人生における「絶対優位の戦略」を考える
絶対優位の戦略=どうなろうと「やった方が得」なこと
絶対優位の戦略とは、ゲーム理論におけるコンセプトの一つで、端的にいえば
どうなろうと、やった方が得な選択
のことです。
ゲーム理論は、経営やスポーツや社会など、自分以外のプレイヤーが関わる複雑な状況下で最適な意思決定を行うための数学の理論です。
本項では「人生の経営戦略=ライフ・マネジメント・ストラテジー」への適用という観点から、特にゲーム理論における「絶対優位の戦略」について説明します。
ゲーム理論では、相手や周辺環境の変化に応じて変化する自分の選択肢のリターンを分析しますが、相手がどう出てこようと、周辺環境がどう変わろうと、自分の持っている選択肢の中で一番リターンが大きい選択肢のことを「絶対優位の戦略」と呼びます。
これはよく勘違いされていて、相手がどう出てこようと、周辺環境がどう変わろうと「相手に対して優位に立てる戦略」のことを「絶対優位の戦略」だと思っている人がいるのですが、そうではなく「自分の持っている選択肢の中で常にリターンが最も大きい選択肢」のことをいうのです。
具体例を挙げて説明した方がわかりやすいですね。ヨットレースのアメリカズカップの例を挙げて考えてみましょう。
ヨットレースにおける絶対優位の戦略とは?
アメリカズカップは、カップホルダーのチャンピオン艇と挑戦艇が一対一でレースを争うマッチレースです。
勝利条件は開催回によって変わりますが、このケースでは七試合して四勝を先取した側が優勝とします。
レースは同じスタート地点から同時に二艇がスタートし、海上にある複数のマークを回航して、先にゴールした方が勝ちです。
回航するためのルートに規定はなく、マークを回る順番さえ守れば、どのようなルートを取るかは各艇の自由です。
ルート選定は「風向き」に大きな影響を受けます。
エンジンなどの動力源を持たず、風だけをエネルギーにして推進するヨットでは、風向きによって最適なルートが大きく変わるため、特にアメリカズカップのようなレースでは、非常に精度の高い風向き予報が行われます。
さて、次のような状況を設定してみましょう。
あなたはスキッパー(=艇長)として、チャンピオン艇の舵輪を握っています。すでに三勝しており、あと一勝すれば防衛に成功し、国中の栄誉を受けることができます。
四戦目のレースがスタートしたところ、挑戦艇はフライングのために一度スタートラインに戻らなければならなくなり、あなたは労せずして40秒のリードを築くことに成功します。
あなたの船は現時点の風向きに最適な角度で、次のマークに向かって快調に進んでいます。後ろを振り返ると、はるか後方に挑戦艇の姿が見えます。
さて、このとき、現在の風向きからすると考えられない異常な方角へ、挑戦艇が舵を切って方向転換するのが見えました。さて、ここであなたには二つの選択肢があります。
現時点の風に最適なコースをこのまま走り続ける
意図のわからないまま、挑戦艇が向かったのと同じ方向に舵を切る
さあ、あなたがスキッパーなら、どの選択肢を選びますか?
絶対優位の戦略を取らずに敗れたアメリカ艇
実はこれは実際に起こったことなのです。
1983年のアメリカズ・カップ決勝戦は、七試合四勝先取制で四試合を終えた時点で、デニス・コナーズのアメリカのリバティー号が三勝一敗でリードしていました。
これまで132年にわたって防衛に成功してきたニューヨークヨットクラブの観戦艇にはお祝いのためのシャンパンが運びこまれ、クルーの家族たちは赤・白・青の星条旗カラーのドレスを着て、選手たちがゴールに戻ってくるのを今や遅しと待っていました。
第五戦のスタート時点でオーストラリアⅡ号がフライングし、スタートラインに戻ったため、リバティー号は三七秒のリードを奪うことに成功します。
トップレベルのヨットレースでは僅差が勝敗を分けることも多々あります。スタート失敗でのこのハンディはあまりにも重いものでした。
そこで挑戦艇であるオーストラリアⅡ号の船長ジョン・バートランドは、「当日の風向きは安定している」との予報を無視して、大きく風向きが変わることに賭けてコースの左側に進路をとって追いかけることにしたのです。
チャンピオン艇のリバティー号のスキッパー、デニス・コナーズは、この状況に対して、それまでと変わらずにコースの右側を航行することにしました。
結果はどうであったか?
その後、気象予測とは異なって風向きが変化したため、オーストラリアⅡ号が優位に立ち、逆に1分47秒の大差をつけて勝利を収めたのです。
ここで「流れが変わった」ということなのでしょうか。その後も挑戦艇は快進撃を続け、ついに132年にわたって続いた「アメリカ艇による防衛」は終焉を迎え、アメリカズカップは初めて太平洋をわたってオーストラリアに移ったのです。
コナーにとっての「絶対優位の戦略」とは
このレースをゲーム理論の観点から考察すると、チャンピオン艇のデニス・コナーは絶対優位の戦略を取らずにみすみす敗北した、と言えます。
なぜならば、挑戦艇が大きく舵を切った時、同じ方向に舵を切っておけば、挑戦艇に逆転されることはなかったからです。場合わけして考えてみましょう。
もし、風向きがこのまま変わらないのであれば、自分の進路を変えなければ、そのままリードを拡大して勝利します。
一方で、自分の進路を挑戦艇と同じ方向に変えても、的外れなルートのために、船のスピードは遅れることにはなりますが、敵のスピードも遅れるのでやはり勝利します。
問題は、風向きが変わった時です。
風向きが変わった時、自分の進路を変えなければ、敵が有利になり、逆転される可能性があります。
一方で、自分の進路を挑戦艇と同じ方向に変えれば、風向きが変わったとしても、現時点でのリードを保つことができ、勝利します。
つまり、自分の選択肢として考えた場合
進路を変えない 風向きが変わらなければ勝利だが、風向きが変わると危険
進路を変える 風向きが変わらなくても、風向きが変わっても勝利
となり「進路を変えた方が得だ」ということになります。
つまり、このレースの場合、デニスコナーにとっては「進路を変える」が絶対優位の戦略だったということです。
これを真っ逆さまにしてみると、挑戦艇の考え方がよくわかります。
挑戦艇にしてみれば、すでに40秒のリードを築かれてしまった以上、同じルートをたどっている限り、風向きが変わろうが変わるまいが、リバティー号を逆転することはできません。
挑戦艇にとっての唯一の勝機は、リバティー号が突き進んでいる、現時点では合理的と考えられるルートを敢えて捨てて、大きく異なるルートをとり、風向きが大きく変わる可能性に賭けることしかないないのです。
つまり「ルートを変える」というのは、挑戦艇にとっての絶対優位の戦略なのです。
挑戦艇にとって最も恐ろしいのは、この戦略をリバティー号が後追いしてくることでした。
なぜなら、たとえ風向きが大きく変わったとしても、先行するリバティー号が自分たちと同じルートを進んでいる限り、逆転は絶望的だからです。
逆張りが絶対優位になるケース
このようなケースはヨットレースのような特殊な環境だからこそ成立するのであって、私たちの人生にはあまり縁がない、と思われた方もおられるかもしれませんが、そんなことはありません。
私たちの人生は、日々、選択と意思決定の連続であり、絶対優位の選択が存在することもよくあるのです。
ここで一つの思考実験をしてみましょう。
あなたは無名の若手エコノミストで自分の名前を売り出すことを考えています。さて今回、あなたがおこなった経済予測の確率分析は次のようになりました。
株価上昇:6割
株価下落:4割
株価はこのまま上昇する確率が高いが、一部には株価下落を示唆する情報もある、という分析結果です。
さて、この時、あなたは「株価上昇」と「株価下落」のどちらを世の中に訴えるでしょうか?
普通に考えれば「株価上昇」に決まっています。
なんといっても、自分の分析結果は「株価が上昇する確率が高い」と出ているのですから。
しかし、それで本当に良いのでしょうか?
エコノミストとして自分の名前を売り出す、ということを考えた時、考慮しなければならないのは「他の多くのエコノミストがどのような予測をするか」ということです。
そこで、調べたところ、特に有名どころのエコノミストの予測は次のようになっていることがわかりました。
株価上昇を予測するエコノミスト:9割
株価下落を予測するエコノミスト:1割
つまり、圧倒的多数の有名エコノミストが「株価上昇」の予測を出すことがわかったのです。
この時、あなたはどのような分析を世の中に訴えるべきでしょうか?
この場合、あなたにとって絶対優位の戦略は「株価下落を訴える」ことです。
なぜそうなるのか?利得を場合わけしたマトリクスで考えてみましょう。
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