
【夏の特別企画・同世代作家対談】黒木あるじ×天野純希 “プロレス脳”な私たち
実話怪談小説の旗手・黒木あるじが挑んだプロレス三部作の完結編『破壊屋(デストロイヤー) プロレス仕舞伝』。歴史時代小説の新時代を駆ける天野純希が、名もなき人々の物語を紡いだ『もろびとの空 三木城合戦記』。集英社文庫のレーベルメイトであり、共に1970年代後半生まれの作家による、異種格闘技対談……と思いきや、プロレスの話題から小説の視座まで、初対面にもかかわらず驚くほどに意気投合。スウィングするトークに華が咲く時間無制限一本勝負。いま、開始のゴングが鳴り響く!
〈対談進行・記事作成 宮田文久〉〈写真 織田桂子〉


──対談前の写真撮影の時点で、共通の趣味であるプロレスのジェスチャーなど含めて相当に意気投合されていました。ただ、おふたりが直接お会いになるのは今日が初めてなんですよね……?
黒木 はい、初めてです。
天野 たぶん、まったくそうは見えないですよね。
黒木 直接お目にかかるのは今日が最初なんですが、とはいえ対談企画が決まった段階で私から天野さんにお電話をして、いろいろとお話しさせていただいたんですよね。
天野 小一時間ほどお喋りさせていただいて。黒木さんの人となり、そしてプロレスではどの団体が好きか、ということもおおよそわかったので、今日は安心してやってきました(笑)。
黒木 どの年代のどの選手が好きか、といったところまで把握できれば、その人のことは八割方理解したも同然ですよね(笑)。プロレスのことのみならず、今日天野さんがこの部屋に入っていらしたときに映画『ファイト・クラブ』のTシャツを着ていらっしゃる姿を見て、これはもう間違いない、信頼できる方だと確信しました。今日もどこかで話題に出るかとは思うのですが、とてもポジティブな意味合いにおいて、確実に同じ〝ボンクラ〟の精神を生きている方だ、と。
──ボンクラというと元来は「ぼんやりとしていて、物事の見通しが立たない人」というような意味ですが、黒木さんがおっしゃっているのは、転じて「必ずしもメジャーではなかったり、ときに世に受け入れられなかったりする文化を偏愛する人」というニュアンスですよね。実際に『ファイト・クラブ』は1999年公開、エドワード・ノートンとブラッド・ピット主演の映画で、地下室で殴り合う男たちを描き、カルト的な人気を誇りました。
天野 Tシャツ、着てきてよかったです(笑)。今回『破壊屋(デストロイヤー) プロレス仕舞伝』にて、黒木さんのプロレス三部作が見事完結を迎えられたわけですが、思い返せば第一作の『掃除屋(クリーナー) プロレス始末伝』が雑誌「小説すばる」で連載されていた頃から拝読していました。
黒木 ありがとうございます、嬉しいです!
天野 プロレス小説と名のつくものは読まないと気が済まない人間ではあるのですが、そうしたなかで初めて黒木さんが書かれるものに触れたのが、『掃除屋』でした。とても面白いなあと思って読んでいって、その後の続編である『葬儀屋(アンダーテイカー) プロレス刺客伝』や『破壊屋』も手に取らせていただきました。それが偶然にも、今回のご縁にまでつながっていったんですよね。
黒木 私も実は、天野さんが小説すばる新人賞を受賞したデビュー作『桃山ビート・トライブ』を拝読したときから、強烈なシンパシーを感じていました。いや、より具体的にいえば、この方は絶対にプロレスが好きだ、と。
──『桃山ビート・トライブ』は安土桃山時代、楽器奏者と踊り手の若者四人が結成したロックな一座が、秀吉の治世に抗っていくというストーリーですが……?
黒木 実はそのなかに、わずかにではありますが、プロレス要素がまじっているのです。後に一座に加わることになるモザンビーク生まれの太鼓叩き・弥介は、イエズス会の宣教師の従者として来日した人で、物語の序盤は、堺の貿易商人のもとで通詞(通訳)として働いています。やがてある出来事をきっかけにして商家の当主に弥介がつかみかかり、その弥介と仲のよい、商家の跡取り息子である助左衛門が止めに入る……という場面が描かれるんですが、そこにこんな一節があるんです。
「弥介、落ち着け!」
背後から助左衛門が組みついてきたが、弥介は完全に見境がなくなっていた。凄まじい力で振り払うと、勢い余った二の腕がウエスタンラリアットの形で喉元に炸裂した。
「ぐえっ……!」
助左衛門の体が空中で一回転した。びたん、という音を立てて落ちた時には、すでに白目を剝いて昏倒している。
天野 たしかに、そう書いていますね。その一節に注目していただくのは珍しいことですが……(笑)。
黒木 プロレスが好きな読者であれば、喉元に「ウエスタンラリアット」を食らって、一回転しながらマットに叩きつけられるという、これまでに幾度となく目撃してきたレスラーたちの姿が、まざまざと目に浮かぶような場面です。何より、これが「ウエスタンラリアット」と書かれているのが重要だと思うんですね。プロレスをお好きでない方であればこの技名を書かないか、あるいはもっと簡単に「ラリアット」や「ラリアート」とだけ書くでしょう。逆にプロレスのことを好きすぎて周りが見えなくなっている人は、「クローズライン」や「アックスボンバー」と書くのでは。プロレスの技名は、同じ技でも使用する選手によって名称が異なることが多いですから、プロレス好きであればあるほど、よりコアな技名を書いてしまうはずです。
天野 結果として書いたのは、そのどちらでもないですね。アックスボンバーにするかどうかは、ちょっと悩んだような気がしますが……。
黒木 普通はそこで悩まないと思います(笑)。天野さんは両極端のあいだでバランスをとって、きちんと読者に届くかたちにしつつ、一方でご自身のこだわりもちゃんと込めながら「ウエスタンラリアット」と──「不沈艦」の異名で大変な人気を博したレスラー、スタン・ハンセンの技として人口に膾炙している技名で書いていかれたわけですよね。私は『桃山ビート・トライブ』を読んでいて、この作者の方は、“どうしても書きたいこと”がある作家さんで、「ウエスタンラリアット」という名前である必然性もまたそこにあるのだと、ハッと気づきました。間違いなくプロレス者だ、同じ“ボンクラの国”の住人として、絶対に話が合うはずだ、と。

──今日こうしておふたりが邂逅されるのは、ほとんど運命のようなものだったのかもしれませんね。改めて、黒木さんがプロレス三部作を手がけられることになった経緯をうかがえますか。
黒木 実は当初、シリーズではないどころか、長編でさえなかったんです。「小説すばる」の当時の編集長の方と別件でお仕事をする機会があり、そのご縁で、ミステリー・ホラー系の短編を一本依頼いただいたことが、すべての始まりでした。その短編を書き上げて、では次は読み切りかつノンジャンルの短編を、というお話をいただきました。プロレス好きの人間としては、「ノンジャンルで」と言われたということは、「お前はどれほどの腕前なんだ」「何の技が出せるんだ」と問われたのだと理解したんです(笑)。
天野 フフフ、プロレス脳だとそうなりますね。
黒木 私はもともと怪談の書き手として世に出た人間なのですが、このようなチャレンジの場に立つことになり、あえて怪談やホラーといったジャンルをすべて排して何ができるのか、と考えることになった。そのときに、「そうか、自分はプロレスが好きだよな」と改めて思い至ったんですね。お化けも幽霊もゾンビも出てこない小説を書くのは初めてだったんですが、書き始めたら筆がのってしまい、全然短編一本では終わらなくて……締め切り当日か翌日だったと記憶しているんですが、文章の終わりに「続く」と書いた原稿をお送りしたんです。
天野 すごいことをされますね!
黒木 当時の編集長さんからすぐにお返事がきて、「どういうことですか」と(笑)。こちらの思いや事情を説明したら、懐の広い方だったので、ありがたいことに続きも書きなよとおっしゃってくださった。そこから第二弾、第三弾まではあっという間でしたね。総じて、自分でも驚いているあいだに三部作になった、というシリーズなんです。
天野 あまり他では聞いたことのない、シリーズの成立過程ですね……。なるほど、そういうやり方もあるのか(笑)。
黒木 周囲の書き手の方々に話すと、「そんなことは絶対、二度とやっちゃだめだ」と言われるエピソードではあるんです。「続く」なんて原稿が届いたら、普通は「一回で収まるように書き直せ」で終わる話だと私も思いますから(笑)。
──独自の経緯で成立していったシリーズということですが、物語の内容やキャラクターはどのように決まったのでしょうか。シリーズの中心となる人物は、ベテランプロレスラーのピューマ藤戸ですね。コミカルな試合展開でファンを楽しませる老齢のレスラーですが、その実、依頼に基づいて、観客には気づかれぬように試合相手をリング上で制裁するという裏稼業を担っています。
黒木 プロレスラーを書く場合でも、他の物語を執筆する場合でも、ヒーローやエースといった存在にはあまり積極的に興味を抱くことがないんです。スポットライトをあまり浴びずに生きている人のほうが、なぜか昔から好きでして。プロレスに詳しい方なら、木戸修さんや保永昇男さんのようなイメージ、とお伝えすればピンとくるかと思います。
天野 木戸さんはUWFといった団体を中心に、「いぶし銀」「職人肌」といったイメージのプロレスラーとして定評があった人ですね。保永さんもまた、決して自ら目立とうとすることのない選手であり、むしろ引退後にレフェリーとして活躍してきている方です。私は、黒木さんの小説に出てくる藤戸にかんして、木戸さんの顔を思い浮かべながら読みました。
黒木 ありがたいことです。大会のメインイベントに出ることはほとんどなく、その日のスケジュールでは前のほう、第三試合ぐらいできっちりプロレスをする人、という感じですよね。ビギナーの観客の方だと「リングの片隅にいたおじさん」ぐらいの覚え方をしているんだけれども、古参のファンは「何を言っているんだ、実はあいつが一番強えんだ!」と持論を崩さない……そんな愛され方をするレスラーが好きです(笑)。華やかな場にいなくても、こつこつと職人のように事に当たる人を書きたいわけなんですが、ただ書いていくとまさに渋いだけで終わってしまうので、裏の設定を重ねていったという具合です。
天野 なるほど、そういう順序で考えていかれたのですね。
黒木 第三部にあたる『破壊屋』では藤戸の引退試合に焦点を当てているのですが、いぶし銀であったはずの藤戸がバラエティ番組で注目されている、というところから始めています。というのも、第三部の構想を練っていたときにちょうど目にするようになっていたのが、バラエティ番組で活躍する武藤敬司さんと長州力さんなんですね。
天野 たしかに近年、テレビを含めたメディアでのおふたりのご活躍ぶりは、すごいものがありますね。
黒木 我々の世代からしてみれば、武藤さんは押しも押されもせぬ天才レスラーであり、長州さんは選手としても、そして新日本プロレスの現場監督としてもあんなに怖い人はいないと恐れられていたわけで。そんなおふたりがバラエティ番組で引っ張りだこというのは、想像もつかない未来を生きている気がします(笑)。そうしたレスラーの境遇の変化を踏まえつつ、引退試合に至るドラマを読者の皆さんに楽しんでいただこうと『破壊屋』を書き上げ、三部作のゴールテープを切った、という按配なんです。
天野 意外なお話でした。シリーズの立ち上げ方がイレギュラーというのは先ほどうかがいましたが、シリーズ全体の構想にかんしても予め決めるのではなく、一つひとつ組み立てていった、ということなんですね。
黒木 プロレスにおける関節技の応酬ではないですが、その場のインプロビゼーションの感覚を大切にした、ということかもしれません。作者が強引に進めるのではなく、むしろキャラクターであるプロレスラー本人に「こういう場合はどうするのか」と問いかけていく感じとでも言いますか。かなり四苦八苦しながら書いていきました。
──即興的な筆の運びでいらした、と。
天野 プロレスは、小説として書くのがとても難しいところがいろいろあると正直感じます。先ほど「ウエスタンラリアット」の例が出ましたが、「逆エビ固め」でも「腕ひしぎ十字固め」でもなんでも、プロレスを知らない読者の方にもしっかり伝わるように書くということには、相当の腕がいるはずです。そうしたひとつひとつのディテールが、黒木さんの小説ではきっちりと処理されていてスッキリ読みやすい、というのが本当にすごいなあと思いました。
黒木 そんな、恐縮です。いまおっしゃっていただいて、はたと思い出したのですが、「小説すばる」で連載を続けていった際に担当いただいた編集さんが、プロレスを一切見たことがない方だったんです。私が「ローリング・クレイドル」という技名を原稿に書き込んだときに、その方が「『ローリング・クレイドル』って何ですか?」と率直に質問くださって、私はハッとしたんですよね。そうですよね、伝わらないですよねと反省して、すぐに直しました。仮に「組み合った状態でリング上を転がる」と説明したとしても、実際の動きを見たことがない人にはまったく想像がつかないはずなので。
天野 たしかに、すごく説明がしにくい技ですね。気になる読者の方はぜひウェブ検索してみてほしいぐらいです(笑)。
黒木 まずはプロレスを知らない担当の方に伝わるよう、なるべくシンプルに、あるいは描写すればわかる技に絞る、といったことを心がけました。天野さんの場合も、『桃山ビート・トライブ』に限らず、格闘シーンをいろいろと書かれていますよね。
天野 そうですね。合戦のシーンなどに限らず、素手での殴り合いなども、好きなのでよく書いてしまうんです(笑)。だからこそ、黒木さんのご苦労や才能は、深く伝わってくるものがあります。また、そうした身体的な描写とはまた別に、プロレスをどう捉え、どう描くかという問いもまた存在しますよね。黒木さんのプロレス三部作は、裏稼業を営むレスラーを主軸としながらも、決してプロレスの〝裏〟を描こうとするのではなく、真正面から書いていらっしゃる点が特徴的だと思います。
黒木 たとえば映画の『レスラー』は傑作だと思うのですが、その感想がなかなか当事者からは聞こえてこない理由というのは推して知るべし、というところがあります。私の場合も、大好きなプロレスのことを書いたのに、当事者から触れていただけないのだとすれば、あまりにも寂しい。だからこそ、とにかくプロレスへのラブレターになるように書きました。長州さんが帯文を寄せてくださったり、青木真也さんやザ・グレート・サスケさんが解説をご執筆くださったりしたことは、そのラブレターへのお返事を頂戴したのだと感じています。
天野 まさに愛、ですね。
黒木 これまで私自身がリング上の戦いやそこで生まれる悲喜こもごもに、とにかく「やべえ!」「すげえ!」と心を揺さぶられてきましたから。そこで得るものも、決して「もう一度立ち上がる勇気をもらった」というようなストレートな励ましばかりではないはずなんですよ。迷える人生のなかで背中を押してもらうというより、ほとんど蹴り飛ばしてもらうような感じとでも言いますか(笑)。わがままでもでたらめでもいい、後から振り返ればその人生の軌跡には大事なものがいろいろ見つかるんだ、ということを教えてくれたのがプロレスラーたちで、だからこそ支えられてきたわけです。
天野 黒木さんのプロレス三部作は、プロレスを知らない人にもきちんと届く内容でありつつ、プロレスファンとしても読んでいてとても気持ちがいい小説ですよね。と同時に、書き手としてこのタッチに徹するということは、とても勇気が要ることだろうとも感じました。
黒木 人によっては、読んでいて「わかってねえな」と思われることがあるかもしれませんが、そこはあえて書いていません。とにかくプロレスが好きなんだ、リングを見たときにこう心が震えているんだ、という機微を投影したほうが、きっと多くの人に伝わるはずだ──という選択をしたんです。



──先ほど天野さんは歴史小説のなかで格闘シーンを書くのが好きだ、というお話がありました。『もろびとの空 三木城合戦記』は、織田信長の配下にある秀吉に攻められ、過酷な籠城戦を強いられる別所家の本城・三木城が舞台。村娘や武士、その妻の苦闘が群像的に描かれます。ここでもまた随所に、格闘シーンとも呼べる描写が、豊かな臨場感のもと登場しますね。
天野 基本的に、物語世界をとらえるカメラを、視点人物のわりとすぐ傍に置いて書くタイプなんです。それはかなり意識的というか、常に心がけていますね。その臨場感は、「歴史小説ではあるけれど、決して遠い昔の話ではない」というリアリティとして、読者の方にきっと伝わるだろうと思って書いています。
黒木 なるほど、面白いです。天野さんの小説を拝読していると、そうしたカメラの位置や動きを、至るところで感じるんです。人が、自分の意思によらない世の流れ、戦いの渦のなかに巻き込まれてしまい、狼狽しながら四方を見ている様子が伝わる、とでも言えばいいのでしょうか……映画で言うならば、まるで深作欣二のようなカメラワークだと、読んでいていつも思います。
天野 ありがとうございます。「痛みの伝わるプロレス」というのは、レスラー・天龍源一郎の現役時代の戦いぶりを称してよく使われたフレーズですが、小説もそうでありたいと思っています。痛みに限らず、空気感や匂い、味といったものが生々しく伝わってこないと、読んでいて面白くない。だからこそ、痛いシーンは極力痛そうに描くように心がけているんです(笑)。黒木さんの小説でも、老いた藤戸が膝を痛がっているところの描写が素晴らしくて、とてもよく伝わってきました。
黒木 あれは私がひどい痛風の発作を起こしたときの実体験に基づいていまして……(笑)。日常で何か不幸な目にあっても、つらいと思いつつ、「そうか、人はこういうとき、こんな気持ちや感覚なんだ」と考えている小説家の自分もいます。雨でずぶ濡れになっても、水がしみ込んだスニーカーってこういう音がするんだ、というように。
天野 わかります。痛みやつらさというのは、時代が移ったとしてもそうそう変わるものではないでしょうから。とはいえ、籠城戦が主題の『もろびとの空』を書くにあたって、蟻を食べるくだりは実体験すべきか悩みました。家の外で蟻をつまんで食べているのを近所の人に見られたらまずいと思ったので、結果的には体験者の方の感想を調べたんですけれど……。
黒木 天野さんの小説は、登場人物の設定も特徴的ですよね。『桃山ビート・トライブ』や『もろびとの空』にしても、あるいは他の作品でも、天野さんが小説の主役や主な登場人物として据える人たちには、一定の方向性があると思うんです。天下人になろう、この世の覇権をとってやろうというような人物はほとんどおらず、翻弄されていく市井の人、と表現したくなるようなキャラクターが多くを占めています。
──そのなかでも、女性の視点を大事にされますよね。
天野 順を追ってお話しすると、私は基本的に群像劇が好きなものでして。『もろびとの空』も、いわゆるグランド・ホテル形式と呼ばれる、限られた空間での群像ものが描きたかったんです。領民も一緒になった籠城戦ということで題材を絞り込んでいき、三木城に決めました。その城を攻めたのは秀吉であるわけですが、彼はプロレスの大会でいうメインイベント級の人ですよね。私個人としては、直接的な物言いにはなりますが、「そういう人物の視点の小説は、もういいかなあ」という思いがあるんです。英雄の話は、もうあまり書きたくない。それよりは、スポットライトが当たる人たちの周り、陰に生きている人たちを書きたい。『もろびとの空』がこうした内容になったのは私にとって自然なことでしたし、村娘を中心にしつつ、女性を物語の真ん中に置いて書くということも、ほぼ最初から決めていました。
黒木 「三木の干殺し」という兵糧攻めは有名な出来事ですから、その陰惨な結末は歴史好きの人であれば知っています。だから私も当初は「どうやってもつらい終わり方をする小説なのでは……」と思っていたのですが、女性を中心に据えていらっしゃることで、単なる悲劇ではない、とても普遍的な地平に達していく作品世界になっていました。天野さんは女性をタフに、そしてしなやかに書かれるのがとてもお上手で、『もろびとの空』はそうした天野さんの真骨頂ともいうべき作品だと思います。
天野 そんなふうに読んでいただいて、嬉しいです。
黒木 と同時に、天野さんは「ああ、こういう人いるよなあ」というおじさんを描くのも、とてもお上手ですよね。『もろびとの空』であれば、別所家筆頭家老の別所吉親。プライドが邪魔して引き返せないところまで突っ込んでいってしまう様子は、まるで電車のなかで引っ込みがつかなくなって暴れているおじさんを見かけるような、なんとも言えない心持ちになります(笑)。他にも天野さんは『北天に楽土あり 最上義光伝』(徳間文庫)という小説で、山形の礎を築いた大名を、ほとんど中間管理職的な尻ぬぐいばかりをさせられるおじさんとして描いているのも、しみじみとさせられます。
天野 たとえば吉親にかんしては、モデルになるような人は、ニュースを見ていると画面によく出てくるんですよね。
黒木 引き返せず、謝ることができない人たちですね(笑)。天野さんの小説における歴史上の人物、あるいはそこから想像してつくりあげたキャラクターたちは、きちんと現代的にアップデートされている。いまの読者が読んだときに腑に落ちるかたちに仕上げていく手つきが、本当にすごいと思いながら読ませていただいています。思えば私たちが普段目にしている世界はメインイベントではなく、プロレスのイベントでいえばまさに第三試合の世界であるわけですよね。そこで交錯していく市井の人々の視線というものが、どの作品にも行き渡っているのだと感じます。……それにしても、率直にうかがいますが、天野さんは“武士の誇り”のようなものを、かなりどうでもいいと思っていらっしゃいますよね?
天野 はい。歴史小説家として公言していいのか憚られるところはありますが、武士の誇りだとか天下統一だとか、「勝手にやってろ」ぐらいの気持ちではいます(笑)。
黒木 たしかに、どの作品でも「勝手にやってろ」感は滲んでいる気がします(笑)。
天野 現代日本に生きている我々のほとんどは、武士ではなく百姓の子孫ですから。僅かな上位層の人々のことを、いまわざわざ誉めそやすのはどうなんだろうとは、正直常々思っています。
黒木 戦も天下取りも勝手にやってろという、ある種の空虚さへ向けた冷静な目線というものが、『もろびとの空』をはじめとした天野さんの小説には顕著ですよね。そしてこれも象徴的なことなのですが、『もろびとの空』の「小説すばる」連載が始まったのが2018年、単行本化が2021年。そこから2022年にロシア・ウクライナ間で、2023年にパレスチナ・イスラエル間で戦火が上がり、2024年に本作は文庫化されました。
天野 はい、奇しくもそうしたタイミングで世に問うことになった小説です。
黒木 もし仮に英雄譚として書かれていたとしたら、現在の世の空気感からは、かなり乖離してしまっていたと思います。私たちがいま感じていることのひとつは、「人の命や、生の喜びをないがしろにして得られる勝利とは何なのだろう」ということであるはずですが、『もろびとの空』にはそうした時代感覚がきちんと描き出されている。これだけ激変している世の中において、天野さんの時代に対する感覚がブレていないということを、改めて強く感じました。

──激変する時代のなかでおふたりとも、続々と新たな試みに挑まれています。黒木さんは『春のたましい 神祓いの記』(光文社)で、感染症流行や過疎化によって「祭り」が行われなくなった東北地方を舞台に、荒ぶる神々を鎮めるストーリーを描いています。天野さんはゾンビアンソロジー『歴屍物語集成 畏怖』(中央公論新社)で企画自体を中心になって進められたそうですが、天野さんご自身による短編「死霊の山──一五七一年、近江比叡山」は“狐憑き=ゾンビ”とでもいうべき新機軸の作品でした。共に、コロナ禍を経ての作品ですね。
黒木 天野さんの、狐憑きをゾンビと結びつける発想は、いままで他で見たことがないものでした。
天野 実はゾンビを書きたいという考えが先にあって、狐憑きは後から思いついたものなんです。
黒木 私の『春のたましい』も、和風ホラーや伝奇ホラーといわれるようなジャンルを現代的にリアレンジしてみたい、と思ったことから始まっています。
天野 もちろん、たとえばゾンビというアイデアには、コロナ禍がどこかで関係しているとは思うのですが……それよりは作中で血の量がどれだけ吹き出すか、ということにむしろ腐心している気もします。
黒木 たしかに、パンデミックという世の趨勢から影響を受けながらものを書くところは、少なからずありますが、それだけではないというのが正直なところではありますよね。実際に、あくまでエンタメ作品として、書き手がコロナ禍を内包しはじめている時代にもなりつつあると感じます。……いや、この対談ではところどころ真面目なこともお話ししてきたのですが、天野さんが何よりゾンビを書きたかったというように、プロレスにしても何にしても私たちは、この世界においてマイナーなもの、いわば“まつろわぬ”ものに愛情を抱いているんだと思います。「いい大人として生きるんだったら、普通“卒業”するでしょう」といわれてしまうようなものが、“ボンクラの国”の住人たちは大好きなんです(笑)。
天野 そんな大人たちが書いた小説を、読者の方がどう受け止めてくださるのか楽しみです。黒木さんも私もそれぞれに書きたいことを書くべく、武藤さんの表現を用いれば執筆というプロレスの道を「驀進」した作品たち、どうぞよろしくお願いします!



黒木あるじ(くろき・あるじ)
1976年青森県生まれ。東北芸術工科大学卒業。2009年『おまもり』で第7回ビーケーワン怪談大賞・佳作を受賞。同年『ささやき』で第1回『幽』怪談実話コンテストブンまわし賞を受賞、10年『怪談実話 震(ふるえ)』でデビュー。実話怪談の分野で活躍。17年「小説すばる」誌にプロレス小説を発表、それを元にした文庫『掃除屋(クリーナー)プロレス始末伝』が19年に刊行され好評を博す。他の著書に「怪談実話」シリーズ、『黒木魔奇録』、『怪談四十九夜 鬼気』『葬儀屋(アンダーテイカー) プロレス刺客伝』『小説 ノイズ【noise】』などがある。

天野純希(あまの・すみき)
1979年名古屋市生まれ。愛知大学文学部卒業。2007年『桃山ビート・トライブ』で第20回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。13年『破天の剣』で第19回中山義秀文学賞を、19年『雑賀のいくさ姫』で第8回日本歴史時代作家協会賞作品賞を、23年『猛き朝日』で第11回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『青嵐の譜』『南海の風 長宗我部元親正伝』『信長 暁の魔王』『剣風の結衣』『吉野朝残党伝』など。