今日は可哀想について考えてみた

可哀想という言葉をかける人に最近会っては正直良い気持ちがしなかったのだが

最近になって「可哀想」という言葉を調べてた

改めてその言葉に自分が不快感を生じていた理由がわかった。

それは吉原麻央さんの著「その言葉、失礼です!」という新書の紹介にて

「可哀想ではなく相手の心に寄り添おう」という記事だ。

※詳しくはリンク↓

吉原さん曰く「可哀想=相手を見下す態度の言葉である」と明記しているのだが

これにはものすごく共感する。

まず相手を敬った態度であれば「可哀想」という言葉は確かにでない。

「この人、М-1決勝で3位と結果残してるのに売れてない!可哀想!」

と言われたらどんな気持ちだろう。

それなら

「この人、М-1で結果残してる位面白いんですよ!」

と言われる方が絶対に気持ちいいはずだ。

ちなみに吉原さんの話の続きがあって

「可哀想」というのは「貴方の人生、不幸ですよ」と烙印を押している事を指す。

確かに親しき仲でも「お前の人生、終わってるな!」等と冗談でも言ってはならないと思う。

どんな仲でも「親しき仲には礼儀あり」というが

自分は仲の良い後輩だろうが礼儀あってのものだと思う。

話は少し戻すが

やはり自分の読み通り。

「可哀想」なんて言葉はやはり他人に使うものではないなと思う。

どんなレベルでいうと吉原さんは「貴方の人生、不幸ですよ!」と言い換えてるけど

私から言わすと「お前、死んでくれ」と言ってるようなもん。

例え表現が下手であろうともやはり不快になる時点でよくは無いんだなと改めて思った。

そして、これはお願いのように言うのだが

それを無知という理由で口癖のように使ってる人がいるなら

直ちに「可哀想」なんて言葉は使わない事を祈る。

ひと言でいえば周りの人間関係は悪化する。

更に人間関係で孤立する。

それでも良いのなら自分は止めやしないのだが

言われた人間は常に気分が悪くなってる事は覚えた方が良い。

またもうひとつ言わすと

これはあくまでも個人的な意見なのだが

誰かに構ってもらいたい。

これに関しては全然良いと私見では思うのですが

じゃあ、構っている相手の顔を潰しに潰すのは違うよね。

ていうお話。

本人は思いやってるつもりなのかな。

本当に可哀想という言葉を使うのは誰に対しても失礼なのでやめたほうが良いなと思った。

まー、本気で本人が嫌われたくないのならーですがー

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うすちゃん(面白いnoterに選ばれた人、シュースケ・ヘラクレスオオカブト)
芸事だけで少しでも食べていきたいです。