AIによって僕たちの仕事はどう変わるか 前編

AIの普及と僕たちの仕事の関係について。全3回の記事の一つ目です。

「職業」は簡単にはなくならない

AIの影響に関して、私はいろいろな場で「たいしたことはない」と意見しているのですが、これはある種のポジショントークのようなところもあって、今後AIが社会に大変なインパクトをもたらすことは間違いないと考えています。

じゃあ何が変わるかというと、AIによって多くの人が信じて疑うことのなかった「従来の優秀さ」が大きく価値を失っていくことになると思っています。

たとえば1970年代に電卓が登場した時、それまでは労働市場において高く評価されてきた暗算や算盤を巧みに扱う能力の価値はなくなりました。物は言いようで、「シンギュラリティ(技術的特異点=人工知能が人間の脳力を超える臨界点)は、すでに1970年代に生じていた」という言い方もできるわけです。一方で、誰もこの時に「人間の敗北」とは思わなかった。それと同様のことが今後、さらに大規模に起こるしょう。

じゃあ、巷間言われるように「生成AIが人間に取って替わることによってさまざまな職業がなくなる」のかというと、私はそうは思いません。「職業」というのはそう簡単になくなるものではないからです。

1950年代にアメリカ国税局がつくったIRS(内国歳入庁)の職業リストには271の職種がありましたが、現在のリストから抹消されたのは「エレベーターガール」の一職種だけです。

20世紀後半というのは、過去のどんな時代よりもテクノロジーによる社会変化が大きなレベルで起きた時代ですが、そのような大変革が起きても、ほとんどの職業は残ったのです。現在、「AIの影響で職業がなくなる」と大騒ぎしてる人たちはどうも過去の歴史においてテクノロジーの登場が職業にどのような影響を与えたのかということをあまり考えていないように思いますね。

ただ、職業はなくならないとは言っても、仕事の中身や価値は変わる。逆に言えば仕事の中身や価値が変わるから「職種」という入れ物が存続したわけですね。たとえば広告代理店というのは、かつては媒体社の代理人として広告主にメディアの枠を売って手数料をもらうというビジネスだったわけですが、現在ではむしろ広告主の代理人としてマーケティング戦略やコミュニケーション戦略についてアドバイスし、その実行を支援する業態になりました。職業そのものとしてはなくなっていませんが、仕事の中身はかなり変わっているわけです。

AIにまつわる議論は破綻している

生成AIに関する議論では、「人間の知性をAIが超える」とか「AIに仕事を奪われる」といったことが言われていますが、議論としては破綻していると思います。こういった議論をやっている人に対して「では「知能」とは何か?」「どのようにして「超えた」と判定できるのか?」と聞けば、答えは人それぞれで発散して収斂することはありません。

命題の論理を構成してる基本要素の定義すら確定していないのですから、この命題はそもそも無意味なのです。無意味な命題について「正しいか、正しくないか」という議論をするのは時間の無駄ですから、どうせやるならもっと生産的な議論に時間をかけた方がいい。それは「労働市場に対するAIのもたらす影響」です。これならちゃんと議論が成立する。

ある職種が労働市場において存続できるかどうか?これは経済学における需要と供給の関係に関する問題です。もし「仕事がなくなる」のであれば、それは「需要が無くなる」ということなのか?あるいは「需要は存続するけど、何か別のものによって供給が代替されるのか?」ということが論点になる。「AIによって仕事がなくなる」と騒いでいる人は後者のことを言っているのだと思いますが、通常は「供給の代替」は一気に起きるものではなく、需給バランスの変化として、まずは労働対価の変化という形で現れます。わかりやすくいうと供給量が過剰になると価格がどんどん安くなる、ということが起きるわけです。

では、ChatGPTは市場において何を提供するのか。一言で言えば「情報」ですね。だから、ChatGPTの登場によって大きく影響を受けるのは、これまで「情報」に関わる仕事をしていた人たちだ、ということになります。「情報の市場のマップ」を考えたとき、生成AIがどのような類の情報を大量に供給することになるのか?それによって情報の市場にどのようは変化が起きるのか?を考えることが重要だと思います。

AIの価格が劇的に低下

2011年にIBM社が開発したAI、ワトソンが、アメリカの人気クイズ番組『ジョパディ!』に出場し、米国のクイズ王二人と戦ってこれを破ったことで話題になりました。さて、クイズで勝つためには「正解を出す力」が求められます。

クイズ番組で、人間のクイズ王がなす術もなくAIに敗れたということは、すでに「正解を出す」能力について、人間はAIに敵わない時代がやってきている、ということを意味します。ChatGPTなどの生成AIによってこの動きはさらに加速することになるでしょう。このトレンドにおいて忘れられがちだけれども非常に重要なのは、それらAIのコストが非常に安くなってきている、ということです。

1960年代のことですが、NASAがアポロ計画を推進した際、人間を宇宙船に搭乗させることへの大きな反論がありました。端的にいうと「危ない」という話で、「人間を乗せるべきではない」「探査をするだけならロボットとコンピュータだけでいいではないか」と批判をされたのです。

これに対するNASAの回答がなかなか面白くて、それは「人間は非線形処理のできるもっとも安価なジェネラティブ・コンピュータシステムであり、その重量は70キロ程度と非常に軽い」というものでした。この時、すでに「ジェネラティブ=生成」という言葉は使われていたのですね。

つまり、人間を宇宙船に乗せる理由は、端的に「情報処理システムとして非常に軽く、しかも安い」ということだったわけです。人間が作業をするほうが探査活動においての精度が上がるなどの理由もありましたが、それと同時にNASAが重視したのが人間とコンピュータの「価格性能比」だったのです。そして、当時は圧倒的に人間の方が優位だった、この「価格性能比」が、一部領域の情報処理については人工知能が上回るようになり、さらにそれが大幅に低下しつつある、というのが現在の状況なのです。では、それはどれくらいの勢いで進んでいるのか?

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