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海路歴程 第四回<下>/花村萬月

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 唐突だが、作者の思い出話をしよう。
 まだ作者が小説家になる前、二十代の後半だった。
 定職に就いたことのない作者は、そのころ同棲していた最愛の人の稼いだ金で、日本中を旅行していた。
 旅行といっても旅館なりホテルに泊まるわけではなく、オートバイのリアシートに寝袋や自炊のための携帯用ガスコンロなど簡易な所帯道具をくくりつけて走りまわる野宿旅行だった。
 余談になるが、某作家が私に訊いた。
「萬ちゃんは、若いころは、野宿旅ばかりしてたんだろう?」
「うん。金がなかったからね」
 実際のところは、金は充分なほど彼女からわたされていた。所詮は野宿で自炊、最大の出費はガソリン代であり、それも燃費のよいオートバイであるから、金などたいしてかからないのだ。
 私には対人恐怖があって、人と関わりあうのがいやで宿泊施設を避けていたというのが本当のところである。
 某作家は、得意げに続けた。
「野宿といえば、やっぱり焚火だよな」
 海外で、編集者らといっしょに焚火を前にバーボンなど飲んで、焔の前で物思いに耽ったといったことを、彼は目を細めて得意げに語り続けた。
 真正面からスノッブの相手をする気もないが、事を荒立てる気もない。
 私は受け答えをはぐらかし、笑顔のバリアでその場をやり過ごした。
 一晩、二晩、野宿するならば焚火もいいかもしれない。
 けれど私の野宿旅は、旅立つと一ヶ月以上もどらぬことがままあった。
 西部劇じゃねえんだからよ、毎晩、焚火なんぞ面倒臭くてできるかよ──というのが私の本音であり、湯沸かしや調理は、携帯用の小型ガスコンロで完結していた。
 つまり薪を燃やす焔とは完全に無関係だったのだ。
 記憶を手繰れば、昭和の子供だけかもしれないけれど、小学生のころに河原でのキャンプ行事があった。飯盒はんごうで米を炊き、大きな鍋でカレーを煮るのだ。
 河原の石を組んでかまどをつくり、薪を燃やした。他の班と競いあってかまどの形状や風の向きなどを、あれこれ勘案するのが愉しかった。
 日頃は禁じられている火を扱うことそのものがたかぶりをもたらした。
 風向きの読みが当たったのか、薪が勢いよくぜはじめ、思いのほか烈しく燃えあがった。立ち昇った焔が飯盒の全体を舐めるようにまとわりつき、緊張した。
 飯盒は戦いを挑むかのように白い泡を真っ黒な蓋の隙間から噴きだして焔を鎮めようとしたけれど、そんなものではとても追いつかず、焔という制御のきかぬ現象の圧倒的な熱に強い畏怖を覚えた。
 ゴロゴロしたジャガイモ、煮込まれて半透明になったタマネギ、赤が奇妙なほど鮮やかな人参、当時の定番である豚のコマ肉と、先生の雑なアドバイスのもと出来あがったカレーは、やたらとトロミがあり──そこから先が思い出せない。しいてひねりだせば、辛みも香味もなかったのではないか。
 そんなカレーを、さんざん焔にいたぶられたあげく炊きあがったおこげの御飯に、たっぷりかけて食べた記憶がある。
 川面の手頃な石に腰を下ろして、重奏するひぐらしの声が降りかかるなか、透きとおった流れを見つめてスプーンを使う。
 スティーヴン・ウィルソンの超越的名曲〈PerfectLife〉https://www.youtube.com/watch?v=gOU_zWdhAoE の歌詞に、
 
  She said "Water has no memory"
 
 という一節がある。
 水は記憶をもたない。
 この曲を知らなかった幼かった私も、直観的に水は記憶をもたないという思いを心のどこかに刻んでいた。
 川の流れはまったく同じようなかたちを取っているように見えて、じつは完全に再現性がない。水は記憶をもたぬのだ。
 昔も、いまも、様々な水の流れや打ち寄せる波を独り見つめていると、水は記憶をもたないという言葉が脳裏を駆けめぐる。
 思い返せば河原で自作のカレーにおこげ、最高の食事だった。けれど漠然と焦げた米の匂いがよみがえるような気もするが、すべての印象は、ぼやけて像を結ばない。
 ただ多摩川上流、氷川の川面の二度と同じかたちをとらない清冽で繊細な水の流れだけが鮮やかに泛ぶ。
 河原の飯盒炊爨すいさんとキャンプファイアー、そして野営。
 飯盒炊爨もキャンプファイアーも、日常的には禁忌である焔を扱える稀有な行事で、小学生にとって、最高のイベントだった。
 暑苦しくて湿っぽく、河原の石が背に刺さる居心地の悪かった三角テントに転がると、川の流れの音が耳をくすぐる。
 水は記憶をもたない──。
 記憶をもたないがゆえの流れの無限の囁きを持てあまして、落ち着かないなあと子供らしくない渋面をつくったけれど、気付いたら朝だった。
 懐かしい思い出だ。
 ただし、一泊二日だった。
 だから焚火も愉しかった。
 一ヶ月以上となると、便利さに毒された私は夜毎の焚火など面倒で、とてもやっていられない。
 だが面倒よりもなによりも、怖いことがある。
 引火だ。
 私が野宿するのは山中が多かった。焚火などして、それがどこかに燃え移って山火事になったら──。
 想像するだけで、小心な私はとても焚火などできなかった。
 焚火を前にして感傷にひたりたい。
 気持ちは理解できなくもない。けれどそれで山を燃やしてしまったりしたら──と考えると、背筋が冷える。
 火を見つめる。それはすばらしいことだ。焔のゆらぎ。人の予測など軽々と打ちやるプラズマならではの動きと放たれる熱に、じわりと眼球が乾いていく。目をしばたたいて焔を見つめる。焔の熱から見放された背中の冷たさを幽かに意識しているうちに、焔のゆらめきに心がとりこまれる。
 けれど。
 焔は燃え移る。
 明暦の大火──振袖火事。
 書いていて、いわれのない不安に取り憑かれていた。
 いやはや虚構を記していて、これである。まったく小心にして神経症気味である。
 読者諸兄も、火の用心。
 森が燃えるのも、家が燃えるのも、いやなことですから。
 余談が長くなってしまった。
 本題に入る。
 私の場合、野宿旅はどうしても北の方角が多かった。
 北に向かえば、人口密度がさがる。人がいなくなる。野宿に適していく。
 景色だの観光だの名物だのといったことはどうでもよかった。私にとっては無人こそがなにより大切かつ重要で、すばらしいものなのだ。
 曇天の青森、津軽半島を走っていた。
 北海道に渡ってしまえば、大陸的な圧倒的な広大さに、どのような悪天候に見舞われようとも不思議な解放感がある。
 悪天候に打ちひしがれようとも、なにか突き抜けたものがあって、自身の小ささを知るばかり、よくも悪くも諦めることができる。
 けれど津軽や下北には、常に遣る瀬ない閉塞感が付きまとう。
 そこが魅力でもあるのだが、この日の夕暮れの私の心は、疲弊しきっていた。自身が選択した無目的に飽いてもいた。
 黒ずんだ雲が全天を覆い、降るか降らないか、微妙な気配だ。
 空気中に湿気が多いせいか、オートバイのエンジンの吹けあがりも心なしか鈍い。
 夕刻である。
 早く、今夜の野宿場所を決めなければならない。
 私の旅はじつにいい加減で、地図もまともに見ない。いま、どのあたりかは判然としない。脳裏にあるのは津軽半島を北上しているということくらいだ。
 この開き直りに似た楽天は、いざとなったら宏大な大地の寝床に横たわり、無限の夜空の布団をかぶればいい──という眠る場所にとらわれない野宿が前提にあり、その気安さがあるのかもしれない。
 とはいえ、雨に濡れて眠るのはいやだ。
 やや過剰な速度で走るオートバイ上の私の目は、路肩にあるかもしれない屋根付きのバス停を探していた。
 降雪地のバス停には、けっこう屋根があるものがある。そこで雨をしのぐことがよくあった。寝坊をすると、通学するバス待ちの中高生に囲まれてしまい、気恥ずかしい思いをするという欠点はあるが、いかにいい加減な私であっても、好きこのんで雨に打たれて眠る気はない。
 木造町を過ぎたことだけは、少し前の道路標識でわかっていたが、ここがどこかといえば、皆目見当もつかない。
 走っている道は農道らしく、やがて舗装が途切れた。
 私は未舗装路を走るのが巧みだ。荒れた道を走る骨は、アクセルをもどさないことだ。六速から四速に落として程よいトルクをかけながら走り、自嘲した。
「人家もないのに、バス停なんてあるはずがない」
 雨が降ってきたら、路肩で寝よう。
 私が若干、強気なのは、この旅に備えてゴアテックスのシュラフカバーを新たに購入したからだ。
 テントを張るのは面倒だが、シュラフカバーにシュラフをほうり込んで潜りこむことは容易い。
 ゴアテックスの耐水性はすばらしい。しかも蒸れない。実体験として、今回の旅の降雨で実証ずみだ。
 とはいえ横になれる場所を見つけなければならない。
 多少地面より高いところでないと、水没してしまう。
 実際、網走で私は窪地に眠っていて、夜半の雷雨で水没したことがあるのだ。
 私の視線はせわしなく路肩をさまよう。
 曇天はいよいよ低く重苦しく垂れこめて、黒灰色はどんどん鈍さを増していく。
 鬱。
 道の左右は放棄されたと思われる農地の成れの果てで、雑草さえ生えておらず、色味がまったくない。
 空は濁りきっている。
 色味がないだけでなく、艶もない。
 人の心は眼前の光景だけでなく、思いのほか気象に左右される。
 オートバイの速度がもたらす錯覚だが、鈍色の空に接してしまいそうな不安に、気持ちはどんどん沈んでいく。
 横になれそうな場所は見つからない。
 私は無彩色の世界を投げ遣りに走る。
 周囲の平坦さを呪うばかりだ。
 この日は四百キロほども走っていたか。前日も強行軍で、二日で軽く千キロを超えていたのではないか。
 肉体も精神も疲弊しきっていた。
 低すぎる黒雲に気力を吸いとられ、くじけそうになった。
 ハンドルを握る私の手は硬直しきって、アクセルを一定の開度で固定するストッパーに成りさがっている。
 惰性で走るばかりで、停止するということもできない。頭が働かないのだ。
 憂鬱さばかりが募っていく。
 俺はいったいなにをしているのだろう。Kを銀座でホステスとして働かせて、その金で野宿旅。いい気なものだ。
 俺はほんとうに救われない奴だ。
 バカだ。
 しかも、クズだ。
 加えて無能だ。
 三十近くになっても、定職がない。
 肉体労働しか選択肢がない。
 できることは、オートバイを違法な速度で走らせること。
 地面で、眠ること。
 俺、もう、二十九歳だぜ──。
 内省的というよりも、自虐ばかりが曇天の黒雲に似た触手を伸ばしてむしばみ、私の心をひびれさせていく。
 もう、なにもかもやめてしまおう。
 そう漠然と決心した瞬間だ。
 私の網膜が錯乱した。
 まずバス停に似た片側が開かれた茶褐色の古びた建物らしきものが目に入った。
 バス停にしては小さすぎた。二分の一模型といった感じだ。
 そのバス停内部に、極彩色を見た。
 極彩色の群れだ。
 基調は白で、人の子供くらいの高さで白が並んでいる。その下部の赤や緑の補色が鮮やかに、私の眼球の芯に刺さる。
 その物体がなにであるか、私の脳は判断できなかった。
 黄や青も、金も銀も紫もある。曇天の世界に突如、色彩の祭りが立ちあらわれた。
 色の狂乱といったほうがふさわしいかもしれない。毒々しい色味に襲われたのだ。
 速度を上げて近づいた。
 真正面に立っても、実際はたいした時間がたったわけではないだろうが、それが何であるか判断に手間取った。
 人の立ち姿を模したものであることくらいは、わかる。
 けれど、そこから先が私の脳内でつながらない。意味を成さない。それほどに無数の極彩色が乱舞していたのだ。
 ずっと私の視覚を支配していた黒灰色の雲との対比で、それらは異様に突出して見え、抑制と無縁の色彩は統合失調症の人が描く絵画に似て現実のものとは思われない。
 首を突きだして凝視する。その形状からどうにか断定した。
「地蔵かよ──」
 されど私の脳裏にある地蔵菩薩はせいぜい赤い前掛けをしている程度で、その姿は石の色味しかない。
 地蔵は、石を彫ってつくられたものだ。私の頭の中にある地蔵は、空を覆いつくした黒灰色の雲と大差ない色をしている。
 ところが眼前の地蔵の群れは、貌の白地に目鼻が描かれている。空色や緑の鮮やかなアイメイクをしていたりもする。
 たいしたバリエーションがあるわけではない。黒でくっきり目の枠と眼球が描かれ、唇は申し合わせたように真紅だ。
 地蔵はすべて真新しいあわせのようなものを着せられていた。それらは金糸銀糸も鮮やかな縫いとりで、生地は赤や緑、青や黄色といった原色だ。
 ペンキで塗ったと思われる艶のある純白の貌、そしてそこに描かれた極端なふちどりの眼と血の色をした唇が曇天の薄暗い中に出現したのだ。
 いわば厚化粧された地蔵だ。
 正気の沙汰とは思えない。
 毒々しい化粧と衣装の、十体以上の地蔵菩薩の群れだったのだ。
 地蔵自体は彫りが稚拙で、相当古いもののようだった。あちこち欠けて磨耗し、目鼻が消失しているものも多い。
 そこに純白のペンキで下塗りを重ね、おそらくは小学校低学年程度の子供が描いたのだろう、常軌を逸した見開きぶりの目が私を見つめている。
 地蔵の目は記号として、あるいは目の抽象として、未熟で下手くそだからこそ刺さる。原初の目である。
 目の中にはやり過ぎなくらい睫毛を描かれているものもある。さらに唇を塗られ、徹底した厚化粧を施されて、実際に袷を着せられている。
 この土地の人々は、地蔵に化粧し、地蔵の着衣を手縫いして着せてやっているのだ。
 地蔵たちの無数の視線に私はからめとられ、目を離すことができず、その場に立ちつくしていた。
 我に返った。
 すっかり暮れてしまって、北からの冷風に肌が引き締まっていく。
 気持ちは鎮まっていた。
 満艦飾の服を着せられた、真っ白な貌の地蔵に手を合わせた。
 意識せずに、合わせていた。
 かといってなにかを祈ったわけではない。私はオートバイを始動し、黒灰色の空に向かってゆっくり走りはじめた。
 
.      *
 
 船頭以下、皆、深刻な貌だ。
 とりわけそうは銭勘定の責任者であるから、顔色が赤くなったり白くなったり、困惑が著しい。
 積み荷がないのである。
 這々ほうほうの体で敦賀の湊に入ったら、予定されていた積み荷が、他の船に積まれて数日前に出帆してしまったというのだ。
 荷受け問屋は平謝りだが、いくら謝られても存在しない年貢米の米俵は積みこむことができない。
 ときにこのような二重契約が生じることがあると耳にしたことがある。
 単純な根帳の書き違えが原因であることが多いらしい。いまも、そう説明された。聞き違え、書き違え──。
 そもそも船頭のぞうの許に入った依頼内容は、当初から問題含みだった。
 加賀藩の蔵米が大量に敦賀の湊に集積してしまい、それを江戸まで廻米してほしいとのことであった。要は加賀藩の手違いの後始末を頼まれたのだ。
 呂久蔵はやとい船頭せんどうではない。ほうしょうまるは呂久蔵の直乗じきのりであり、買い積みで稼いでいたから、加賀藩の米など他人事であった。
 加賀藩に関係する者がづるを頼って呂久蔵に接触してきて、いままで関係をもったことのない敦賀の荷受け問屋の運賃積みを懇願されたのだ。
 運賃はなかなかの額だった。
 買い積みは当たり外れがあるが、荷積みは取りっぱぐれがない。なんらかの理由が加賀藩にあるのだと呂久蔵は決めつけ、その金額に負けて、折れた。
 武家に倣って鉄の結束と血の団結を標榜する北前船である。地縁血縁で固く結びついていた。観音の位と称される船頭の命令は、すべてに勝った。
 だが、皆は渋った。
 当然だ。出羽の酒田から泉州堺湊にもどったばかりだったからだ。
 七ヶ月ほども海の上だった。上下左右に揺れない足許を踏みしめる幸せに、深く長い吐息をついていたのだ。
 航海で傷んだ船の手入れも満足にしていない。せめて川に曳航えいこうして真水で船底の船食虫などを落としたかった。
 まわりからは船頭せんどうと立てられてはいる。けれど呂久蔵には方正丸を新造したときの借金が残っている。
 船に乗らず、陸の上から指図する真の居船頭になりたいのは山々なれど、第一歩を踏みだしたばかりで、己の完全な廻船所有まであと少しといったところだ。
 一航海で弁才船べんざいせんが一艘あがなえるというが、それはきっちり利益が出たときの話だ。
 利鞘を稼ぐのは、操船とはまたちがった難しさがある。
 とはいえ来年の春に航海にでれば、前借はすべて返せる目算があった。
 加賀藩絡みとはいえ別段あせる必要も理由もなかったのだが、運賃額が頭にちらついてしまい、結局は金に負けた。
 俺がここまで頭を下げてるってえのに、てめえらは動こうとしねえのか──。
 脅しに近い調子の呂久蔵の要請に、水夫たちは不本意ながらも帰ったばかりの泉州から船を出した。
 堺湊を出港して穏やかな瀬戸内を抜け、難所の長門下関もつつがなく抜けた。
 そのあたりまでくると、ふて腐れていた水夫たちも文句を言わなくなった。
 いったん地面を踏んで、その不動堅固に慣れてしまいかけていた足裏だったが、もともと揺れる船上のほうが馴染んでしまっているのだ。
 下関を抜けてからは、対馬海流の本流ではなく、陸地に沿った支流に乗って北上していたのだが、但州柴山の沖合で風にあおられて支流から外れた。
 必死で操船した。
 みよしおもてが声を張りあげる。
 面舵~。
 取舵~。
 良候ようそろ~。
 その忙しない指図に、船尾で舵を操る梶前の掌の皮が剥けるほどだった。
 どうにか流れにもどって無事、敦賀の湊に入った。
 方正丸は通常、敦賀を飛び越して能登は福浦の湊に入るので、敦賀湊は入港したときから微妙に勝手がちがっていた。
 それでも、とっとと廻米して、江戸に入船したら吉原に雪崩れこもうと水夫たちは額を付きあわせて下卑た笑いを泛べていた。
 ところが積み荷がなかった。
 まさか方正丸がこのような目に遭うとは呂久蔵も思ってもいなかった。
 呂久蔵以下、怒りも空回りして唖然とし、やがて悄然とするばかりであった。
 せめて泉州にもどるのだから手頃なものを買い積みして、幾許かの稼ぎを得ようと呂久蔵は問屋に迫った。
 ろくな物がなかった。大坂などでさばけるはずもない屑ばかりだった。
 刀を持っていたならば、呂久蔵は上っ面だけ恐縮してみせ、泉州から積んできた酒の値にたっぷり色を付けてやったと開き直る問屋の首をねていたところだ。
 呂久蔵はきつく腕組みして考えこむ。
 慥かに泉州からたっぷり酒を積んできた。それをここ敦賀で捌くことができた。
 つまり行きに関しては、なんら問題はないわけだ。
 帰りの荷である。
 なにか積んで動かさねば、北前船の商いは成り立たない。
 だが期待していたにしんなどの海産物は敦賀では出払っていた。
 敦賀は、ないない尽くしである。
 空荷で帰るわけにはいかない。
「ここまできて、引けねえなあ」
「けど、どうしようもないでさあ」
「どうしようもない? どうにかしようぜ」
「船頭は軽く言いますけどね、敦賀にはなーんもねえじゃねえですか」
「──ねえなあ」
「昔は敦賀といえば一二を争う湊だったってえのに、陸揚げ陸路がなくなったとたんに、寂れたもんだ」
 呂久蔵は問屋が用意した藁縄で雑に縛られた数束の昆布に視線を投げた。
 莫迦にされているとしか思えぬ。
 陥穽にはまって、ぽっかりあいた得体の知れない谷にちこんだかのようだ。
 けれど怒鳴っても暴れても、積み荷はあらわれない。
 この問屋には悪評が立って、早晩商いが成り立たなくなるだろう。
 悪評を立てるのは呂久蔵だ。とことん煽ってやると、呂久蔵は憎しみを燃やした。
「いや、それは先の話だ。まずは、いまだ。いまのど壺を打開しねえとな」
 独り言に続いて、呂久蔵の黒眼がぐいっと持ちあがる。
 敦賀から少しばかりのけち臭い荷を積んでもどって不満を溜めこむよりも、大きく飛躍したい。
 気持ちを切り替えた。
 脳裏で船脚を勘案する。
 いまから帆を張れば佐渡の小木は当然のこととして出羽の酒田、うまくすれば津軽湊まで行けるのではないか。
 いや絶対に十三湊だ。
 十三湊で冬をやり過ごし、一気に蝦夷は松前まで行く。
 のんびり船を係留して冬を越す泉州の奴らを出し抜ける。
 説得したいがために、呂久蔵はそれらの計画を、反っくりかえって過剰に偉そうに告げる。俺たちは、十三湊まで行くぜ──と声を張りあげ、豪語する。
 しばし間があった。
 呂久蔵がなにを口にしたのか、理解できなかったのだ。
 やがて皆がいっせいに動揺した。
 若衆やかしきは係累がない者がほとんどであるから、すぐに案外さばさばした顔つきになった。
 けれど妻子がある知工も表もかたおもておやも大きく顔が歪んでいた。
 知工が迫る。
「船頭は、なにを考えてるんだ?」
「なにって、てめえらにたっぷり給金をはずんでやろうってえ算段だよ」
 知工と表が顔を見合わせる。親司は鼻梁に皺を寄せている。
 呂久蔵が静かに言う。
まちきりだしはべつだ」
「そんなんは、当たり前だべ」
「まあな。当たり前だわな」
 呂久蔵は皆を睨めまわす。口の端をくいっと持ちあげて笑う。
「いいか。帆待切出はべつで三役には五両。若衆には二両。爨きには一両」
 知工が迫る。
「本気か?」
「本気も本気。成算ありのありありだ。敦賀くんだりまで送りこまれたおかげで、運が巡ってきたぜ」
 親司は年の功で、呂久蔵の言うことを真に受けていない。高く売れる荷が手に入る保証などなにもないのだ。
 けれど率直に疑義を呈すると、老身を敦賀に棄てていかれかねないので、とぼけた声で問う。
「炊の一両が、いちばん分がいいなあ」
。強慾は滅びのはじまりだぜ」
 知ったようなことを──と親司は胸中で舌打ちし、すました顔で切り返す。
「船頭よ、三役は六両でいいんじゃねえか。そんくらい貰えるならば、そりゃあこっから先、気もえるってえもんよ」
「──三役は年中給金二両。昔っからそう決まってんだぜ。三倍は強慾ってもんだ」
「かもしれん。が、俺たちは多いぶんには、いくら貰ってもかまわんって
 いやらしく船頭の語尾を真似て親司は表、片表と交互に視線を投げる。
 三倍の給金をもらえるならば、これから先の積み荷のことなど知ったことではない。
 船頭が儲けようが損しようが、約束した給金だけはしっかり払っていただこうという腹である。
 三倍、六両という金に釣られた表や片表の目の奥の色を読んで、親司はゆっくり若衆や爨きに視線を投げる。
 若者たちは独り身だし、空荷で無駄だった航海のはずが、委細はわからぬが来年の年中給金をたっぷりはずんでもらえそうなので、すっかり乗り気になって申し合わせたように船頭に視線を投げている。
 こいつら、もう、その気だぜ──。
 爨きの一両は、有り得ぬ金額だ。
 だが船頭が払うといっているのだから、よけいな口出しをする気も失せた。
 ただ、しっかり、六両払ってもらえれば、海の底以外は、どこへなりとも行こうではないか。
 親司はそう肚を決めた。
 表に向かって幽かに顎をしゃくると、表は慌て気味に頷いた。
 片表もまだ不安の残った貌で二度頷いた。
「決めた。決まった。約束の年中給金六両だけは、しっかり払ってくだせえよ」
 年中給金六両を勢いで口にしてしまった呂久蔵は苦笑いしたが、すぐに笑いから苦いものが消えた。大仰な声をあげる。
「大盤振る舞いで屋台骨が歪みそうだが、三役には六両払う」
 いったん、息をつく。
「もう、こんなとこには居たくもねえ。とっとと湊を出よう」
 気負った呂久蔵の声に、親司が諭すように言う。
「水を差すようで申し訳ねえが、北に向かうんだろう?」
「そうよ。俺は十三湊まで疾ろうと決めてるって言ったじゃねえか」
「それはいいけどよ、どーすんだよ」
「なにを?」
「南に下って、瀬戸内を抜けて泉州に帰るなら、よくねえことだが空荷でもかまわんよ。怖えのは下関だけだ。けどよ、北上するんだべ? 北に向かうんだべ? 泉州に帰る長閑な海とは訳がちがうべよ」
「十三湊や松前に着く前に、なんか金になるものを積んでけってか?」
 呂久蔵の的外れな問いかけに、親司は露骨に小莫迦にした視線を投げた。
「幾年、海に出てんだよ。これから向かうのは北の海だぞ。空荷なんぞで乗り出したら、帆が強風を孕んだとたんに、まちがいなく転覆だわい」
 親司は表や片表に上からの視線を投げ、同意を求める。
「そうだべ?」
 いつも舳先に立って威張っている表の俊資としすけが、親司に呑まれたような視線を返した。ぎこちなく咳払いして言う。
「慥かに空荷は、やべえよ。そこおもりがねえと、荒波に揉まれたら、あっさり沈んじまう」
 片表も、くどいくらいに頷く。
「僭越ながら、船頭。かるはやばい。いまの方正丸ときたら、喫水が浅すぎますぜ。あしがなければ船は沈みまさあ」
 錘抜きの不倒翁おきあがりこぼしは存在しない。要は船底にバラストを積まねば、船は安定しないと言っているのだ。
 いまの方正丸は喫水が極端に浅い。
 つまり船底の一部だけがちょこんと海に浮いている状態なのだ。
 そこに強風や激浪が襲えば、ひとたまりもない。あっさり転覆だ。
「泉州に帰船するなら俺もしつこくあれこれ言う気はねえけど、ここから先、北の海はこんなんじゃまずいですぜ。難船まちげえなしですわ」
 呂久蔵の頭の中は捕らぬ狸の皮算用で、来年の儲けでいっぱいだった。ごく初歩的なことで腰を折られて、頬が歪んでいる。
 腐っても船頭、表や親司の言っていることなど、百も承知だ。
 けれど、いまの状態をなんとか打開しようと必死で考えていた。
 そのせいで思いが至らなかった。無様さに赤面しそうだ。
 たかが脚荷ごときであっさり引っ繰り返されてしまったのだ。
「いや、たかが脚荷ごときじゃねえやな」
 近ごろ独り言の多い船頭を、年若い爨きがさりげなく一瞥する。
 その視線に気付いた呂久蔵だが、知らんふりして声を張りあげる。
「てめえら、つまんねえことで立ちどまるんじゃねえよ! しかと考えやがれ。六両、ふいにするか?」
 爨きに視線を投げる。
「一両、慾しくはねえか?」
 爨きはぎらついた目で頷いた。
 三役は、もっともらしく腕組みなどして考えこみはじめる。
「ちゃんと思案しろってんだ。でねえと、浜の砂を積ませるぞ」
 爨きが呟く。
「浜の砂」
「阿呆。冗談だよ。砂なんぞ積んだ日にゃ、いざ重みを加減しようってときに、えれえ手間がかかるぞ」
 爨きがあわてて否定する。
「いえ、そんなんじゃねえんです。浜に、凄えたくさんの、変なお地蔵さんが並んでたじゃねえですか」
 呂久蔵は無表情に応えた。
「面を真っ白く化粧して、真っ赤なべべを着せられてた、あの薄気味悪い地蔵か」
 地蔵は百体以上もあった。人の背丈ほどもある大きなものもあった。
 爨きがなにを考えているのか悟った表が、大声で叱る。
「てめえ、なに考えてやがるんだ! 罰あたりめが」
 呂久蔵が首を左右に振る。
「いやいや、いいぞ。あれはいい」
「あれはいいって、地蔵ですかい? 船頭は本気で言ってんですかい?!」
「そうだ」
「地蔵菩薩を脚荷代わりにしたら、それこそ沈みますぜ!」
 呂久蔵が凄い笑いを泛べる。
「なんの。菩薩も頼られて悪い気もせんさ。荷をたっぷり積むことができたら、その湊にそっと地蔵をおいてくる。これすなわちしゃく調ちょうぶくってえもんよ」
「真顔で言ってるんですかい。そんなもんしゃくぶくなわけねえですよ!」
「うるせえ。もう決めた。今夜、夜陰に乗じて地蔵を積んで喫水を整え、即座にこの貧乏くせえ湊を出る」
 呂久蔵は船員一同に活を入れる。
「いいな!」
 
.      *
 
 湊が霞んで見えなくなったころ、陸地の側から朝の陽射しがさした。
 方正丸はなぎの海を舐めるように疾る。
「地蔵の霊験あらたかじゃねえか」
 好天に、呂久蔵の口も軽い。
 片表の参三さんぞうは呂久蔵に気付かれぬように眉をひそめ、その場を立ち去った。
 舳に立つ表の傍らに行き、その横顔に視線を投げた。
 表の俊資は凪にもかかわらず、張り詰めた貌で海を凝視している。
 これほど静かな海もめずらしい。
 いつもは、ごえを張りあげたあげく割れて掠れてしまった大声で舵の指図を出すのだが、今朝は黙っていても船は進む。
 それだからこそ俊資の目は、幽かな不安でゆらいでいる。
 参三も滑らかに海を断ち割って進む方正丸が恙なく湊に、いや陸地に辿り着けますようにと胸の裡で祈った。
 あまりに静かなのと、やることがないのとで、舳近くの垣立かきたてに身をあずけて海面を覗きこんでいる若衆と爨きのやりとりが微風に乗って流れてきた。
「なあ、兄貴、いいですかい?」
「なんでえ、あらたまって」
「うん、兄貴。ずっと知りてえって思ってたんだけど、海ってのは、てめえのかたちをしっかり覚えてんですかね?」
「なんのことだ?」
「だって、こうしてじっと見てると、波ってえやつは、いつも、おんなじかたちをしてるじゃねえですか」
「──犬はおめえのことを覚えてるか?」
「ええ。五助なんぞ、俺のことをよーく覚えてて、駆け寄ってきますぜ」
「じゃあ、石ころは、おめえのことを覚えてるか」
「──いや、その、なんだ? 石ころはだいたいおんなじ場所に転がってるけど、俺のことなんぞ覚えてるわけがねえ」
「波もいっしょだよ」
「そうですか。水ってのは、てめえのかたちを覚えてねえのか」
「あたぼうよ。この静かな鏡が、気まぐれに巨大に育って牙を剥きやがる」
「あれも、てめえの姿を覚えてるからこそって、俺は思ってたんですけどね。波はてめえの凶暴な姿を覚えてんですよ」
「一理あるような気もするが、ちげえよ」
「ちげえますか。そうですか」
「海ってのはな、なーんも覚えてねえから、暴れたり鎮まったり満ちたり引いたり──」
「そうか。逆だったのか。俺はまた海にかぎらず川とかも、水ってえのは、ぜーんぶ自分のことを覚えてて、あれこれしてるんじゃねえかって」
「阿呆。水は記憶を持たねえんだよ」
「なるほど。言われてみれば、記憶ってやつを持たねえからこそ、水の姿は胸に沁みるんですね」
「恰好いいことかすじゃねえか」
「へへへ。俺は船方になってよかったって心底から思ってんですよ」
「──いつも出航前に御本山に詣でるじゃねえか」
「ええ。手を合わせて航海の無事とボロ儲けを祈ります」
「ボロ儲けか。航海さえ乗り切れば、ボロ儲けも期待できるよな」
「できますね!」
「けどよ」
「はい」
「今年、西廻りだけで、どれだけの船が沈んだ?」
「五そうだったかな」
「俺は七艘と聞いてるぜ。毎年、こんなもんか。沈むよなあ。まったく、どんだけの船方が海の底で腐りながら魚に食われて骨になったか」
「──御本山詣でしても、祈りは届かない」
「そういうことだ。沈んだ奴らだって熱心に祈ったさ。そしてな」
「はい」
「このきらめいてる海の水に祈りが届かねえということは」
「水は記憶をもたない」
「その通り。俺たちの思惑とか願いとか、そんなもんには一切頓着しないというか、無関係というか、覚えてねえというか」
「兄貴」
「ん?」
「なんだか怖くなってきました」
「気持ちはわかるぜ。けどよ」
「はい」
「凪いだ海の、なんと美しいことよ。朝日を映してさんざめいているぜ」
「溜息がでそうです」
「うん。俺なんてよ、大きな声では言えねえが」
「ちいさな声では、聞こえない」
「ちょくるんじゃねえよ。いいか」
「はい」
「大きな声じゃ言えねえが、船が沈みそうな大波だって綺麗に見える」
「──はい。呆気にとられるような大波に襲われて、口をあけて見守ってると、潮が一気に口ん中に這入ってきて、塩辛えのなんのって。で、うっとりしてんですよ」
「波は、水は記憶を持たねえから、美しいんだよ。惹かれるんだよ」
 なるほど──と、爨きは納得したようだ。
 参三は罅割れた両手指の爪をじっと見つめる。海は、水は記憶をもっているがごとくかたちを変える。
 が、水は二度と同じかたちを取らぬことを参三は知っている。
「いま見た水は、一瞬前の水とはまったく別の水なんだよ」
 独白した参三を俊資が一瞥する。
 海は記憶をもたぬがゆえに、地蔵を重石代わりに積みこんでも、一切頓着しない。
 そう決めつけると、少しは気も鎮まってきた。
 じわじわと這い昇った朝日が、俊資の眼球の芯を射貫く。
 方正丸は、北へ向かっている。
              〈以下次号〉

第五回に続く)

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花村萬月 はなむら・まんげつ
1955年東京都生まれ。89年『ゴッド・ブレイス物語』で第2回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。98年『皆月』で第19回吉川英治文学新人賞、「ゲルマニウムの夜」で第119回芥川賞、2017年『日蝕えつきる』で第30回柴田錬三郎賞を受賞。『風転』『虹列車・雛列車』『錏娥哢奼』『帝国』『ヒカリ』『花折』『対になる人』『ハイドロサルファイト・コンク』『姫』『槇ノ原戦記』など著書多数。

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