人生というプロジェクトの基本原理
4月に出したこちらの記事では「キャリアというゲームの基本原理」について書きましたが、あれから半年で大幅に補筆しましたので、記事の改変という形ではなく、新しい記事として公開したいと思います。
ちなみにこちらの記事は、来年1月に上梓予定の「人生の経営戦略=ライフ・マネジメント・ストラテジー」の冒頭部分になる予定です。
それでは早速本題に入りましょう。
「正しい戦略」は「正しい目標」が大前提
モンテーニュが「エセー」で指摘した通り、私たちは、正しい目標を欠いてしまうと、偽りの目標を設定してしまいます。そして、偽りの目標を設定すれば、どんなに論理的に正しい戦略を設計してもプロジェクトは必ず破綻します。
ということで、ここに人生における個別戦略論の是非を云々する前段階として長期目標について思考する理由があります。
本論では「人生というゲームの長期目標」を次のように設定します。
時間資本を適切に配分することで持続的なウェルビーイングの状態を築き上げ、いつ余命宣告をされても「自分らしい、いい人生だった」と思えるような人生を送る
この定義には3つのポイントがあります。
まず、ひとつ目のポイントが、人生の経営戦略=ライフ・マネジメント・ストラテジーの検討において、私たちがコントロールできる戦略変数は「時間資本しかない」ということです。
戦略の策定において、戦略変数の見定めは決定的に重要な要件となります。私たちはしばしば、人生を計画する際、他者や組織や社会など、自分ではコントロールできないものを動かそうとして、無用な努力を重ねてしまいます。本書ではこの愚を犯すことを避けるため、自分でコントロールできる戦略変数、すなわち「時間資本」にフォーカスを当てます。
次に、2つ目のポイントが、人生の経営戦略=ライフ・マネジメント・ストラテジーの検討においては「時間資本をいかに配分するか」が中心的な論点になる、ということです。なぜなら、戦略とはつまるところ
資源配分のアートとサイエンス
だからです。古代に書かれた「孫子の兵法」以来、歴史上あまたの戦略論が唱えられてきましたが、その中心的な課題はつねに「戦略資源をいかに配分するか」でした。
私たちが人生を通じて必ず持っている資源は「時間資本」ですから、これをどのように配分するか、が人生の経営戦略=ライフ・マネジメント・ストラテジー策定の中心的な論点となります。
最後に、3つ目のポイントが、本書で設定するプロジェクトの目的では、お金持ちになることでも、会社で出世することでも、社会的な栄誉を得ることでもなく、「持続的なウェルビーイングの状態を築くこと」を目指す、ということです。
1974年にアメリカの経済学者、リチャード・イースタリンが「所得が一定の水準を超えると人々のウェルビーイングは伸びなくなる」という「イースタリン・パラドクス」を発表して以来、多くの研究が「お金や地位や名誉といったものは一定程度を超えてしまうとウェルビーイングと相関がなくなる」ことを示しています。従って本書では、これらの要素をあくまで「ウェルビーイングを実現するための基本要件」と捉えます。
注意して欲しいのが、この目的設定における「持続的」という要件です。これは何をいっているかというと、本書では「人生の最後にウェルビーイングを実現すればいい」という考え方を採用しない、ということです。
理由は単純で、私たちは「自分がいつ死ぬか」を知らないからです。「人生の最後」がいつなのか、その時期が確定しない以上、これを目的に設定することはできません。だから「いつか」ではなく「いつも」、つまり「持続的」ということが重要なのです。
時間資本を別の資本に変えるゲーム
ここまでの定義を図式化すると次のようになります。
スタートポイントは人的資本です。人生のステージの最初の段階、10代から20代の働き始めの時期は、スキルや知識や経験等の人的資本も、信用や評判やネットワークといった社会資本も持っていない人がほとんどです。持っているのはありあまる時間、つまり時間資本だけです。
この時間資本を、良い学びを得られる「スジの良い学習」や、良い経験を得られる「スジの良い仕事」に投下することで、その時間資本は知識・スキル・経験といった人的資本に転換されます。
前節で「成長・発展している場所」と「停滞・衰退している場所」のどちらに身を置くかで、人生には天地の開きができるということはすでに指摘しましたが、両者の大きな違いは、この「時間資本→人的資本」の転換効率の違いによって発生します。
濃密な仕事経験ができるスジの良い仕事に時間資本を投下することができれば、投下した時間資本が高い変換効率で人的資本として戻ってくるのです。
一方で、この時間をスジの悪い仕事に投下してしまえば、投下した時間資本はそのままドブに捨てることになり、人的資本としてリターンを得ることができません。本書で後ほどあらためて触れたいと思いますが、キャリアの前半のステージで、どのような仕事に取り組むかは、この「時間資本の人的資本への転換」という観点から非常に重要な論点となります。
最近は「手っ取り早くラクに稼げる」という理由で、グレーゾーンすれすれの仕事に手を染めてしまう人が少なくありませんが、そんなことをいくら繰り返しても人的資本の蓄積は進まず、時間が経てば経つほど、人生はますます袋小路の難しい状況に追い込まれることになります。
社会資本は人的資本によって増える
自分の時間資本を良質な経験を得られる「スジの良い仕事」に投下して人的資本が育ってくると、この人的資本が高い水準のアウトプットやパフォーマンスを生み出すことになり、これがやがて「あの人に仕事を頼みたい」「あの人なら間違いがない」といった評判や信用やネットワーク、つまり社会資本を生み出すことになります。
ここでポイントとなるのは、社会資本を生み出すのは人的資本であり、直接的に時間資本を投下しても、社会資本の構築は進まない、ということです。
図中で、時間資本と社会資本を結ぶ線が破線になっていることに注意してください。これが、いわゆる「異業種交流会の不毛」の原因です。この枠組みに沿って考えれば、異業種交流会というのは、まさに社会資本を形成するために行われるわけですが、社会資本は、人的資本に裏打ちされた高い水準のパフォーマンスやアウトプットによって初めて構築されるのであって、いきなり時間資本をダイレクトに社会資本の構築に投下しても構築できないのです。
同様のことが金融資本についてもいえます。つまり、金融資本を生み出すのは信用・評判・ネットワークといった社会資本であり、社会資本の裏打ちのないままに直接的に金融資本を増やそうとするのは非常に効率が悪い、ということです。
図中で「人的資本と金融資本はつながっていない」という点に注意してください。これは何を意味しているかというと、金融資本を生み出すのは主に社会資本であって、人的資本は間接的にしか影響しない、ということなのです。
私たちは資本主義の社会に生きており、自分たちの能力が労働市場における商品として売買される以上、市場で顧客の購買意思決定を左右しているのは信用や評判や知名度であって、人的資本ではありません。理由は非常に単純で、なぜなら「人的資本は外側から見えない」からです。
これは私たち自身の購買行動を振り返ってみればすぐにわかります。日用品にせよ家電製品にせよ自動車等の耐久消費財にせよ、私たちは商品そのものの物性や性能をつぶさに比較して購入しているわけではありません。
多くの人はその製品やメーカーの信用・評判・知名度等を大きな判断材料にしているはずです。見たことも聞いたこともないようなメーカーの製品は、いくら「ちゃんと作られていています」と説明されたところでなかなか買えるモノではありません。
つまり「金融資本を生み出すのはその人の持っている信用・評判・知名度などの社会資本であって、知識・能力・コンピテンシーなどの人的資本ではない」ということです。これはキャリアを考える上で非常に重要な点であるにもかかわらず、多くの人が誤解している点です。
人的資本には上限があるが、社会資本に上限はない
前節では「金融資本を生み出すのは社会資本であって人的資本ではない」という指摘をしましたが、ここでもう一つ「人生の戦略」を考える上で重要な点を指摘しておきたいと思います。それは「人的資本には上限があるが、社会資本には上限がない」ということです。
例えばプロゴルファーのタイガー・ウッズの過去の成績は、トップクラスのゴルファーとさしたる違いがありませんが、社会的知名度や経済的成功の度合いは文字通り桁違いです。
同様のことはビジネスの世界についても言えることです。たとえば昨今は企業経営者の給料が高すぎることがしばしば問題として指摘されていますが、これも同様のメカニズムで説明できます。
これまでになされた組織研究の多くは「組織における職位の高低と能力や業績には明確な相関がない」ということを示していますから、「経営者の報酬が高すぎる」という指摘自体は当を得たものではあるのですが、現実に起きていることを説明すれば、まさに「人的資本には上限があるが、社会資本には上限がない」ということ、つまり「能力と成功が非対称になっている」という現象なのです。
これを図示すると次のようになります。
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