ライフ・マネジメントの構造原理

こんにちは。以前のNOTEで「キャリアというゲームの構造原理について」というタイトルで、私たちのキャリアは

時間資本→人的資本→社会資本→金融資本

という形で、投資を連鎖させていく一種のゲームだと考えることができる、ということを説明しました。

これはこれで大きな反響のあった記事だったのですが、個人的に少し気になっていたところがあります。

というのは、これを人生に当てはめて考えてみれば、本当に幸福な人生を歩むために大事なのは金融資本ではなく、人生を楽しむためのいろんな趣味やスポーツだったり、豊かな友人関係や家族関係だったりするはずなのに、この構造の中には、そういった要素を取り込めていないからです。

むしろ、この構造原理を頭でっかちに信じて時間資本の配分を決めて仕舞えば、むしろ「金融資本に貢献しない人的資本や社会資本は意味がない」と切り捨てられることになり、かえって不幸な人生を歩むことになってしまう・・・

ということで、今回、従前の記事を大幅にアップデートすることにしました。点線以下がアップデートされた記事となります。

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時間資本を投資して幸福資本に変えるゲーム

このNOTEでは、これまで「人生の経営戦略=ライフ・マネジメント・ストラテジー」について、経営戦略論のさまざまなフレームワークを用いて述べてきましたが、ここで一度原理的なことを整理しておきたいと思います。

まず、そもそも経営戦略論とは何でしょうか?
突き詰めて抽象化すれば、それは 

資源配分のアートとサイエンス
The Arts and sciences of resource allocation

と定義されます。

企業の保有する資源を適切に配分・投資することによって、その企業の長期的な企業価値を増大させること、これが経営戦略論の第一義的な目的になります。

この目的と比較すれば、よくテーマに上がる「生産性の向上」も「イノベーションの実現」も「組織風土の改革」も、全ては目的の優先度として劣後します。これらは結局のところ手段にしか過ぎません。

ライフ・マネジメント・ストラテジーもまた同様に定義することができます。それはすなわち、 

人生における資源配分のアートとサイエンス

なのです。

こう書くとあっさりと読まれてしまいますが、これは相当にラディカルな表現です。なんといっても「良い人生と悪い人生の差は何で決まるか?」という問いに対して、この命題は「それは資源配分で決まる」といっているのですから。

私たちが配分できる資源とは何でしょうか?「時間」です。ライフ・マネジメント・ストラテジーとはつまるところ、

ウェルビーイングを実現するために最適な時間資本の配分のアートとサイエンス

と考えることができます。

これを図にすると次のようになります。 

人生のステージの最初の段階、10代から20代の働き始めの時期は、スキルや知識等の人的資本も、人脈や信用といった社会資本も持っていない人がほとんどでしょう。あるのはありあまる時間、つまり時間資本だけです。

この時間資本を、良い経験を得られる「スジの良い仕事」に配分することで、その時間資本は、まずスキル・知識・コンピテンシーといった人的資本に転換されることになります。

「成長・発展している場所」と「停滞・衰退している場所」のどちらに身を置くかで、人生には天地の開きができるということはすでに指摘しましたが、両者の大きな違いは、この「時間資本→人的資本」の転換効率の違いによって生まれることになります。

濃密な仕事経験ができるスジの良い仕事に時間資本を投下することができれば、投下した時間資本が高い変換効率で人的資本として戻ってくるのです。

一方で、この時間をスジの悪い仕事に投下してしまえば、投下した時間資本はそのままドブに捨てることになり、人的資本としてリターンを得ることができません。本書で後ほどあらためて触れたいと思いますが、キャリアの前半でどのような仕事に取り組むかは、この「時間資本の人的資本への転換」という観点から非常に重要な論点となります。

最近は「手っ取り早くラクに稼げそう」という理由で、グレーゾーンすれすれの仕事に手を染めてしまう人がいますが、これは本当にもったいないことで、そんなことをいくら繰り返しても人的資本の蓄積は進まず、人生はますます難しい状況に追い込まれることになります。

さて次に、人的資本の蓄積に成功したとすると、この人的資本が高い水準の成果を生み出すことになり、これがやがて「あの人に仕事を頼みたい」「あの人なら間違いがない」といった評判や信用やネットワーク、つまり社会資本を生み出すことになります。この社会資本が、最終的に「報酬」などのカタチで、金融資本を生み出すことになります。

金融資本が幸福資本を生み出すわけではない

次に注意して欲しいのが、金融資本が幸福資本を生み出すわけではないということです。

ウェルビーイングな状態に到達、あるいは維持するためには、一定水準の金融資本が必要なことは言うまでもありません。つまり一定の金融資本は、ウェルビーイングの実現という点で必要条件ではあるのですが、しかし十分条件ではありません。

このチャートで、金融資本と幸福資本が点線でしかつながっていない、ということに注意してください。これまでに多くの研究が、金融資本は一定の水準を超えてしまうと、幸福感に貢献しなくなる、ということを明らかにしています。

それは人的資本と社会資本の二つになります。ここは大変にトリッキーなところで、勘違いされがちなのでよくよく吟味しながら読み進めて欲しいのですが、人的資本と社会資本には、

  • 金融資本を増やす人的資本と社会資本

  • 幸福資本を増やす人的資本と社会資本

の二種類があるのです。

多くの人は、スキルや知識といった人的資本を思い浮かべると、財務分析のスキルやマーケティングの知識といったスキルや知識、つまり「仕事上、役にたつスキルや知識」を思い浮かべると思いますが、人的資本はそれだけに限りません。

人的資本には、生活を豊かにしてくれるスキルや知識という側面から、たとえば楽器演奏の知識やスキル、釣りやサーフィンといったスポーツの知識やスキル、茶道や香道といった技芸の知識やスキル、戯曲や芸術を楽しむための知識やスキル、生活を彩ってくれる料理やお酒に関するスキルや知識が含まれます。これらの人的資本が、人間関係=社会資本を拡大してくれるのに役立つことは言うまでもありませんが、これらの人的資本は、その資本単体として、人生を豊かにしてくれるものでもあります。

つまり、人的資本には「仕事をする上で役に立つ人的資本」と、「生活を豊かにしてくれる人的資本」の二種類があり、これを念頭に置いて時間資本の配分に戦略性を持たないと、どちらか一方に・・・多くの場合、それは「仕事に役に立つ人的資本」になるわけですが、極端に傾斜してしまうリスクがあるのです。

同様のことが社会資本についてもいえます。社会資本には、金融資本を生み出すことに貢献する社会資本と、それ自体が人生を豊かにしてくれる社会資本の二つがあります。

前者は、所属する組織や業界における信用や評判やネットワークといったものですが、後者は、学生時代からの親友、同じ趣味でつながった友人、さらには愛情でつながった家族やパートナーなどです。

そしていうまでもなく、ウェルビーイングの実現という観点からすれば、はるかに後者の方が重要だということになるのですが、こちらも先ほどの人的資本の場合と同様に、よほど戦略的な規律をもって時間配分の意思決定をしない限り、ともすると「仕事に役に立つ社会資本」の構築に極端に傾斜してしまうリスクがあるのです。

自分の人生を「悲劇」にしないために

新約聖書はキャリアに関する金言が数多く含まれていますが、「罪」についての考え方も大きな示唆を与えてくれると思います。新約聖書には「罪」という言葉が数多く出てきます。

一般に、私たちは「罪」といえば「犯罪」、つまり「他人からものを盗む」とか「他人に暴力を振るう」といったことを思い浮かべるわけですが、聖書に出てくる「罪」はかなりニュアンスが異なるのです。

新約聖書に出てくる「罪」は原語のギリシア語では「ハマルティア」という言葉ですが、これは元々「的外れ」という意味です。そんなものを目指しても仕方がない、狙っても意味がないものを狙う、それを「罪」と言っているのです。

そして、現在の社会においても、この「罪」はそこかしこに見られます。そんなものを目指しても幸福になれない、生の充実を得られないようなモノ・コトを的外れに目指して人生を無駄にしてしまっている人が非常に多いように思います。

特にエリートほど、この「的外れ」という罪を犯してしまうことが多い。その典型例として、私が思い浮かべるのが、2001年に経営破綻したエンロンの元CEO、ジェフ・スキリング氏です。

ジェフ・スキリングは、ハーバード・ビジネス・スクールを卒業したのちにコンサルティング会社のマッキンゼーに入社、最年少記録を塗り替えてパートナーに就任します。その後、コンサルティングの顧客であったエンロンの創業者、ケネス・レイに請われてエンロンのCEOに就任し、一時期は100億円を超えるボーナスを得ていました。

このように記述すれば、誰もが羨む成功物語のように思われるでしょう。しかし、その人生の内実はどうだったでしょう。スキリングのハーバード・ビジネス・スクール時代の同窓であったクレイトン・クリステンセンは、著書「イノベーション・オブ・ライフ」で次のように述べています。

わたしの知るハーバード時代のスキリングは、立派な男だった。頭脳明晰で、努力を惜しまない、家族思いの人間だった。マッキンゼーで史上最年少のパートナーに昇格し、のちにエンロンのCEOとして、一億ドルを超える年収を得るようになった。だがその一方で、私生活は順風満帆とはいかず、最初の結婚は離婚に終わっていた。スキリングがますます脚光を浴びるなか、メディアに描かれるようになった「金融ザメ」というイメージは、断じてわたしの知る彼ではなかった。だがエンロンの金融破綻に関わる重罪の有罪判決を機に、彼のキャリア全体が明るみ出ると、わたしは彼がただ道を踏み外しただけでなく、はなはだしく踏み外したことを知って、大きな衝撃を受けた。何かが彼に道を踏み誤らせたのは明らかだった。満たされない私生活、家庭の崩壊、仕事上の葛藤、そして犯罪行為。

クレイトン・クリステンセン「イノベーション・オブ・ライフ」

クリステンセンは同書のなかで、スキリング以外にも、将来を嘱望されながら社会に羽ばたいていった学生たちの多くが、人生を「はなはだしく踏み外し」ていることを述べています。

このようなニュースや情報に触れると、多くの人は「エリートなのになぜ?」と思われるかも知れませんが、全く逆で、彼らは「エリートだからこそ」人生を踏み外したのです。

目的関数を外せば戦略は必ず破綻します。優れた戦略は、正しい目標設定があって始めた効力を発揮する。本書は、経営戦略論に基づいて人生の経営戦略=ライフ・マネジメント・ストラテジーを策定し、実行していくことを提案するものですが、その大前提にあるのが、このチャートに記載された構造原理を踏まえ、的外れではない「正しい目標」なのです。

お金を生み出すのは人的資本ではなく社会資本

さて、ここまでの注意を踏まえて、さらに先に各論に進みましょう。

ここで注意して欲しいのが、図中で「人的資本と金融資本はつながっていない」という点です。これは何を意味しているかというと、金融資本を生み出すのは主に社会資本であって、人的資本は間接的にしか影響しない、ということなのです。

私たちは資本主義の社会に生きており、自分たちの能力が労働市場における商品として売買される以上、市場で顧客の購買意思決定を左右しているのは信用や評判や知名度であって、人的資本ではありません。理由は非常に単純で、なぜなら「人的資本は外側から見えない」からです。

これは私たち自身の購買行動を振り返ってみればすぐにわかります。日用品にせよ家電製品にせよ自動車等の耐久消費財にせよ、私たちは商品そのものの物性や性能をつぶさに比較して購入しているわけではありません。

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