イノベーション研究から得られた洞察を人生に活用すると?

今日の経営において、イノベーションは中核的な課題となっていますが、同様のことは個人についてもいえます。私たち一人一人が最終的にパブリックサービスになんらかの形で関わっている以上、飛躍的に提供価値を高める=イノベーションの方法論は「人生の経営戦略=ライフ・マネジメント・ストラテジー」においても重要な課題となります。

では、どのようにして、個人の人生においてイノベーションを実践できるのでしょうか?経営学におけるイノベーションの研究をライフ・マネジメント・ストラテジーに適用するとすれば、次の三点がポイントになります。

  1. 質より量

  2. 遊びを盛り込む

  3. 多様性

順に考察していきましょう。

成功するのは「たくさん試す人」

イノベーションにおいては創造性が非常に重要な要件となりますが、では何が創造性を高めるのでしょうか?意外なことに、創造性に関する研究の多くは「量が非常に重要」だということを示しています。端的にいえば、創造性は「最も多くのアウトプットを出している時に、確率的に高まる」ということがわかっているのです。

カリフォルニア大学デービス校の組織心理学者のキース・サイモントンは、ダ・ヴィンチ、ニュートン、エジソンなど、あらゆる時代のイノベーター2000人のキャリアを分析し、結論として次のように指摘しています。

多くの人は「イノベーターは成功したから多く生み出した」と考えている。しかしこれは論理が逆立ちしている。実際のところはその逆で、彼らは「多くを生み出したから成功した」のだ。

 

サイモントンによれば、芸術家や科学者のアウトプットには「量と質の相関関係」が存在します。たとえば、科学者の論文の引用回数は、その科学者が残した全体の論文の数に比例しています。

そしてまた、その芸術家や科学者が、生涯で最も優れたアウトプットを出す時期は、生涯で最も多くのアウトプットを出している時期と重なります。つまり、私たちの知的生産には「量と質の相関関係」が存在する、ということです。

サイモントンによるこの指摘は、創造性に関して私たちが持っている一般通念とは大きく異なります。というのも、私たちは、自分たちの仕事について、アウトプットの量と質にはトレードオフの関係が存在しており、質を求めれば量が犠牲になり、量を求めれば質を犠牲になる、と考えてしまいがちです。しかしそうではない、むしろ量を求めることで、同時に質も高めることができる、ということです。

このサイモントンの指摘は、創造性のメカニズムを考えてみれば理解できるはずです。というのも、そもそも創造性というのは偶発的な特徴を持っているからです。画期的なアイデアは、様々な要素の偶発的な組み合わせによって生じします。したがって「極めて良いアイデア」を生み出すためには、なるべく沢山の組み合わせをつくる必要があります。

たくさん試せばガラクタも出る

このような指摘をすれば「そんなことをすれば、傑作は生まれるかもしれないが、同時に膨大なガラクタを生むのでは?」と思われるかもしれませんが、全くその通りです。

サイモントンの研究によれば、確かに、生涯で最も優れたアウトプットを出す時期は、生涯で最も多くのアウトプットを出している時期と重なっています。しかしまた同時に、その時期は、その芸術家や科学者にとって、もっともダメな作品が生まれる時期でもあるのです。

実はこのような指摘は以前から経験的に言われていたことでもあります。ノーベル化学賞受賞者のライナス・ポーリングは、よく学生から「どうしたらよい研究アイデアが思いつくのですか」と聞かれた際に、いつも「とにかく沢山のアイデアを考えること、そしてダメなアイデアを捨てること」と教えていましたし、インテルのIT戦略・テクノロジー担当役員を務めたメアリー・マーフィ・ホイも「成功した数の十倍の失敗をしていなければ、リスクを十分に背負っていないと考えた方が良い」と言っています。

日本には「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」という乱暴なことわざがありますが、サイモントンの指摘はまさに「ホームランを打ちたければとにかく打席に立って振れ」ということです。

追い求めるべきは「打率」よりも「打席の数」

これらの洞察をライフ・マネジメント・ストラテジーに適用すると何が言えるでしょうか?

第一に言えることは「とにかく打席に立って振ること」が大事だということです。私たちは自分の仕事について「打率」についての評価目線は常に持っていますが、サイモントンらの研究を踏まえれば、ことイノベーションを起こすということに関していえば、私たちは「打率」よりも「打席の数」をより重要な指標と考えるべきだ、ということになります。

この指摘を人生の時系列に当てはめて考えてみると二つの洞察が得られると思います。

まず「人生の春=20代まで」は、打率よりも打席の数を意識すること、そして「小さく当てにいくことは考えずに、立った打席で「思いっきり振り切る」ことが重要だということになります。

端的にいえば「打率はどうでもいい、人生を変えたければ一発の長打を打て」ということです。なぜなら「高い打率」が、周囲5メートルの人たちの間での社会資本の形成にしか貢献しないのに対して、「一発の長打」は、場合によっては所属している組織の外側にまで及ぶ広範囲に社会資本を形成するからです。

失敗のコストは年を取るほど高くなる

特に重要なのは「空振り三振(=失敗)のコストは若ければ若いときほど小さい」ということを意識しておくことです。

私たちの人生は、後半になればなるほど、機会費用が高まり、また失敗によって失うものも大きくなります。成功・失敗には運が付きまといますから確率は人生を通じて一定です。しかし、失敗のコストは人生の後半になればなるほどに高くなるのです。

だとすれば、なるべく若いときにたくさん打席に立つ、ということが合理的な戦略ということになります。一般に金融における投資のセオリーでは、若い人は、リスクの少ない債券よりリスクの高い株式への投資が勧められますが、これと同じく、若いときは仕事のうえでも果敢にリスクをとることが大切なのです。

人生の後半でも打席を維持する

前項では「キャリアの前半戦では打率よりも打席の数を意識するべき」という指摘をしましたが、では「キャリアの後半戦」ではどうなのでしょうか?この点を考察するために、ネットワーク科学者のアルバート=ラズロ・バラバシによる研究を引きましょう。

一般に、科学者が大きな貢献をするのは若い時だ、と言われますが、バラバシはこの命題を科学的に検証しました。結果、何がわかったかというと、確かに、引用回数の多い論文、つまり評価の高い論文は、全般に若い時期に出ていることが多いことがわかりました。

具体的には、引用回数の多い論文が発表される確率は、研究者が研究生活に入って最初の3年間であれば13%ですが、25年後には5%、30年後には1%まで低下することを明らかにしています。

このような結果を聞けば、一定以上の年齢の人はがっくりするかもしれませんが、話はここで終わりません。バラバシは「若い時ほど、引用される論文が書かれる確率が高い」という、この発見についてさらに踏み込んだ分析を行い、実に単純ではあるものの、見過ごされがちな理由を明らかにしました。その理由とは「若い研究者ほど、発表している論文の数が多いから」ということです。

若い時のものであろうと晩年の時のものであろうと、一つ一つの論文が評価される確率には全く変わりがなかったのです。話は単純で、若い時にたくさんの論文を書いたから、結果的に高く評価される論文も若い時に書かれたものが多くなった、ということです。

これを野球に例えて表現してみれば、知的生産の世界においては、ホームランの出る確率は若年の選手でも壮年の選手でも変わりがなく、両者のパフォーマンスの違いは主に「打席に立つ数」「フルスイングする数」によって生まれている、ということです。

バラバシをはじめとした創造性に関する研究の結果は、ライフ・ストラテジーに非常に大きな示唆を与えてくれます。私たちは、これをキャリアに当てはめて考えれば、とにかく打席に立ち続けること、リスクをとって挑戦し続けることが重要だ、ということになります。 

遊びが重要

前項まで「創造性における質と量」の問題について述べてきました。ここからは、創造性を高めるための二つ目のカギである「遊び」の重要性について考えてみましょう。実は「量」を増やすためには、必ずしも仕事「量」だけを増やさなくてもいい、という話です。どういうことでしょうか?この論点を考察するにあたって、アリ塚を取り上げて考察してみましょう。

ここから先は

4,510字
この記事のみ ¥ 500
期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?