋書き通りの展開となりましたね。最初にこのスキャンダルのことを聞かされた時には、アメリカの議員だって企業、産業は組織票が見込める票田の一つです。それに献金のこともありますから、果たして議員が動くのかと、少しばかり疑問に思っていたのですが、いやさすがは先生だ」
部屋に入った途端、小早川は改めて感心したように言う。
「アメリカにも族議員とまではいえないまでも、特定企業や産業と深く結びついている議員はいるようですけど、主要産業は州によって違いますからね。ヘンドリクス議員の地盤のミシガン州は自動車産業の中心地といえるところで、航空機産業とはほぼ無縁の地。それも幸いしたのよ」
「まして、アメリカの自動車産業界は、日本車憎しで一致していますからね。誠一を通じてヘンドリクスに今回の件をリークしたのは大正解です」
そこで小早川は、ふと思いついたように、「ひょっとして、この件についても、卦をお立てになられたのですか?」
と訊ねてきた。
「まさか……」
貴美子はフッと笑いを漏らした。「全くの偶然よ。当たり前じゃない。マクレイン教授の人脈なんて、私が知るわけがないんだもの」
「全くの偶然だとしたら、これは神のお導きとしか思えませんね。やはり、先生は人智を超えた不思議なお力をお持ちなんですよ」
「何、それ……」
貴美子は吹き出しそうになるのを堪(こら)えて問い返した。
「先生が引き寄せたとしか思えないからですよ」
しかし、小早川は真剣だ。「コロンビア大学で学んだ政治家は、少なからずおりますのでね。中には教授の教え子だっているはずです。なのによりによって、マクレイン教授はヘンドリクス議員に紹介状を送ったんですもの、そうとしか思えませんよ」
そんなことを真顔で言えるのも、占いの絡繰を知らないからだが、そう思い込ませておいても不都合はない。
「でも、意外だったのは、ヘンドリクスが公聴会には出席したけど、ほとんど質問を発しなかったことね。大スキャンダルに発展すること間違いなしの大ネタなのに、どうして一歩引いた立場に甘んじたのかしら。名前を売る絶好の機会だったのに」
日本では公聴会が終了した翌日の早朝から、テレビのニュース番組はこのスキャンダルをもれなくトップで、しかも大々的に報じたのだったが、居並ぶ航空機メーカー幹部を追及するのは、ケリー・ホプキンスなる上院議員で、ヘンドリクスの名前はついぞ出てこなかったのだ。
もっとも同議員の質問に答えるのは、主に航空機メーカーの社長で、他の幹部たちが発言する様子は一切出てこなかったところからすると、おそらくは補佐役として同席したのだろう。そう考えると、ヘンドリクスが追及する場面がほとんど出てこなかったのも、議員側でも発言者はホプキンスがメインと予(あらかじ)め決まっていたからだと考えられなくもない。
「花を持たせたんじゃないですかね」
小早川は言う。
「花を持たせた?」
「ホプキンスというのは、党内指折りの実力者でしてね。上院議員としてのキャリアも長いし、予備選で敗退してしまいましたけど、かつては党の大統領候補指名を争ったことがあったんです」
小早川の話には、まだ先がありそうだ。
黙って話に聞き入ることにした貴美子に向かって、小早川は続ける。
「そこからも分かるように、彼はなかなかの野心家のようなんですが、保守派の中でもバリバリのタカ派で、同僚議員の間でもバランス感覚に欠けていると評価する向きが多いんです」
「つまり、大統領には向かないと目されているわけ?」
「ただ、党内と有権者の評価は別でしてね。少なくとも、彼が地盤としているペンシルベニア州では、圧倒的支持を得ているんですね」
「それはなぜ?」
「ペンシルベニアの主要産業は鉄ですからね。かつて日本には『鉄は国家なり』と言われていた時代がありましたが、それはアメリカだって同じです。それが、製鉄産業の分野でも、日本の鉄鋼メーカーが台頭してきて、アメリカ市場を食い始めた……」
「ヘンドリクスはミシガン選出。州の主要産業は自動車だから、日本憎しという点では共通しているわけね」
「自動車の製造に鉄は不可欠。しかも最大の納入先の一つですからね。日本で製造された自動車が、アメリカ市場でシェアを伸ばすことは、アメリカの製鉄産業には死活問題そのものなんです」
「二人がタッグを組んだ理由は分かったけれど、なぜヘンドリクスは――」
「次の大統領選への出馬を考えているからですよ」
小早川は、再度質問を発した貴美子を遮って続ける。
「バランス感覚について問題視する議員がいるのは確かですが、ホプキンスの愛国心に疑念を持つ議員はまずいません。それなりの人望もあれば、彼の言うことには一応耳を傾ける。それが党内での彼の影響力の大きさにつながっているんです」
そこまで聞けば、小早川が言わんとしていることに察しがつく。
「つまり、ここで彼に花を持たせておけば、次期大統領選で保守派を代表する可能性が高くなる。ヘンドリクスはそう考えたのね」
「そういうことです。もっとも、これは誠一の解説によればですけどね」
小早川は、誇らしげに言い、「ただ、ヘンドリクスの思惑はどうあれ、ホプキンスを前面に出したのは、私たちにとっても幸運でした」
話題を転じてくると、続けてその理由を話し始める。
「航空機の採用を巡って、メーカーが日本の政治家に多額の賄賂を贈ったなんて、当事者以外に知り得ない話ですからね。当然、関係者はこの情報をリークした犯人探しを始めるでしょう。もし、ヘンドリクスが公聴会の場で追及の最先鋒に立っていたら、真っ先に誠一に疑惑の目が向けられたはずです」
ここで誠一の名前が出てくると、本当にその恐れがないのか、不安になってしまうのは、やはり母親の性(さが)というものか……。
「でも、本当に大丈夫なの? ご子息がヘンドリクスの下で働いているのは、すぐに分かってしまうんじゃないの?」
「誠一はその恐れはないと言っていましたけどね」
意外にも小早川は心配する素振りを見せない。
「どうしてかしら?」
「彼の下で働いているといっても、インターンですからね。先生、インターンの仕事とはどんなものだかご存じですか?」
もちろん、そんな知識は持ち合わせていない。
「いいえ」
貴美子は首を振った。
「日本流に言えば書生、雑用係ですよ。さすがにお茶汲(く)みはしませんけど、コピーを取ったり、書類の整理をしたりとか……」
「コロンビア大学で修士を修めているのに?」
「キャピトルヒルズでは、ありふれた学歴ですからね。みんないずれ政策スタッフ、あわよくば政界入りを目指してやってくるのですが、まずはインターンから始めるものと決まっているんです。そりゃそうですよ。能力が分からないうちに、スタッフにするわけにはいきませんからね」
「まさかインターンごときが、こんな大ネタを持ち込んだとは、誰も思いもしないというわけね」
「そりゃそうですよ。当のヘンドリクスだって、誠一からこの話を聞かされた時には、半信半疑だったと言いますからね」
小早川は、含み笑いを浮かべる。
「それにしても公聴会で、航空機メーカー側が賄賂を贈ったことをあっさり認めたのには驚いたわ。偽証すれば罪に問われるのは知っているけど、一国の政治に甚大な影響を与えることになるんですからね。巧妙に躱(かわ)すんじゃないかと思っていたんだけど……」
「賄賂ありきの途上国ならまだしも、日本ですからね」
含み笑いの余韻を引きずり、肩を震わせる小早川だったが、一転真顔になると奇妙なことを言う。「誠一が言うには、公聴会を開く前に、議員が正直に話せば贈賄側の罪は問わないという条件を提示したらしいんです」
「罪を問わないって、どういうこと? アメリカにも収賄罪はあるんでしょ?」
「もちろんありますが、司法取引を匂わせたんですよ。航空機はアメリカの重要な産業の一つです。それも大手は民間機だけでなく、軍用機も製造していますから、採用されれば数十機、時には百機を超える大量受注になるわけです。加えて、部品やエンジンなどの周辺機器も売れる。それも当該機が使われる限り、継続的な需要が発生しますから、巨額のビジネスになるんです。しかも、民間、軍用機共に、アメリカの海外戦略が関わってきますのでね。戦略上、アメリカ陣営に引き入れたい国との商談では、当該国の有力者に賄賂を贈るのは当たり前ですから、おいそれと摘発するわけにはいかないんですよ」
「なるほどねえ……。そう聞くと、罪に問わないというのも納得がいくわね」
「実は今日、東京を発つ直前に、誠一から電話がありましてね」
誰が聞いているわけでもないのに、小早川は声を潜める。「次回の公聴会では、航空機メーカー側から、賄賂を贈った決定的な証拠が開示されるようですよ」
「決定的な証拠?」
「賄賂を贈った先と金額が記された書類ですよ」
小早川の瞳が怪しく光る。
「そんなものがあるの? 誰が作ったの? 証拠として信頼できるものなの?」
「航空機メーカーの日本総代理店になっている総合商社が作ったものだと言っていましたので、まさに動かぬ証拠になりますよ」
「そんなものをどうして総合商社が?」
「そりゃあ、採用されれば総合商社にとっても、ビッグビジネスになるからですよ。まして、航空機の売り込みはオール・オア・ナッシング。不発に終われば、事業部の売り上げはゼロですからね。彼らだって、必死になって当然ってもんじゃないですか」
ごもっともとしか言いようがないのだが、贈収賄は紛れもない犯罪行為だ。金額はまだしも、収賄側の名前まで記した書類を残すとは、あまりにも迂闊(うかつ)にすぎる。
唖然(あぜん)として言葉が出ないでいる貴美子に、小早川は続ける。
「まあ、総合商社は賄賂を贈って当たり前という国々でビジネスを展開していますからね。それに今言ったように、オール・オア・ナッシングは航空機メーカーにしたって同じです。採用されれば一機およそ六十億円、二十五機で千五百億円、仮に三パーセントを賄賂に使ったとしても、四十五億円ですから、その程度で済むなら安いものですが、ただばら撒(ま)けばいいってもんじゃありませんのでね」
「それで、賄賂を渡すべき人物のリストを総合商社が作ったってわけね」
「文字通り、世界を股に掛ける航空機メーカーといえども、日本の権力構造を把握していませんからね。その点、総合商社は違います。途上国への経済支援、ODAによる社会インフラの整備などの原資は、国費から捻出されていますが、当該国での受注元は日本企業で、そのことごとくに商社が関与しているんです。渡す相手のリストアップなんて、お手のものですよ」
「賄賂を受け取った人たちは、戦々恐々としているでしょうね」
貴美子は自然と笑いが込み上げてくるのを覚えながら、小早川に問うた。「先生は、私がこの件にどう関わったのか、知りたいんでしょう?」
「ええ……。この件を聞かされた時から、喉まで出かかっていたのですが、なかなか切り出せなくて……」
「ここには、政治家はもちろん財界人も訪ねてくるけど、商社のご重鎮もよくやってくるのよ。先生がおっしゃった、ODA関連事業は大きな稼ぎどころですからね。鴨上先生の紹介で、卦を立ててもらいにくるのよ」
「では、今回の件に関しても、総合商社の人間が?」
「来たわよ。受注を争っていた全て、三つの総合商社がね……。鴨上先生にお願いに上がったのだけど、三社ともODAはもちろん、他の大型案件でも先生のお力を借りることが多々あるんだから当然よ。だから日頃の付き合いがある分、先生も困ってしまわれてね。それで私に見てもらったらどうだってことになったらしいの」
本当の話だが、卦の結果は、鴨上の意向のままを告げたとは口が裂けても言えるものではない。
貴美子は続けた。
「それで卦を立ててみたんだけど、これが本当に不思議でね。三社共に、受注できるかどうか以前に、この案件は後に災いをもたらすことになる。諦めるわけにはいかないだろうけど、慎重を期すべきだという卦が出たの」
実のところは少し違う。
鴨上の狙いは三社を競わせ、コンサルタントに就任する際の報酬の吊(つ)り上げにあったのだ。
それ以前に別個に立てた三つの卦が、全て同じだなんて、あり得ないと気づきそうなものだが、森沢(もりさわ)の過去を言い当てたこともある。それに誠一と櫻子の縁談を破談に持ち込むためには鴨上の力を無きものにするしかないと、小早川は必死だ。事実、誠一をキャピトルヒルズに送り込んだことが、鴨上の息の根を止めようとしていることにつながったのだ。
貴美子の能力を完全に信じ込んでいる小早川は、
「やはり先生は凄(すご)い……。背筋が粟立(あわだ)ちました……」
喉仏を上下させ、生唾を飲み込む。
「あの人たちが、あの卦の意味をどう解釈したかは分からないけれど、先ほどの先生のお話を聞いて合点がいったわ。だって、千五百億ものビジネスになるっていうんだもの、そりゃあリスクを冒してでも取りにいくわよね」
「それに、総合商社の役員は、もれなくサラリーマンですからね」
小早川は、皮肉めいた口調で言う。
「それ、どういう意味?」
「オーナー経営者は別ですが、サラリーマン社会では、実績を上げないことにはさらなる出世は望めないってことですよ」
小早川は、続けて解説を始める。
「役員が来たとおっしゃいましたけど、訪ねてきたのは副社長、専務クラスだと思うんです。政治家だって国会議員になったからには、大臣、あわよくば総理の座を目指すのと同じで、サラリーマンだって、役員になったからには社長になることを夢見ているに違いないんです。機種変更に伴う新型機の大量購入なんて、滅多にあるもんじゃありませんからね。千五百億の売りを立てれば、また一段高みに上るのは確実。ゼロに終わればそれまでですから、そりゃあ諦め切れませんよ」
「そこから先のことは詳しくは知らないけれど、受注獲得には鴨上先生の力を借りなければならないのは先刻承知。メーカーから、賄賂を贈った先のリストが出てきたところからして、その辺りの事情を商社の人間は伝えたのね。そこから先は、条件次第。先生に最も多額の金額を提示したメーカーが、このときの商談をものにしたってわけね」
「でも、先生……大丈夫なんですか?」
何かを思いついたのか、小早川は不安げに言う。
「大丈夫って何が?」
「後に災いをもたらすことになるって、賄賂の受け渡しが発覚するってことですよね。つまり先生は、スキャンダルになることを予見なさったわけじゃないですか」
「公明正大に行われた商取引が、スキャンダルになるわけないんだから、そういうことになるわね」
「ってことはですよ。総合商社三社の目論見、受注を巡っての動向も先生は把握なさっておられたんですか?」
「完全に把握していたわけじゃないけれど、ある程度はね」
「航空機メーカー、受注を獲得した総合商社、鴨上先生以外に、賄賂の受け渡しがあったことを知っているのは、先生だけじゃないですか」
「リークした犯人だと疑われやしないかって?」
「ええ……」
「それはないわね」
貴美子は断言しながら口元に笑みを湛(たた)えた。「だって私は賄賂の授受があったかどうかなんて知らないんだもの」
「でも先生は、この情報を誠一からヘンドリクスに伝えるよう、私に指示したではありませんか」
「だって、鴨上先生がタダ働きするわけないんだもの。政財界のご重鎮が、先生を訪ねるのはお願い事をするため。そして先生には、願いを叶えてやれる力があるからじゃない。その力は財力があって初めて維持できるもの。成功報酬、御礼、コンサルタント料と名目は様々でも、本質的には賄賂なの。鴨上先生とは長い付き合いだもの、いちいち聞かなくたって分かるわよ」
「ならば余計――」
「あのね」
貴美子は小早川の言葉を遮った。「どうして、私がこの情報をリークしなければならないの? どうやって、アメリカの上院議員に伝えるの? 私、アメリカの議会内に伝手(つて)なんかないし、英語だってさっぱりなのよ? それに、ヘンドリクスには日本の有力政治家、権力者に賄賂が渡ったようだってご子息が口頭で伝えただけで、実際に調査に当たったのは彼のスタッフじゃない。もっとも、先生が私から聞いたとご子息に話したのなら、あり得るかもしれないけど?」
貴美子は片眉を吊り上げて、小早川を凝視した。
「いや、先生のことは一言も……」
滅相もないとばかりに首を振る小早川に、貴美子は言った。
「だったら絶対にバレないわよ。第一、ここまでことが大きくなれば、犯人探しどころの話じゃないわ。鴨上先生の存在が明るみに出れば、騒ぎは拡大するばかり。収賄罪で逮捕されれば、懲役につくことになるのは間違いないんだから」
「でも、先生……、誠一がヘンドリクスの下で働いていると知れれば……」
ついさっき自ら否定したにも拘(かかわ)らず、小早川は、急に不安になったらしい。
その声が強張り、心なしか顔が白くなっているように思えた。
「考えられないわけじゃないけど、先生がおっしゃったように、その可能性は低いでしょうね」
貴美子は即座に否定すると、その根拠を話し始めた。
「私と先生が鴨上先生を通さず、何度も会ってることは誰も知らないんだもの。森沢社長にしたって、会ったのは一度だけ。しかも目的は縁談よ? 仮に、ヘンドリクスの事務所にご子息がいることを知ったとしても、情報源が先生だなんて思わないわよ。実際、私が今回の件を明かすまで、先生は賄賂の受け渡しのことなんか知らなかったじゃない」
「確かに……」
納得した様子の小早川に、貴美子は続けた。
「それに鴨上先生は、あれ以来二人の縁談の行方なんか全く訊ねてきませんからね」
貴美子はあっさりと言ってのけた。「先生にとっては、大事な一人息子の縁談だけど、鴨上先生にしてみれば、日々持ちかけられるお願い事、相談事の一つにすぎないの。願いを叶(かな)えてやれば、黙っていても相手がお金を持って御礼にくるんだし、まして縁談だもの。覚えちゃいませんって」
願い事、相談事の一つ。忘れてしまっているという言葉に、安堵と共に軽んじられたことに屈辱を覚えるかのような、複雑な表情を浮かべる小早川だったが、
「それともう一つ、気になることがありまして……」
改まった口調で言う。「他でもない、先生のことです」
「先生って、私のこと?」
小早川は頷く。
「政財界の重鎮たちが、先生を訊ねては卦を立ててもらっている。それが、企業や政界に大きな影響力を及ぼしていることが世間に知られてしまわないかと……」
心配しているのは分かるが、そんなことが起こり得ないのは少し考えれば分かることだ。
笑いが込み上げてくるのを覚えながら、
「私のことなんか、話すわけないじゃない」
貴美子は言った。「政財界のご重鎮が、将来を知りたかったり、あるいは重要な判断を下さなければならない時に、占いに頼るなんて言えると思う? そんなことを世間の人や社員が知ればどんなことになるか、火を見るより明らかじゃない」
「でも、先生はただの占い師ではありません。それこそ人智を超えた、不思議な力をお持ちで――」
「そうおっしゃってくださるのは光栄ですけど、世間ではね、当たるも八卦、当たらぬも八卦、眉に唾して聞いておけというのが占いなの。私に卦を立ててもらっていたなんて、口が裂けても言えやしないわよ」
事実、その通りではあるのだが、世の中に目を向ければ、存在すら怪しいものを多くの人が信じているのもまた事実ではある。
宗教はその典型と言えるだろう。
神仏の教えを信じて祈りを捧げ、人として正しい生き方をせんと自らを戒め、誤(あやま)ちを犯せば赦(ゆる)しを乞う。その際同時に、己の願望を叶えて欲しいと祈りに込める。
「無病息災」、「難病の克服」、「貧困からの脱出」、「受験の合格」、「出世」等々、願う内容は人それぞれだが、それは自分自身が見たこともない神仏の存在を信じ、その力に縋(すが)ろうとすることの現れだ。
だから不運が続くと、その原因が何に起因するのか。どうしたら、この負の連鎖から逃れることができるのかと必死になる。そこで「先祖を粗末にしているからだ」、「厄祓(やくばら)いの祈祷(きとう)を受けなさい」などと言われようものなら無視できるものではない。墓に参り、時には墓を直し、仏壇を新調し、祈祷を受けて大金を使うことも珍しくはない。
しかし、よくよく考えてみれば実におかしな話なのだ。
なぜならば、子孫の繁栄を願わぬ祖先などいるわけがないからだ。要するに、いくら神仏に祈ったところで、叶わぬものは叶わない。つまり、なるようにしかならないのである。このように、実態が定かではない存在に覚える人間の畏怖の念につけ入って、ビジネスにしているのが宗教なのだ。
医学にも同じ側面がある。
たとえ僅かな異常でも医師に、「このまま放置すると病になります」と告げられれば、大抵の人間は不安を覚える。処方された薬を服用して数値が改善されても、「油断は禁物。継続して服用しましょう」と言われ、よくならなければ、新たな薬が処方される。かくして「病人」、医師の側からすれば定期通院患者の一丁あがりということになる。
貴美子の下を訪れるご重鎮方の相談内容には、病にまつわるものが実に多いところからも、健康は最大の不安材料にして関心事の一つなのだ。
しかし、巷間(こうかん)「イワシの頭も信心から」と、物事を頑(かたく)なに信ずる人を揶揄(やゆ)する言葉はあっても、宗教を頭から否定する人間は稀(まれ)である。科学に裏づけられているとされる医学ともなると、皆無と言ってもいいかもしれない。
占いは別である。
宗教とは違って教義はないし、医学のようにアカデミズムに裏づけされたものでもない。易に至っては筮竹(ぜいちく)を揉(も)み、算木を並べた結果を告げるだけにすぎないのだ。
だからこそ、的占連発となると占い師の神秘的な能力を信じざるを得なくなるのだが、どれほど熱弁を振るっても、世の大半の人間にとっては眉に唾して聞く程度のものにすぎないのだ。
「ならば先生は、京都に不思議な力を持つ占い師がいて、卦を立ててもらっているなんて公言できます? 現職の大蔵政務次官が、占いを信じているなんて言おうものなら、有権者はどんな目で先生を見ると思います?」
「そ……それは……」
小早川は視線を落とし、口籠もってしまう。
答えは聞くまでもない。
「それは、ここを訪れるご重鎮方だって同じなの。私の存在を明かせば、政治家、経営者としての資質を疑われ、将来が断たれてしまうことが分かっているの。だから絶対に私の存在が公の場に晒(さら)されることなんてありはしないのよ」
「はい……」
断言した貴美子に、短く答え沈黙してしまった小早川に、
「次の公聴会が楽しみだわ。いったい誰にどれほどのお金が渡ったのかしら。鴨上先生だって、アメリカ議会相手じゃどうすることもできないし、今頃どんな気持ちでおられるのかしらね」
貴美子は努めて明るい声で言い、忍び笑いを漏らした。
(次回に続く)
プロフィール
楡 周平(にれ・しゅうへい)
1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。