AIによって僕たちの仕事はどう変わるか 後編
こちらの記事の最終章です。
中央値ではなく「外れ値」で戦う
生成AIのテクノロジーのベースにあるのは統計です。ある質問を受けた時に言語生成AIであるChatGPTは、仮想空間にある情報を探索して、最も出現率の高い回答から順に答えていくことをやっているわけです。
質問する側が意図的に探索空間を限定しない限り、ChatGPTはネットの仮想空間において「統計的に最も頻繁に出てくる答え」を回答として出してくる。だから最も標準的な回答を知りたいときは、ChatGPTに聞けばいいのです。
言い換えると、ChatGPTは統計でいう正規分布グラフの山の一番高い部分、つまり両端から数えてちょうど真ん中のところ、「中央値」を答えとして出すということです。統計の中央値ですから、往々にして「それはわかるけど、まあ当たり前だよね」といった内容になりがちです。
これに対して統計的に出現率の低い、正規分布グラフの山の低い両端の部分を「外れ値」と言います。人間は「中央値」での勝負ではChatGPTに勝てるわけがありませんから、必然的に「外れ値」で勝負したほうがいいということになるわけですが、しかし、外れ値と戦うと言っても、単に奇抜なだけ、トリッキーなだけでは意味がありません。「意外だけど納得感がある」「思いもよらない答えだけど、その手があったか!と思える」、そのような「外れ値」が求められるのです。
「外れ値」が正解になる時
これは私が聞いた医療に関する話です。生体肺移植において、たとえばお母さんの肺を子どもに移す際には、まず子どもの肋骨を切り開いてからお母さんの肺を移植することになります。移植後には切り開いた子どもの肋骨を再度つなぎ直して、最後に皮膚を縫合して手術を終えるというのが標準的な進め方になる。生体肺移植において世界中で行われているオペレーションで、まさに中央値です。
しかしある時、小学校1年生の子どもにお母さんの肺を移植し、肋骨をつなごうとしたら、移植した肺で心臓が圧迫されてしまい、うまく心肺が機能しないことが手術の最中に判明した。体が小さかったのでお母さんの大きな肺がうまく収まらなかったのです。
現場は「困った」となったのですが、この時に手術を担当していた医師がどうしたかというと、肋骨はつなげずに皮膚だけを縫合したのですね。肋骨をつながないというのは危険な状態ですが、肺は肋骨による圧迫がないから自由に伸び縮みができ、心臓も圧迫を受けずに脈動できる。人間の適応力というのは素晴らしくて、しばらく経つと身体の大きさに合わせて肺も小さくなり、そこでようやく肋骨をつないで無事に手術を終えたそうです。
これは標準的な手術のやり方からすると非常にイレギュラーなやり方で、もちろん臨床例もなかったわけです。それでもこの医師が「おそらく人間の適応力からすれば、時間の経過とともに肺が小さくなるはずだ」と総合的かつ直感的に判断したわけです。それまでに得ていたものすごい量の人間の身体に関する知識を総動員した結果でしょう。
このように人間の知性というものは、標準的な正解が通用しない特殊な状況において、極めて独創的な「外れ値」の回答を導き出し、それを実現するクリエイティビティや洞察力、閃きのようなものを持っている。これが「外れ値で戦う」ということです。
「中央値」が好きな日本人
同様のことは経営戦略についても言えます。戦略論の教科書を読めば、そこに「中央値の戦略」は書かれています。しかし、この戦略には大きな問題が二つあります。一つは「差別化が難しくなる」ということ。当たり前ですが、中央値の戦略で戦えば、他の中央値で戦う企業とは同じ戦略で戦うことになります。
そうなると競争優位は「スピード」か「コスト」かの二つしかありません。これは非常に厳しい消耗戦になります。そしてもう一つの問題は「予測がしやすい」ということです。これについて日本人の悪弊を感じさせる歴史的なエビデンスがあります。
太平洋戦争の直前、開戦はどうも避けられそうにないと考えた米国は、すでに東南アジアにおいて日本との戦闘経験があった同盟国の英国に「日本軍というのはどういう戦い方をするのか?」ということを尋ねたのですね。
この質問に対してイギリス側が作成した「日本の軍事行動に関する所見のレポート」が残されているのですが、その回答が面白い。何と書かれているかというと「日本軍は欧州で一般的な戦略論の模範的な生徒である」「一世代前の戦略論の教科書に対して非常に忠実な反応をするため、リアクションの想定が非常に容易である」といった分析が書かれています。日本軍はまさに中央値で戦っていたわけです。
しかし、戦いにおいてこれではやっぱりマズイわけですね。基本的な戦略に忠実なだけでは、敵に先々の戦術を読まれてしまいます。ですからこうしたときには、「相手が予想もしない、驚くべき、想定とまったく異なるような発想でいて、大局的に見たときに合理性がある」戦略を採ることが望ましい。
これは戦争に限った話ではありません。ビジネスや経営においても、競合を大きく引き離すような画期的戦略には一種のサプライズが常に含まれているものです。「えっ?」と相手が驚くような、一見するとセオリーから外れたアクションやコンテンツでありながら、「フレームを変えて見たときにはしっかりとした合理性がある」戦略が重要になるのです。
しかし、この第二次世界大戦時の日本軍の例を考えると、AIが進化することは、日本人にとってはつらい時代に突入することになるのかもしれません。日本人は中央値が好きで、中央値で戦うことに安心するところがあるからです。
「外れ値」に合理性を求める
経営学者の吉原英樹さんが書いた『「バカな」と「なるほど」 経営成功の決め手!』(PHP研究所)という本があります。「バカな」というのは、つまり「一見するとあり得ないように思える戦略」ということです。そして「なるほど」は、「よくよく聞いてみると深い合理性がある戦略」のことです。
先ほどのChatGPTの話に絡めれば、つまり「バカな」というのは統計的な外れ値だということです。しかし、その外れ値に深いレベルでの合理性がある、そのような戦略のことです。こういった戦略の例としてよく取り上げられるのが、ローコストキャリア(LCC)の走りである米国のサウスウエスト航空の戦略です。
それまでのエアライン事業は、多くの広域航空路線が乗り入れているハブ空港を結ぶものでした。ハブ空港は多くの利用客がいますから、より多くの需要に取り込むためにハブ空港とハブ空港を結ぶ基幹路線を志向するのは合理的なように思えます。
そのような常識が業界に浸透していた時代に、サウスウエスト航空は、ハブ空港を使わずにローカル空港とローカル空港のピストン輸送を事業の主軸に据えると言い出したのです。この時点で多くの競合企業は「?」と思ったことでしょう。
さらに特徴的だったのが「機種を一機種に絞った」ことです。路線ごとに異なる多様な旅客の需要量に対応すべく、それまでのエアラインは小型の機種から大型の機種まで複数の航空機を揃えていましたが、サウスウエスト航空では使用する機体をボーイング737の一機種に絞ったのです。結果として、同社が事業を始めた当初、業界関係者の多くは「こんなものうまくいくわけがない」と無視したのです。
しかし、この、一見すれば「バカな」と思えるサウスウエスト航空の戦略には、実は「なるほど」と思える深い合理性がありました。
ローカル空港間の移動は、確かにハブ空港間の移動に比べると市場は小さい。しかし、競合がほとんどいないのでおの小さな市場を独占できるというメリットがる。価格競争にも巻き込まれない。またローカル市場での需要はグローバルな移動に比較すると経済や社会の動向に対して影響を受けにくい。
また一種類の機体しか使わないので、予備部品の在庫の管理は楽になりますし、パイロットの訓練に使うシミュレーターも一機種分でいい。整備についても一機種の整備免許があれば事足りる。これらのことから、大きく必要経費を下げることが可能になりました。
ChatGPTの登場によって「中央値の戦略」がコモディティ化する時代においては、サウスウェストが実践したような「外れ値の戦略」こそが競争優位を生み出すことになるでしょう。しかし、こういった「外れ値の戦略」を見出だし、それを実行するのは非常に勇気がいることです。
前例主義や横並び主義から離れて「これはみんながやっていることではないし、先行事例もない。それでも理屈で考えればうまくいくはずだ」と、例外的な戦略の合理性を突き詰めて考える。そのためにはある、どこまでも論理的に考え続ける「思考の粘り強さ」と、その結果として生み出された外れ値の戦略を信じて実行する「精神的タフネス」が求められます。
私はことあるごとに「戦略には意外性が必要。意外性のない戦略は戦略とは言わない」「他者から見て大胆と思えるような行動こそ未来を切り開く」という話をしていますが、このような話に対して「自分にはその勇気がない」「自分にはそれだけの胆力がない」などと弱音を吐く人が少なくありません。しかし、そこで「勇気の話」「胆力の話」に逃げてしまってはダメだと思うのですね。
胆力があるように見える人は、考え抜いた結果として「今のままではダメだ」「こうすれば必ずうまく行くはずだ」といった信念を持ち、行動しているのです。考えの足りない人からすると、その動きは胆力があるかのようにも見えるのでしょうが、実際には彼らなりの勝算があって動いているのです。サウスウェスト航空の例以外にも、例えばアパレルの世界でユニクロの柳井正さんがやったこと、物流の常識に抗ったヤマト運輸の小倉昌男さんがやったこと、みんなそうです。
当たり前の正解、つまり「中央値の戦略」でChatGPTと戦えば人間に勝ち目はありません。人間が、人間にしかできないことを思考し、あるいは行動して大きな価値を生み出すためには、現状では当たり前だと思われていることを徹底的に疑い、「深い合理性を持つ外れ値の戦略」を見つけること、これしかありません。
さらに言えば、だからこそ、いま世界中で「リベラルアーツの復権」が叫ばれているのでしょう。なぜなら、リベラルアーツとはまさに「思考を束縛するものから自由=リベラルになるための技術=アート」だからです。
中央値のトヨタと外れ値のテスラ
市場調査の結果を踏まえて事業を進めることも、やはり中央値の考え方です。その結果、滅びてしまったのが日本の携帯電話産業でした。
デザイナーの原研哉さんが言っていることですが、「センスの悪い国で市場調査やマーケティングをきちんと行うと、センスの悪い商品が出来上がる」というのですね。それこそがまさに日本の携帯電話産業で起こったことです。センスの悪い国でマーケティングをしてセンスの悪い商品を出し続けた結果、かつての隆盛は見る影もなくなってしまいました。
このような状況を見たスティーブ・ジョブズは「なぜ携帯電話はこんなにダサイのか?」という視点からiPhoneを発想し、世に出したわけです。ではその当時の市場調査の結果としてiPhone的なものがどのくらい求められていたかというと、これはもう完全な外れ値で、消費者の誰もがそんな製品は想像すらしていませんでした。
2003年に創業されたテスラも同じです。その当時に市場調査を行えば、マジョリティの人たちは電気自動車など見向きもしなかったでしょう。
市場調査の結果から見れば、一番太い需要は論理的には中央値のところにあるわけです。それを頼りにした戦略を採っていたならば、テスラの電気自動車もアップルのiPhoneも生まれなかったでしょう。
一方、中央値のところでずっと戦い続けた結果としてグローバルな競争に苦戦しているのが日本です。しかし、市場に顕在化しているニーズの太さを確認しながらそれに応えていくというリアクティブなやり方をやっていては、テスラのような事業は生まれないと思います。
テスラが創業したのは2003年ですが、当時の状況をあらためて振り返れば、自動車のパワーユニットは化石燃料で動くレシプロエンジンというのが常識で、それを誰もが当たり前だと信じていたわけです。経営戦略論やマーケティングの教科書に出てくるような「潜在的なニーズをとらえて事業化せよ」などということを考えたら、あのような事業など絶対に興せません。
この当時に「新興電気自動車メーカーのテスラはいずれトヨタの時価総額を抜くなどと」などと言ったら、酔っ払いの戯言、世迷い事に聞こえたでしょう。しかし20年が経ってみると、テスラは世界中の自動車会社の時価総額を合わせたよりもすでに価値のある会社になっているのです。
つまりは、「中央値から外れる勇気」を持った人たちが、この20年間に巨大な事業をつくってきたとも言えます。そしてAI時代には、そのような中央値から外れる勇気にこそ、人間本来の知性が求められるのではないでしょうか。
映画界がAI利用に危機感
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