ぬるま湯から出なきゃ!
社会人4年目というのは、なんとも中途半端な時期です。
早朝に起床→仕事→残業→帰宅 の1日の流れ、週休二日制の1週間の流れに、ようやく違和感を覚えなくなり、身体のリズムが出来上がります。すると一定のストレスがなくなります。
業務も、何となく自分の中でのフィルターができあがり、優先度を覚え、要領を得ます。社内政治も薄っすらと見え始めます。
慣れ始めます。
慣れとは、成長が止っている瞬間なのでは?と月に2回ほど焦燥感にかられることがあります。確かに楽。ノンストレスライフを送ることができますね。ただし、それは進化を放棄しているに等しい気もします。
自分が楽にいられる場所・領域を「コンフォートゾーン」といいます。
コンフォートゾーンは、温かい湯に浸かっているようなもので、なんとなく居心地がいい。だけど、いつまでもそこにいると、「このままでいいのか?」と焦り始めます。「つまらない」とも思い始めます。「コンフォートゾーンから抜けなければ」と思います。
筋肉をつけるためには、筋肉にストレスをかける必要があります。サイヤ人は死の淵から復活した際、強くなります。そういうことです。(どういうこと?)
社会人1年目のころ、私は業務過多で死にそうになっていました。比喩表現ではなく、死んで上司や会社に復讐してやろう、という気持ちの種が少しずつ芽生えはじめていました。こいつはやべぇと感じ、仕事から目を背けました。
今思えば、それほどでもない業務量だったのですが、当時の私は出口のないトンネルをオーバーペースで走り続けている感覚でした。
諸々あり何とかトンネルの出口にたどり着いたのですが(そのあたりの話はまた別の記事で綴ろうかと思う)今思えばオーバーペースで走り続けていた時期の自己成長スピードは尋常なものではなかったです。(と思います。)
というより、自信が湧いていました。
会社の同期や、大学時代の友人らと比較しても、自分が一番働いている(実際はまったくそんなことないのですが…)という気持ちが、誰にも負けていない=自信の創出につながっていました。
何が言いたいか、というと、負荷のかかる生活はストレスフルだし、死にたくなるし、むちゃしんどいんだけど、あとから振り返ると充実感を得られる、それは成長を実感できるから、ということ。ん~まとまらんですね。。
無理することが正義とは言い難いし、このご時世、逃げることも勇気ある行動と、これまで美徳と言われていた行動「我慢すること、耐えること」がかえって反発を招くような風潮が目立ってきています。
ただ、その風潮に流され続けると、自己成長は図れないんじゃないかと、吞気にコンフォードゾーンに居座っているときにふと、そんなことを考えちゃいます。
高山植物は、通常の植物に比べ劣悪な環境で花をつけます。
その花は小さく、知らなければ見過ごしてしまうようなちっぽけな存在です。
だけど、私はこんなにも色鮮やかで、魅了されるお花を他に知りません。(これはガチ)
※画像:コマクサ
「高山植物の女王」と称される、小さくも美しい高山植物。漢字では駒草。駒とは馬のことで、花が細く馬のようだ、ということで名付けられている。
ストレスや負荷がかかるほど、より美しく輝く高山植物。
私も高山植物のように、多少揉まれつつも輝きを失わないような、そんな人生を歩み続けたいと思います。
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