今日は「敗者」について考えた。
某浅草大会に関して、後輩が毎年総評(?)みたいのを書いているが
結局、コンビニの休憩中に途中で読んでて時間のムダだなと感じて読むのを辞めて
その場で腕立て伏せ50回以上やった方が良いなと思って
腕立て伏せを100回やった
ので今日はその話をしようとする。
個人的に自分も売れない頃に総評という名の
大会批判芸をやっていた。
昔の某浅草大会の記事に関して読み進めると
大会受賞者によってご特典が違うのはおかしい
とか
審査員と出場者が総評の時にライブのエンディングかのようにじゃれ合ってるのを後ろで見ててブチギレていた。
過去の大会について赤裸々に書いていた。
けど、今思えば
自分がやってきた事というのは「スベリ芸」に似た
「負け芸」てやつであり
どんなにオブラートに包んだ所で
「審査員が僕達のセンスを買ってくれなかったら決勝さえも行けなかった」
と言ってるもんで
今思えば随分と「みじめ」な事をしてたんだなと思ってしまった。
んー、なんだろうな。
昔の自分にアドバイスをするなら
「いつまでも終わった大会の事を言うのはカッコ悪いよ。見てられないよ。」
なのかもしれない。
よく「敗者」が語る陰謀論や「あの時の優勝は◯◯だった」と後出しで語る事も
やはり、個人的には「ナンセンス」とも思う。
大会には大会のコンセプトはあるだろうし、審査員が変われば多少見るポイントが変わるのは当たり前なわけだから
それをいちいち「あの時」「この時は」と取り上げるならば
そこに努力を費やす前に「審査員全員を有無言わせない漫才」を作る努力に力を注ぐべきであり
よーやく◯◯千文字書きましたわ、ガッハッハ。
と書く余裕があるならば
その時間を使って、ネタを1本でも作ろうとペンを走らせろよ。
だから、ずっと敗者なんだよbro。
とそうわけである。
自分は今筋トレ動画はかり見るようになって
個人的に好きなトレーナーの言葉
「はぁ?俺の動画見てないで早く今からジムへ行け」
という言葉の意味の通り
このnoteも読んでないで
悔しい思うならネタを書けって感じ。
それが辛くて嫌なら
「続ける」ばかりが正義ではありませんからね。
「辞める」選択肢だってあっても良いんだぜ。
と思う。
あと毎回大会が終わるたびにツイッターで流れる
「今年の◯◯大会は予選敗退しました。悔しい。」
です。
なんてよう書くヒマがあるなと思う。
そういうのを書くやつは来年も
「今年の◯◯大会は予選敗退しました。悔しいです」
と書くと思う。
だって、本気で悔しかったら心に呟く余裕なんてないはずだろ。
ことわざで「死人に口はなし」なんて言葉があるが
「死人」に「敗者」と言い換えて
「敗者に口はなし」
という言葉があって良いと思う。
それくらい時間のムダ。
自分は単純にネタに昇華できてるからムダとも思ってないけどね。
ただ筋トレしてたら長々した文は読まなくなったな。
ダンベルを持ちながらじゃ読めないし、自分の筋肉に意識がいくからそれどころでないし。
ムダな事はこれからもバッサリ切るつもりでいるよ。
敗者とは少しそれるが
筋トレも毎日やってると行きたくない事だってある。
ダンベル持ってる時もはっきり言えば
「どうして辛い思いをしないといけない」
と思う時もある。
でも、歯を食いしばって筋トレは正しいフォームてちゃんと食事もしっかり摂れば
必ず筋肉は少しずつ増えていく。
大事なのは結果と向き合う事。
その結果にいつまでも難癖をつけるようじや
いつまでもコロスケ。
間違えた。
大化けとはいかないんじゃないかと思う。
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