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自己紹介の代わりに

初めまして、Tonnie(とにぇ)と申します。

この記事を書いている2020年4月現在、もうすぐ5ヶ月になる息子といちゃいちゃするための育児休取得中です。

仕事は看護師をしており、ベテラン、中堅と言われる年代です。

しかし私はもともと看護師になりたくてなったわけではなく、人付き合い等も苦手で、常に悩み、苦しみ、周囲を呪って自分を正当化し、あらゆるものから、現実からも逃げていました。

その道のりを経て、今私が思うこと、目指すものを、備忘録として主に自分自身に向けて、書き綴っていきたいと思います。

少し、これまでの私についてお話させてください。

まず、私が中学生の時、父が脳梗塞で倒れ、我が家の家計が一気に悪化しました。

そのため、高校時代は芸術系の学校に進学したいと思っていたのですが、金銭的な理由で自宅から出ることを許されず、夢を失いました。
田舎のため、当時の地元には私が希望する方向の芸術系の大学や専門学校がなければ、学費もなかったのです。

自宅から通えて学費も安く、一生ものの資格も手に入って将来安泰。

そんな理由から、特に深く考えず、母に勧められるままに地元の看護学校へ進学します。

しかしこれが地獄のはじまりでした。

入学して最初に感じたのは、世界が違う、ということでした。

もともと、人からの好き嫌いがはっきりと別れ、私と仲良くしてくれる人と私を避ける人が分かりやすいくらい分かれるタイプだったのですが、看護学校で感じた空気は、私が苦手とする空気でした。

入学式の時に感じた直感は正しく、ごく一部の人としか馴染めず、学校生活はとても窮屈でした。

しかもそれは同級生だけではなく。

看護学校では必ず病院での実習があるのですが、どうやら私は何かが他の人とは違うらしく、先生からも、常に否定され続けたのです。

それは違う、何でそうなるんだ、もっと考えろ、もっと想像しろ、教科書を暗記するな、自分の頭で考えろ。

患者さんと家族のことを考えろ、自分のやりたい看護ややりたい技術チェックで計画をたてるな。

学生としてわきまえろ、学生としてできることを考えろ、自分が患者さんの家族だったらと思って考えろ、患者さんに馴れ馴れしくするな。

もうね、なにがなんだかでした。

私としては、周りの同級生たちと何が違うのかが分からなかったんです。

Aさんが、患者さんの気分転換のために足浴をしたいと言えば、そうね、それはいい考えねと褒められる。

なのに私が患者さんのために足浴がしたいと言うと、何で?どうして?何のために?と詰め寄られる。

もちろん、10年以上現場で働いた今なら、あのときの先生が私に何を求めていたのか、当時の私は先生や指導者さん、病院スタッフにどのように映っていたのかが分かります。

けれど当時の私には、何を求められていて、どう改善していいか分からず、ただ私という人間が否定されていると感じ、私は落ちこぼれなんだ、役立たずなんだ、足手まといなんだ、お荷物なんだ、きっとさっさと辞めてしまえと思われているんだと思い詰めました。

それでもなぜ行きたくもない学校に通い続け、看護師になったのか。

うちに、お金がなかったからです。

他に方法が分からなかったからです。

学費は奨学金制度を利用していたので、退学したら奨学金も無駄になってしまうと思ったからです。

こうして私は心を壊し、不登校になり、一年留年して、みんなから一年遅れて看護師になりました。

けれど、心のどこかでたかをくくっていたんです。

そうは言っても、看護師になってしまえば大丈夫だろう。

学生としては出来ないことが多すぎていつも怒られて呆れられていたけど、看護師になって仕事を覚えれば、学生の時より出来ることが増えるんだから、あんな風にボロクソに言われることもないだろうって。

けれど実際に看護師として病棟に配属されると、学生としてわきまえろと言われた言葉は、新人らしくしろという言葉に変わりました。

どうしてその看護がやりたいの、という言葉は、普通そうは考えないよね、になりました。

態度がでかい、新人らしくない、何をしでかすか分からない、相談してからやれ、何でも相談するな自分で考えろ、何で報告しないんだ、なんでもっと確認しないんだ、もっと責任感を持て、周りを見ろ。

使えない新人、何をするか分からない目が離せない新人、信用できない新人、患者さんにもスタッフにも迷惑をかける新人、病棟のお荷物。

学生の頃よりもさらに否定が増え、上司はめんどくさそうな顔をし、先輩からはひそひそされ、教育係の先輩は胃痛を起こし、自分の存在理由を見失い、それでも家計と奨学金のローンの返済のために、辞めることもできず嫌々働き続けました。

これが、10年以上前の私。

自分を客観視できず、指摘や指導を自己否定と捉えていたため、反省も改善もできませんでした。

先生や先輩、上司は、私を否定する怖い人、私を嫌っている人だと思い込んでいたので、相談もできませんでした。

恋愛にもものすごく興味があったけれど、太っていておしゃれに疎く、オタク気質だった私にはハードルが高く、憧れと理想ばかりが膨れ上がりました。

コンプレックスが強く、プライドも高かったため、失恋して周りから笑われたりバカにされるのが怖くて、男性との接し方がよく分かりませんでした。

実際、奇跡的に彼氏ができても長続きせず、合コンでも空回りばかり。

気になる男の人からは相手にしてもらえなくて、どうして私は男性から選ばれないんだろう、相手にされないんだろうって嘆きました。

けれど結果から言うと、今はとても幸せです。

心から信頼し、愛する夫がいる。

可愛くて愛おしくて、見ているだけで癒される息子がいる。

心が折れたとき、しんどいときに、支えてくれる母がいる。

その存在だけで全てを浄化して下さるお猫さま三姉妹がいる。

仕事に関しても、今では過去経験してきた疾患や事例を礎に、看護という面白さと奥深さ、得意分野を見出だし、新人や後輩育成の楽しさと難しさ、責任を感じている一方で、ただひたすら逃げたかったあの頃とは違う意味で、看護師をやめて違う畑に行ってみたいという目標もできました。

逃げずに歯を食いしばって、図々しく看護師を続けてよかった。

素晴らしく、尊敬できる上司や先輩や同僚、後輩に出会え、人生の幅が広がりました。

けれどまだまだ、私の心は弱く脆く、怠惰で楽な方に流され、やるべきことを後回しにする癖が抜けず、何よりも、自分自身の責任感に押し潰され、息子を虐待してしまうのではないかという恐怖と闘っています。

実際少し前に産後鬱というか、育児ノイローゼというか、危ない状態に陥りましたからね。

夫婦関係も、今は仲良く楽しく生活していますが、ふとした時に自信を失って夫を疑ってしまったり、愛情を求めて寂しくなったりと、浮き沈みがあります。

なのでこの関係を続けるために努力が必要で、身近な人とのより良い人間関係作りのために、勉強を重ねている真っ最中です。

それで実生活の中で思ったこと、気づいたこと、忘れたくないなと思うことを、少しずつ、こちらに書き綴っていこうと思いました。

もし私の記事に目を通し、感じたこと、疑問に思ったことを教えて下さる奇特な方がいらっしゃれば、私自身の新たな発見や腑落ちに繋がっていくので、公開させていただいています。

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