弱みを逆手に取る「自己プロデュース」

1959年にリリースされたマイルス・デイビスの「カインド・オブ・ブルー」は、ジャズ史上もっとも売れたアルバムで、リリースから60年を経た現在でも、未だに「もっとも売れているジャズアルバム」であり続けています。

本記事の読者によもや「聴いたことがない」という人はいないと思いますが、もしそういう方がおられたら、悪いことは言いません、何食わぬ顔をして一度聴いてみることをお勧めします。

聴いてみればすぐにわかる通り、一曲目の「So What」から、非常に抑制の効いた「クール」なトーンが感じられると思います。この「クールさ」こそがマイルスの特徴であり、このアルバムが大ヒットした理由なわけですが、この「クールさ」がマイルスの弱点ゆえの産物出会った、と聞けば多くのかたが不思議に思われるかもしれません。

なぜ「強み」と「弱み」が表裏一体になっているのか?ということですね。

実はマイルスという人は、決してトランペットが上手かったわけではないんですね。どちらかというと、むしろヘタだった。これは1950年代の当時としては決定的なハンディだったんです。というのも、当時、盛り上がってきたビバップというジャズのムーブメントでは難易度の高い派手なフレージングを吹きまくるスタイルがウケていたからです。

このビバップにもっとも最適化していたミュージシャンがジョン・コルトレーンやチャーリー・「バード」・パーカーといったミュージシャンたちでした。どんな風に最適化していたのか、というと具体的には実際の演奏を聴いていただくしかないのですが、要するに「吹いて吹いて吹きまくる」わけです。極端なのがコルトレーンでしょう。

コルトレーンという人は、なんというか、一度「降りて」きてしまうと演奏が止められない、という人だったらしい。一度ソロを吹き始めたら止められず、あまりのソロの長さに観客もブーイングの末に帰ってしまい、他のメンバーもステージを降りて、最後にはステージの灯りが落とされたあとも吹き続けていた、という異常なエピソードが残っています。

まあ、どう考えても異常なミュージシャンだということなのですが、まあとにかく、そういう風に「吹きまくる」というのがビバップのあり方だったわけです。

そんななかで、ギャンギャンに吹きまくれなかったのがマイルス・デイビスという人でした。さて、こんな状況において、皆さんがマイルスの立場だったらどういう風にしたでしょうか?

多くの人は、旬がきているビバップの流れに乗るために、コルトレーンやバードのように吹きまくれるように一生懸命練習しようと考えてしまうのではないでしょうか?

しかし、もしそれで練習の末にコルトレーンやバードのように吹きまくれるようになったとして、本当にマイルスが、現在の私たちが考えているようなマイルスらしさを発揮できたかというと、はなはだ疑問です。

マイルスはむしろ、ギャンギャンと吹きまくれないことを自分の武器に転換するべく、抑制の効いた「間」を音楽に取り込むことで、ビバップに血道をあげる他のプレイヤーから自分を差別化することができたのです。

マイルス・デイビスというミュージシャンは、生涯にわたって様々なスタイルの音楽に携わった人ですが、そこに通底しているのは「自分がカッコよく見える音楽をやる」ということです。流行のものに身を寄せていくのではなく、自分が得意なものに流行を引き寄せるということをやるんですね。

当時、隆盛だったビバップをマイルスなりに一生懸命に吹いたとしても、コルトレーンやバードのような輝きを発揮できないことを知っていたマイルスは、むしろ自分の演奏スタイルが「クール」に見える音楽とはどのようなものか、を考え、そして傑作「カインド・オブ・ブルー」を生み出したのです。

マイルスがやった「自分がクールに見える枠組みを作る」というのは、今日的に表現すれば「自己プロデュース」ということになります。

プロデュースは「弱み」をもとにする

プロデューサーのつんく♂さんは何人もの名歌手を育ててきたことで知られています。筆者もコンサルタントとして、クライアント企業の組織開発・人材育成に関するアドバイザーを本業としているので、どうしたらあんなにたくさんのユニークな才能を発掘・開拓できるんだろうと思い、直接お会いする機会があった時に聞いてみたことがあります。その時の答えが大変印象的で、つんく♂さんの答えは次のようなものでした。

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