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「ベルマークの数だけキスをして」【試し読み】

「じゃあ、ベルマークを一〇〇〇枚集めたらキスしてあげる」
 クラスメイトの谷口たにぐちあかねは確かにそう言った。
 聞き間違いではない。
 不意に訪れたファーストキスのチャンス。
 冗談か本気かわからない彼女の言葉を信じ、十二歳の私はベルマーク集めに奔走することになった。

「ベルマーク」とは、その名の通り、ベルのイラストが描かれたマークのことだ。食品、文房具など、さまざまな商品の包装紙やパッケージに印刷されているので、誰でも一度ぐらいは目にしたことがあるだろう。
 私の通う小学校では、月に一度、各家庭で集めたベルマークを学校に提出する決まりになっていた。ベルマークには「1点」「3点」というように点数が記載されており、1点あたり一円が、学校のベルマーク預金に加算されるのだという。
 まった預金を使い、学校は教材や遊具などの備品を購入する。そしてその購入費の一割が、被災地や発展途上国の学校へ寄付金として贈られるシステムらしい。
 一九九一年、小学六年生の一学期。私はクラスのベルマーク委員を務めていた。そのとき一緒にペアを組んでいたのが谷口茜さんである。
 彼女はみんなから「ナマケモノ」というあだ名で呼ばれていた。行動が動物のナマケモノにそっくりだからというのがその理由だ。
 授業中はあくびばかり、休み時間は机に突っ伏して爆睡している谷口さん。寝るために学校に来ているとしか思えない彼女は、ナマケモノと言われても無理はない。
 芸能人でいえば美保みほじゅんによく似ており、笑うと目がなくなる感じの笑顔が印象的だった。
 なんでも両親は二人とも長距離トラックの運転手で、家を空けがちな親の代わりに、谷口さんが家事を一手に担い、幼い弟たちの面倒をみているという噂だった。
 その話が事実なら、日頃の家事の疲れから、学校ではダラダラしているのかもしれない。家では働き者なのにナマケモノと呼ばれている谷口さん。ちょっと気になる女の子であった。
 そんなナマケモノと一緒に務めるベルマーク委員。月に一度の回収日の放課後は、集められたベルマークを種類別に分け、それらを専用の台紙に貼りつける作業が待っていた。
 谷口さんはベルマーク委員の仕事もサボりがちで、ほとんどの作業を私が受け持つ羽目になった。文句のひとつでも言いたかったが、放課後の教室に女の子と二人きりでいられることの方が幸せで、そこはなあなあで済ませていた。

 いつまでも梅雨が明けないジメジメした六月。私と谷口さんは、担任の先生に呼び出された。なんと、うちのクラスは、ベルマーク提出枚数が全校で一番少ないらしい。それで、クラスのみんなにもっと呼びかけをしなさいとお小言を言われてしまったのだ。
 不思議なもので、子供というのは一緒に叱られると急に仲良くなったりする。私と谷口さんも例外ではなく、その日私たちは、担任の先生の悪口を言いながら仲良く一緒に下校していた。
 悪口も一段落したところで、どうやってクラスのみんなに呼びかけようかとアイデアを出し合うが、なかなか名案は出てこない。
「面倒臭いからさ。僕がいつもよりもたくさんベルマーク持ってこようかな」
「それいいかも。何を言ったってクラスのみんなは聞かないもん」
「ビックリするぐらいの枚数を持ってきて担任を驚かせてやろうかな」
「お、いいじゃん。じゃあ何枚持ってくるの?」
「う〜ん、一〇〇枚?」
「それだと面白くないよ〜、一〇〇〇〇枚ぐらいじゃないとさ」
「一〇〇〇〇枚は無理! 谷口さん、めちゃくちゃ言うよなぁ」
「じゃあ一〇〇〇枚?」
「今月、クラス全部で二〇〇枚だったんだよ。一〇〇〇枚でも多いよ」
「ん〜、何かご褒美あったら頑張れる?」
「ご褒美によるかな」
「じゃあ、ベルマークを一〇〇〇枚集めたらキスしてあげる」
 思いもよらぬ提案を受けて、思わず立ち止まる私。夕日が私の顔を照らしてくれているおかげで、頰が赤くなっているのはバレずに済みそうだ。
「え? 谷口さんのキス?」
「そう、本当にひとりで一〇〇〇枚集めたらね」
「……ほっぺ?」
「どこがいいの?」
「口なら頑張るかもしれない」
「じゃあ口でいいよ」
「僕、ファーストキスだよ」
「私が相手でいいの?」
「谷口さんでいい。でもなんでそんな約束してくれるの」
「だって、毎日学校がつまんなくて死にそうだからさ。君が面白いことしてくれるならそれぐらいのお礼はするよ」
 谷口さんもファーストキスなの? と聞こうとして、私は思わず口をつぐむ。なんとなく、この子はもう色々と経験しているような気がする。ゆっくりと話してみてわかったが、彼女にはどこか小学生らしからぬ大人びた雰囲気がある。
「じゃあ、一か月で一〇〇〇枚集めてね」
「うん、わかった」
「ああ、ちょっとだけ学校が楽しくなってきた! ありがとね」
 そう言って、谷口さんは両手をあげてガッツポーズをする。
 私はもう彼女の唇しか見ていなかった。

 早速その日から、ファーストキス大作戦をスタートさせた。
 まずは家にあるベルマークの確保からだ。台所、冷蔵庫の中、自分が使っている文房具など、家中ひっくり返して探してみたが、手元には二〇枚ほどしかない。
 キスまで残り九八〇枚。
 次は家族に直談判じかだんぱんだ。
「来月はベルマーク収集の強化月間だから、二〇〇枚は持って行かないと怒られるんだ」と適当な噓をつき、家族全員に協力を要請する。
 谷口さんの唇まで残り七八〇枚。
 友達の力も借りたいところだが、谷口さんのキスがかかっている手前、クラスメイトには簡単に話すことができない。
 だって彼女の唇は私だけのものだから。
 しかし、このままでは一〇〇〇枚など夢のまた夢。もう恥も外聞もへったくれもない。私は禁じ手を使うことにした。
 家から少し離れた親戚のもとに自転車を走らせ、ゴミの中からベルマークを切り取らせて欲しいと頭を下げる。
「どうしてそんなにベルマーク欲しいんや」という親戚の問いに「社会の役に立ちたいからや!」と秒で噓をつく私。
 ファーストキスのためならどんな噓でも平気でついてやる。
 だが、これでも目標枚数には遠く及ばない。
 そこで私は、家の近所にある共同ゴミ捨て場に行き、ベルマークを収集することに。
 さすがに人様の家のゴミ袋の中身を見るわけにはいかないので、辺りに乱雑に捨てられているゴミの中から必死でベルマークを探す。ゴミを捨てに来た近隣の人に、事情を話してベルマークを譲ってもらう交渉もした。とにかく必死だった。
 ゴミ捨て場ではなかなかの枚数を稼げることを知った私は、学校終わりの空いた時間を使って、近隣のゴミ捨て場をハシゴするようになった。
 最初は、ゴミの汚さと辺りに漂う腐敗臭で吐き気を催していたのが、慣れとは恐ろしいもので、それも徐々に平気になった。そして、今までまったく興味を持てなかったベルマークの魅力にも気づき始める。
 実はベルマークにもさまざまな種類がある。
 色にしても、単純な黒色だけではなく、赤、青、緑とそのバリエーションは実に多彩だ。そして各商品にまつわるイラストが添えられているパターンもある。
 例を挙げれば、リカちゃん人形に付いているのは「Licca」という文字がプリントされたピンク色の可愛いベルマーク。また、ソントンジャムの場合は、体がピーナッツの形をした「トンちゃん」というイメージキャラクターがベルを持っている微笑ましいデザインとなっている。
 一度その面白さに気づいてしまうと、日々の収集作業が途端に楽しくなってきた。流れに乗った私は順調に数を稼いでいく。
 このベルマークが私の未来をバラ色にしてくれる。
 このベルマークの先にファーストキスが待っている。
 このベルマークの先に谷口さんがいる。

 そして約束の一か月が過ぎた。
 私の手元には、ビニル袋いっぱいに膨れ上がった約一二〇〇枚のベルマーク。
 家族、親戚、見ず知らずのゴミ捨て人たち、関わってくれた全ての人に感謝する。
 七月のベルマーク提出日の前日、私は放課後の運動場に谷口さんを呼び出した。明日、みんなの前で披露するとちょっとした騒ぎになるのは目に見えている。できるならこの喜びは二人だけで分かち合いたい。そういう思惑で彼女を誘ったわけである。
「うわあああああああああああ!」
 私が取り出したベルマークの山を見た谷口さんは、校庭に響き渡るほどの大声で喜びを表した。なぜかひとりで万歳三唱までしている。
 どうやってこれだけの枚数を集めたのか。
 私はこの一か月の武勇伝を得意気に語る。
 その全てを彼女は大笑いしながら聞いてくれた。
 やがて沈黙が訪れる。
 さあ、キスの時間がやってきた。
 この時のために今日の給食後の歯磨きはいつもより念入りにやったのだ。
 校庭に長く伸びた二人の影が重なり合っている。でも私が重ねたいのは影ではなく唇だ。
 もう影なんかじゃ我慢できない。
「あの……」とキスの話題を切り出そうとしたそのとき、「本当にごめんなさい!」と谷口さんが頭を下げた。事態をみ込めずにいると、彼女は申し訳なさそうに話し始める。
「本当にごめん。実は私付き合ってる人がいるんだよね。だからキスはできないんだ。たぶんキスしたくてここに呼んだんでしょ?」
「ああ、うん。彼氏か、そうなんだ」
「うん、先週から、A先輩と付き合い始めたの」
 この辺りで一番のイケメンと有名なA先輩なら私もよく知っている。ということは中学二年生か。
 私が一生懸命ベルマークを集めているときに、谷口さんは素敵な恋を実らせていたのか。
 しかも、相手は中学生ときたもんだ。小学六年生で中学二年生と付き合う。本当に谷口さんは大人だな。ゴミ捨て場ではしゃいでいた私みたいなお子ちゃまじゃ釣り合わない。
「あ、全然いいよ。僕も最初から冗談だと思ってたし、できたらラッキーだなぐらいに思ってただけだよ。それにこんなことでキスできるわけないもんね」
 私は精一杯強がってみせる。一二〇〇枚のベルマークを集めるためにたくさん噓をついてきたので、もう噓をつくのは慣れっこだ。
「そうなんだ、本当にそうならいいんだけど」
「だって僕、谷口さんとそれほどキスしたくないし」
「ちょっとそれはひどいでしょ〜!」
 お願いだから、これぐらいの嫌みは許して欲しい。
「でもさ、私、こんなに笑ったの小学校に入ってから初めてだよ」
「うん、僕も自分でびっくりしてる。よく集めたなって」
「面白いことしてくれてありがとうね」
「僕も楽しかったよ。こちらこそありがとう」
 バイバイと手を振って、私たちは別々の道を帰る。
 私は家へ、谷口さんはおそらく先輩と待ち合わせだろう。
 ベルマークが入ったビニル袋を振り回しながら家へと帰る。
 ブンブン、ブンブンと何度も何度も振り回して。
 帰宅すると、「おい、今日はお前が風呂ふろき当番やぞ」と親父が言ってきた。
 私はいつものように風呂釜の下で火を起こす。メラメラと燃え上がった炎の中に、一二〇〇枚のベルマークを投げ込んだ。私の一か月の努力が、谷口さんとのキスを夢見た記憶が赤く燃えている。メラメラと燃えている。
 ベルマークで沸かした風呂にかり、「ふぅ」とひと息ついたとき、私はようやく素直に泣くことができた。

 谷口茜さん。
 今でもベルマークを見るたびに、あなたとの苦い記憶が蘇ります。
 本当はあなたとキスをしたかった。
 結局、私のファーストキスは、二十歳のときに出会い系で知り合った女性とのキスになりました。これがまた素敵な思い出になったんです。
 いつかお会いすることがあったら、あなたに詳しく教えてあげたい。
 きっとあの日のように大声で笑ってくれると信じて。
 そして今なら言える。
 谷口茜さん。
 私はあなたのことが好きでした。
 両手にあふれんばかりの花束ではなく、袋にパンパンのベルマークを贈ります。
 あとベルマーク関係者のみなさま、せっかく集めたベルマークを燃やしちゃって本当にすみませんでした。

爪切男(つめ・きりお)
1979年香川県生まれ。2018年『死にたい夜にかぎって』でデビュー。同作が賀来賢人主演でドラマ化されるなど話題を集める。著書に『もはや僕は人間じゃない』『働きアリに花束を』『きょうも延長ナリ』など。

次回は6月28日に更新!お楽しみに

【前々回:「本当にクラスメイトの女子、全員好きでした?」鈴木涼美×爪切男〈特別対談・完全版〉】

【前回:「恋の隠し味はしそと塩昆布」 試し読み】

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