JR東日本ワンマン化への批判への批判
背景
2020.7.14 産経新聞は、「JR東日本は、埼玉県と神奈川県を結ぶ京浜東北線で、車掌が乗務しないワンマン運転を始める方向で検討を始めた」と報じた。この件に関して、内房線、外房線、鹿島線のワンマン運転化でJR千葉支社と労働組合間でもめていることは記憶に新しい。鉄道系Youtuberもこの件に触発されるように、都市圏鉄道のワンマン化への批判を繰り広げた。私はこれらの批判に触発されて批判記事を書くことにした。しかし、レーダなどのセンサやAI技術、駅業務について細かく触れると文章が長くなってしまう。そのため、大雑把な意見を書くので甘い部分があればコメントで指摘していただき、そこをさらに深堀したいと考えている。(それでも長くなってしまい文章書きのスキルのなさを感じている)
私のプロフ
大学で電気電子工学を学び、ロボット制御もかじった。バイトでは鉄道会社で朝の満員列車で挟まったお客様を助ける仕事(いわゆる押し屋)をしている。おそらく、一般市民よりも制御技術や鉄道に触れていると思う。
都市圏ワンマン運転への批判
さて、JR東日本のワンマン運転導入強化への批判にはどのようなものがあるのだろうか。
・車掌が削減されることで、後方監視ができない/ホーム監視ができない/列車防護ができない
・会社は人員不足と言っているが、賃上げすれば人は集まる
・運転士への負担が増え、もしくは完全な自動運転の場合、突発的な要因への対処ができない
これらへの意見への批判の前に、鉄道では昔から人員削減が行われてきたことを知らなければならない。
鉄道の人員削減例
鉄道の人員削減の歴史は、技術進歩の歴史でもある。
①電気による制御の登場で、機関士・信号や分岐器の操作人がいなくなった。定期検査も自動化されつつある。
②磁気切符の登場で、改札業務が自動化された。ICカードの登場で、在来線グリーン車の検札すらなくなりつつある。
③高解像度なカメラの登場で、ホーム立ちの駅員がいなくなった。(曲がったホームでは車掌が十分に監視できないため、ホーム上の駅員が補助することが多い)
④高速ネット回線の登場で、みどりの窓口が遠隔化され、駅の無人化が促進された(初めて京都駅に行ったとき一番驚いたところ)
そして、
⑤半導体による細やかな制御が可能になり、CPU処理能力の向上により、自動で電車を動かせるようになった。
⑥無線通信網の普及で、電車や踏切の状態を統合的に扱えるようになった。
⑦レーダやカメラによる認識技術の向上で遠くの認識ができるようになりつつある。
後半の3つのポイントがこれから期待される技術であり、車掌や運転士に置き換えが進みそうな技術である。
私の意見
これらを踏まえてワンマン化についての私の意見を述べる。
1.安全性について
今日では、すでに踏切の状態(車の立ち往生など)や、電車の状態を検知できる状態で、その結果を緊急停止動作に反映できる技術が確立されている。少し前に京急電鉄の運転手が踏切の特殊発行信号の認識に遅れ、トラックとの衝突事故が起きているが、これは人間の能力の限界を示しているのだと感じている。数秒の判断の遅れが生死を分ける現状に、人間を機械として扱っている非道さを感じる。
一方で完全自動運転にすると、イレギュラーな事象に対応できない。例えば線路上に鹿が侵入した事象と、ビニール袋が通過した事象を区別することは難しいだろう。その点、人間であれば、不必要な緊急停止を防ぐことができる。
そのため、妥当な落としどころとして、完全自動運転にして、緊急停止ボタンに手をかけた運転係を配置するのがいいだろう。(暇になってしまうが、ドアの開閉動作を兼任させることで眠ることはないと思う)
車掌がなくなり問題となるのが、異常時の運転士への負担が増加する点である。しかし、駅や電車が過密になっている首都圏であれば、近くの駅や電車から人を派遣することもできるだろう。その一方、過疎になっている地方路線では、異常対応するために車掌をのせたほうがいい。(積雪で立ち往生というのは日常的だろう)
2.雇用はどうする?
(余った)車掌はどこに異動させればいいだろうか。私は駅に補充するべきだと考える。多様化する社会において、駅業務は多忙になりつつある。車いす補助や複雑化する路線案内、IT化についていけない高齢者への案内など接客業務従事者は足りていない。
完全自動運転を行うなら、異常時の応援要員やホーム監視者を設けるべきだろう。(画面上で確認するか、ホームに立つか)
朝ラッシュ時だけに限って車掌をのせるのもアリだと思う。電車が混雑する時間は朝と夕方なのだから、そこに人員を投入するべきだろう。いわゆる選択と集中である。
総括
鉄道系Youtuberの中に「技術は人を豊かにするためにあるべきだ」という意見があり、私はこれに賛同できた。しかし、同時に「豊かにするべきだから、安全性を損なうワンマン化に反対」という意見には賛同できない。
毎日決まった時刻に、決まった場所に停車させる運転士の仕事は素晴らしいと思うが、人間らしい仕事だとは思わない。これは安全性を蔑ろにした意見ではなく、人は鹿とビニール袋を区別する仕事をするべきということだ。
AIによって機械的な学習ができるようになった未来では、人が行う仕事はさらに絞られるだろう。おそらく、対人業務(みどりの窓口や急病人対応など)がメインになるのではないだろうか。ディズニーリゾートラインという路線があるが、完全自動運転にも関わらず"車掌"をのせている特殊な路線である。高いサービスを提供するディズニーリゾートを考えると、無人運転が与える不安やドア閉めの無機質さを車掌によって取り除いた面白い事例だろう。
今回の私の意見には、人が集まるところに従業員を配置するべきという思想がある。首都圏において、人が集まる場所は"駅"であり、電車はその間を結ぶ手段にすぎない。その点、地方では、本数が少ないため、人が集まる場所は相対的に電車になる。だから、首都圏路線では車掌を削減し、地方では車掌の存在が大きいという意見になる。
私は、鉄道を面白い観測対象としてみている。技術の進化をみることができるし、社会構造や集団心理、ビジネスも関わる事業は鉄道くらいではないだろうか。だからこそ、日本一の鉄道会社JR東日本が踏み出すこの勇気ある一歩に、私は賛同していきたい。