今日は「生きづらい」について考えた。

最近、「生きづらい」について思うのは

本人が「生きづらい」と思うから「生きづらい」と思ってるのではないかと思う事だ。

今これだけネット環境が整備されているにも関わらず、生きづらいというのがなかなか理解出来ないと思ってる。

例えば、お気に入りの服を買いたい

としたら

アマゾンにてポチッとボタンを押せば服が買える。

仮に寸法がわからない場合でも

大体〜センチはМサイズ、Lサイズと教えてくれる。

お金の事でいえば

今や短期にてシェアフルやタイミーといったアルバイトサイトで簡単に申し込めるわけだし

食事に関していえば今やコンビニに行けばおにぎり1つは食べれる時代になってるわ。

今や百円ショップに行けばある程度の生活用品が揃うなど

これでもって逆に何が生きづらいのかと感じてしまう。

じゃあ、どういう事で生きづらいのか。

人間関係で輪に入れないから生きづらいのであれば

わざわざそのコミニュティに入る必然性がないわけですし

嘘をつく事で苦しい思いをしているのであれば

最初から下手な嘘をつかない策を考える。  

だから、これだけ「便利」になった世の中で

何を嘆く必要があるのか?

では芸人でいう「売れない」で困ってる。 

なんとかしたい。

と思っても

結果、「売れた」らカメラ小僧に追われる生活が待ってるわけだから 

「売れた」方が困る人もいると思う。

では「夢が叶わない」から「生きづらい」のか?

「夢が叶わない」事が不幸とはイコールにならない。  

逆に私のように「芸人」というレールから外れる事によって次の人生で大輪を咲かす事もあれば

また「芸人」に戻った時に大輪の花を咲かせるかもしれない。

みたいな事で「最初の夢」が破れようとも再挑戦した結果は結果でまた変わる事も全然ある。

というように

私として思う事は

神様が〜、他人が〜で貴方の夢を壊す事はないんですよ。

じゃあ、なんで「生きづらい」と思う人が多いのか

その人自体が「ちゃんと生きてない」からだと思う。  

さんまさんのいう

「実力不足という言葉は実力が不足してる人から生まれた言葉」

という名言があるように

しっかり緻密に人生設計を立てて生きてれば、「生きづらい」なんて事はないと思う。

それを「親が〜」とか「田舎だから〜」とウダウダ言っているから

「親が〜」と思うなら引っ越せと思うし

「田舎〜」と思うなら都会で生活しろて話なんで

それをまとめて「この世の中、生きづらいんですよね〜」

というのはご都合良いようにも思える。

みたいな事を

「オメェは裕福だからとか」  

そういう話に変えてくるんですけども  

それ言い出したらキリがないですからね。

テレビ出たい人からしたらみんなタレント二世になりたいとかになるだろうし。  

「あれがあれば」、「これがあれば」の話になっちゃうんで

「生きづらい」環境と思えば「生きやすい」環境に変えてしかない。

そのうえでネガティブな口癖をやめたり

筋トレしたり

自分の出来る事からやってみる。

本気で脱出したいならですが。


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うすちゃん(面白いnoterに選ばれた人、シュースケ・ヘラクレスオオカブト)
芸事だけで少しでも食べていきたいです。