今日はかんでぃ中野さんについて考えた。

かんでぃ中野さんとは65歳の新人芸人で2023年漫才協会に入ってきた漫才志望のおじいちゃんである。

もう、最初からかんでぃさんの説明がややこしい。

なんで漫才協会にピン芸人が入ってるの?

なんで65歳で新人なの?

かんでぃ?中野?何者?

と情報が多くて頭にクエスションマークが沢山浮かんだと思う。

それだけ謎に謎を満ちた新人芸人なのだが

色んな事をお話ししていくと意外にもかんでぃ中野さんの印象がガラッと変わる。


かんでぃ中野

まず、何故芸名がかんでぃ中野なのか?

というと

本名のカンジから由来している。

カンジが段々とカンジ、カンジェ、カンジイェ、カンジィ、カンジェイ、カンディ・・・と

カンボジアが段々と「カボチャ」になったように

恐らく「カンジ」が「かんでぃ」に変化していったと思われる(諸説あり)

かんでぃさんは芸人になる前の話を聞くと

まず生まれは福岡県久留米市に生誕した。

中高はライブドアの堀江貴文社長とソフトバンク孫正義社長と同じ学校出身で

中高では剣道を勤しみ、大学では空手を覚え

空手においては全日本にもなった。

1に空手、2に空手、3に酒を覚え、そしてその歳で女を覚えた・・との事。

そんな空手中心の生活を送った中野青年だったが

23歳に尊敬する先輩の後を追ってビジネスの世界に飛び込む。

それがトヨタ自動車の部品を売る営業マンとして大阪を拠点に勤務する。

しかし、当時自動車の部品にてセラミックの可能性を見出した

「このまま、国内生産で留まってはダメだ。この技術をもって海外にも販売しよう!」

と上の人間に自ら海外主張を申し出るのだ。

しかし、かんでぃ青年には海外で営業するには課題があった。

それは当時のかんでぃさんは英語が喋れなかった。

これではライバルに負けてしまうと恐れたかんでぃ青年は

先輩の勧めで英語勉強する為にも7年間シンガポールに海外販売を始める。

それから英語をマスターしたかんでぃビジネスマンはアメリカで商売を始め

その後、インドしか生産しない部品を売る営業マンとしてインドに出かけたりと

営業マンとして様々な部品を売るために世界を渡し歩いた。

しかし、そんな営業マンの中野氏にも定年が近づくと人生の岐路に立たされる。

このまま若い世代に今のノウハウを後継するのか?

それとも新しいビジネスを始めるのか?

ビジネスマンとして第二の人生のヒントを探すために

次に中野氏は社会人大学(2年制)に通い始める。

そこで次に見つけた人生。

それがお笑いだ。

そこでかんでぃ氏は会社員として働きながら、NSC名古屋にて授業を受け

在学中にお笑いの素晴らしさにまたどっぷりハマる。

しかし、大須演芸場にて吉本のオーディションライブに出る日々を送るものの

なんとなく今のお笑い活動に違和感を感じるかんでぃ。

出てるライブの雰囲気が俺の求める雰囲気とは何か違う。

なんだ、俺の求める雰囲気・・そうか、浅草だ!

昔見ていた浅草東洋館の舞台をフラッシュバックさせたかんでぃは

全てを捨て、名古屋から浅草に拠点を置き

男女コンビ「ザ・存在次元」として浅草芸人として漫才協会の門を叩くが

元相方が仕事のご都合にて東京に行く事が困難となり

ザ・存在次元は解散。

そして、ピン芸人になった「かんでぃ中野氏」は新たなる活躍の場を前説に置き

今や「前説の爺さん」というポジションで東洋館の舞台に立つようになった。

とざっくり書くとこういう方だ。

恐らくこのnoteを読んだ方はかんでぃさんのイメージが変わるだろう。

それくらい昨日はお話をしたのだが

何がすごいのかというと

かんでぃさんは常に攻めの人生を送り続けるし

常に自分の夢を叶え続けてきた。

最初、海外に行きたいという所からこういう仕事を営業マンで頂いてラッキーと思って〜

凄いのがどんな道でも前からツッコむかんでぃさんのパワフルさだ。

そのパワフルさで実際にインドでお笑い活動もやってるし。  

ただ、この人を説明するのに情報量か多いのが確かで。

とにかく常に新しい活路を開拓をいくつになっても挑戦し続ける姿は

お笑い界のジャンヌダルク、坂本龍馬といった人だと思って頂ければなと思った、

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うすちゃん(面白いnoterに選ばれた人、シュースケ・ヘラクレスオオカブト)
芸事だけで少しでも食べていきたいです。