2022年10月15日
昨日は2回戦対策ライブに出たというのも来年に向けての人もOKという条件だったので2回戦進出者多い中混ぜてもらった。

2回戦対策ライブは前にも『キミチク(主催ライブ)』でもよだれどりすなお君を中心に声をかけたあの和やかな空気かと思いきや

今回はメチャクチャピリピリ感がすごかった。

ピリピリした中、オープニングトークが始まる、

【2回戦対策ライブですのでぜひとも皆様のご意見を頂きたく開催しました。これから3回戦へ出るコンビが現れればと思いましたが、先程○○が3回戦に進出しまして○○が落ちました。ちなみに○○は1回戦で落ちました!】

かなりM-1.M-1したトーク。でも、そうだよな。M-1対策ライブだもんなと思いつつ、ネタコーナーが始まる。

最初のいじられた若手がネタをするそれでも受けてる方だが空気が重い。

そして、我々の出番。

つかみはそこそこウケるも本題に入ると空気がまた一転重くなる。

会場も暗がりでお客様の顔はあまり見れずともなんとなくある空気だけは感じた。

【今日のお客さん、セリフ一字一句聞こうとしている。】

最近の若い人は【歌全体でなく歌詞を追っている人が多い】と甲本ヒロト氏が話していたのを思い出す。

我々の吐くセリフがどういうオチにつながってるかを見定めてるようにも思えた。

けどぶっちゃけ漫才て中身に意味がないんだ。

漫才作家秋田實氏が定義した漫才には【面白いふたりのやりとり】位で『これこそ漫才』なんて定義は漠然としかないのだ。

M-1よりも笑いが取れなかった。

『賞レース、賞レースしたお笑いとは何だ!?確かに実力不足もあるけど、こんなクソつまんねー事ないな!』と感情が高ぶり、思わず舌打ちしてしまった。

勿論、賞レースによって競技化された部分はあるのだろうが

あくまでも『お笑い』は『娯楽』のひとつだったはず。

その『重い空気』を覆す事が出来なかった部分もあるけども何かと『1回戦』『2回戦』でそれぞれの漫才の価値を決めつける行為は自分にとって好きではない。

(勿論、審査員に認められる事は大事だがその日の審査員に認められるだけが全てではない。)

ちなみにM-1とは関係なく言いたいのだが

たまたまこの出番前に事務所所属を狙うフリーの若手と話した時に『事務所に入りたいすか?』となった。

『いや、別に』というと『じゃあ、何で聞いたんすか』と返事が来た。

どうやら『ものすごく大手の事務所に入りたがった』ように見えたが

私から言わせたら

『事務所に入る事がゴールでない。』

『別に事務所所属してから合わなかったパターンも全然ある。』と言いたかった。

辞めてる芸人も知ってるし

入って良かった芸人もいるので人それぞれだ。

勿論、M-1に全てをかける事について肯定するし

むしろ自分たちもスタートはそうだったけど

M-1ばかり追いかけすぎると周りが見えなくなるのもどうかと思うのは正直の気持ち。

何なら1回戦2回戦も世間からしては『何が違うの?』という話なんだから

誰が1回戦、2回戦落ちるとかもう良くないかとも思う。

そんな事を言うと『1回戦落ちた自分にマウントとってるだけだろ』と思うが

そう思われない為にも関西の賞レースに出てるのはそれもある。

現在、gig-1の決勝当日までネタ3本強いネタをと頑張ってるのもそれである。

いい加減、島田紳助氏の『やめる為にM-1を作った』の主張をこの令和の時代でも貫くのはどうも違う気がする。

という考えが自分でも主張が強すぎたせいか久々に暗がりで舌打ちした。

チッチッチッチッ!

その後、3回戦進んだコンビのネタを見たけど

やはり3回戦進んだネタを見れるという緊張からの解放からかネタがバンバン受けていた。

結局、逃げるようにして中MCしている最中に袖からはけていった姿がその日のライブで我々の中で一番の笑いになったが

別にこの時点ではどうでも良い気持ち。

それよりもあの狭い袖にピーターパンウコローム秩序が定員5人の袖に5人ちゃんと収まったのかそっちの方が心配になってしまった。




芸事だけで少しでも食べていきたいです。