今日は嘘について考えた。

嘘といっても街裏ぴんくのような人を笑顔にする嘘もあるが

一般社会の嘘というと大概は人を傷つける嘘なのではないかと思う。

そんな「嘘」「ウソ」でことわざにあるのが
嘘つきは泥棒のはじまり

嘘も方便。

前者は嘘つきは罪人と同じだと言う

どちらかと言えば、口は災いのもとに近く

後者の嘘も方便は

嘘で切り抜ける事の大事さを指している。

しかし、2つのことわざが嘘の代表ことわざとしてあるが

個人的な意見で言えば、基本的に人を傷つける嘘をつく人は好きじゃない。

バレないような腕があるならそれで良いのかもしれないが

仮に本人の中で「楽しい」という意見もあったとしても

すぐにバレてしまうようなウソを付くのであればやはり嘘は身を滅ぼす結果以外に何でもない気がするので

自分としては何とも近寄り難い関係を構築するだけなのではないかと思う。

あとはやはり個人的に「ウソ」という話を書いてて思い出したのは

「オオカミ少年」という童話。

話の内容はオオカミが来たと少年は村人にウソをつきまくり

実際のオオカミが来た時に少年は助けを呼んだが村人は【あの少年はウソついてる】と思われ

そのまま、少年はオオカミに食べられてしまうという話だ。

そうやって幾千年の時を超えて

ウソをつく事は良くない教えが語り継いでいるわけだから

どんな理由であれ、発言には慎重になる事は大事なのではないかと思う。

しかし、そうはいえども

何故に人間は余計な発言をしたり、ウソをつく事で自らの首を締め上げるのか考えた時に

ある種、言葉や発言に制約がないことが問題になつてるのではと思う。

これが2文字や4文字で相手に伝えよとなったら状況は変わる。

もしかしたら、ウソも厳しいかもしれない。

言葉の重みを意識したうえで生活するのは大事かもしれない。

前も書いたが、実際に言霊はありますから

常に言葉を選ぶ癖をつければ

自分の思う方向に行ける可能性も高くなるかと思うので

言葉を選ぶ際は慎重になる意識はあってもいいかと思った。

それが厳しいのであれば

ウソはウソでも萩本欽一さんの著書で書いてあった

「最初からウソをつく位ならでっかい嘘をつこう」

という気持ちである。

何故ならでっかいウソは笑いになるからで

変にリアルなウソは真実味が出てしまい、かえって笑えない。

ならば、でっかいウソで

これはよくいいともレギュラーだったのにも関わらず

遅刻常習犯だった明石家さんまさんがよくやっていた。

「なんで遅刻したんや?」

とテレビ関係者に聞かれたら

「突然、宇宙人に道を聞かれましてん」

と答えたり

次に遅刻したら

「マンホールから地底人が顔を覗きよってですね」

と返したりすれば

もう相手は怒る気さえもどうでもよくなっていく。

ウソつくならでっかいウソをつく方がいいな。

こないだ起きたら幽霊に囲まれていまして  

幽霊の顔を覗き込んだら1人死んだ奴がモーガンフリーマンにそっくりで遅れたとか。

なんで、外人の幽霊やねんとか何でもいい。

いかにウソをポップに仕上げるかというのもあるのだが

やっぱりなるべくならつかない方が無難な気がしやす。

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うすちゃん(面白いnoterに選ばれた人、シュースケ・ヘラクレスオオカブト)
芸事だけで少しでも食べていきたいです。