「空飛ぶクルマ」はいつ飛ぶのか?
来る大阪万博で予定されていた、いわゆる「空飛ぶクルマ」の商用利用が、見送られることになったようですね。。
個人的には「やっぱりなあ」という感想ですね。Xにも軽く指摘したことですが、「技術的に可能」という話と「社会に実装される」というのは、全く別のことです。
空飛ぶクルマに関していえば、既視感がすごい。「世界の都市交通のあり方が変わる」と、その筋のメディアで大騒ぎされていたセグウェイが、あれだけ悲惨な末路を辿って生産終了となったのは4年前のことだったのですが、みんなもう忘れちゃったのかなあ。
ちなみに、万博つながりのイノベーションといえばリニアモーターカーがありますが、こちらは1970年の大阪万博でデモンストレーションが行われ、やはり「未来の交通」と大騒ぎされたわけですが、あれからすでに50年以上を経て、いまだに日本では商用利用が始まっていません。
空飛ぶクルマが三次元空間を機動すること、訓練を受けていない不特定多数の人が操縦者になること、免許制度の概要すらまだないこと、三次元空間の権利問題など、各種の法規制などの整備が必要なことを考えると、リニアモーターカー以上に時間がかかるのではないかと思っていますが、さてどうなんでしょうか?
いつまで待つか?
イノベーションに関連する意思決定に関して「なかなか収益化しないイノベーションに、いつまで投資し続けるか?」という論点は常に悩ましいものです。
おそらく殆どの企業は新規事業の継続/打ち切りに関して、黒字化や累損解消の時期、あるいはキャッシュフローや内部収益率等の指標を用いて一定のルールを定めていることでしょう。
確かに、こういったわかりやすいルールは、成功の見込みの薄い「スジの悪い」新規事業にズルズルと企業体力を奪われることを防ぐのには有効でしょう。
しかし一方で、こういった杓子定規なルールが、大きな可能性のあるイノベーションの芽を摘んでしまう可能性があることもまた意識しておく必要があります。
なぜなら、イノベーションがもたらすインパクトの大きさと市場への浸透スピードはまったく相関しないからです。
なかなか普及しなかった壊血病対策
我々は、有効性が証明されている明白なイノベーションであれば、相対的に有効性が低いイノベーションよりも早期に市場に普及するはずだと考えてしまいがちです。
しかし、過去の歴史を見る限り、イノベーションがもたらす便益の大きさと普及の速さには殆ど相関がありません。人類の歴史は、偉大なイノベーションが意外なほどに普及しなかった、といった類のエピソードにあふれているのです。
例えば典型的な事例として壊血病の対策が挙げられます。16世紀から18世紀にかけての大航海時代において、壊血病はながいこと船員の死亡原因ナンバー1でした。
ヴァスコ・ダ・ガマ[1]のインド航路発見の航海では180名の船員のうち100名が壊血病で死亡したという記録が残っていますから、当時は海賊や海難事故以上に壊血病による犠牲者が多かったのです。
今日、壊血病はビタミンCの欠乏によって発症することがわかっており、柑橘類の投与によって簡単に治癒できることが知られていますが、この病気の原因は長いこと特定することが難しく、その間に多くの人命が失われていったのです。
なかなか対策が見つからなかった壊血病に一筋の光明が見えてくるのは17世紀に入ってからのことです。1601年、英国の船長ジェームス・ランカスターは、壊血病の防止にレモンジュースが与える効果を検証するために、英国からインドに公開する四隻の船の一隻の船員に対して、毎日匙三杯のレモンジュースを与えるという実験を行いました。
結果は果たして、レモンジュースを与えられた船員は全員が健康を維持し、他の三隻の船員は278名のうち110名が壊血病で死亡しました。
おおお!さすがに、これほど明白な結果が得られたこともあって英国海軍はすぐさますべての船員に対して柑橘類の摂取を義務付けることにし、以後、壊血病は根絶されることになったのです、というストーリーを読者の皆さんは想像したことでしょう。
しかし、実際の歴史はそうなっておらず、更に組織的な取り組みが行われることになるのはなんとそれから150年も経ってからのことで、この間にも壊血病で命を落とす船員は後を絶たなかったのです。
次に壊血病対策に光明が指すのはランカスターの実験からほぼ150年を経た1747年のことです。この年、イギリス海軍省の医師ジェームズ・リンドは、食事環境が比較的良好な高級船員の発症者が少ないことに着目し、新鮮な野菜や果物、特にミカンやレモンを摂ることによってこの病気の予防が出来ることを見出します(ついに!)。
その成果を受けて、キャプテン・クックの南太平洋探検の第一回航海では、ザワークラウトや果物の摂取に努めたことにより、史上初めて壊血病による死者を出さずに世界周航が成し遂げられることになったのです。
しかし、この成功は半ば「まぐれ当たり」と言ってもいいものでした。というのも、当時の航海では新鮮な柑橘類を常に入手することが困難だったことから、イギリス海軍省の傷病委員会は、抗壊血病薬として麦汁、ポータブルスープ、濃縮オレンジジュースなどをクック[2]に支給しているのですが、これらのほとんどはまったく効果がないことが今日では明らかになっているからです。
リンドの主張は「柑橘類が効く」というもので、だからこそ海軍省は大量のオレンジジュースを積み込んだわけですが、これらのオレンジジュースは腐敗防止のために加熱されていてビタミンCは破壊されていたのです。では何が壊血病を防いだのか?
結局、クックのこの航海において壊血病による死者を出さずにすんだのは、主にザワークラウトのおかげだったことが今ではわかっているのですが、こういった経緯があったために当時はどの食物が効果を挙げたのか今一つ判然とせず、おまけに当のクックは「いや〜麦汁が効いたな」などと帰還後に吹聴したりして混乱に拍車をかけたため、長期航海における壊血病の根絶はその後もなかなか進みませんでした。
結局、ビタミンCと壊血病の関係について社会的なコンセンサスが得られるのは1932年になってからのことです。
リンドが、壊血病対策には柑橘類の摂取が有効であるという「ほぼ確実な仮説」を得てから、実際にそれが社会的なコンセンサスとなって具体的なアクションが取られるまで、なんと300年以上もかかっているのです。
なかなか普及しないドボラックキーボード
イノベーションがもたらす便益が火を見るより明らかであるにも関わらず、普及がなかなか進まなかったという壊血病対策のストーリーを読んで、読者の中には「科学的思考が浸透していなかった大昔の話であって、現代に生きる我々はこんな愚かなことはしない」と思われた方もいらっしゃるかも知れません。では、次のストーリーについてはどう思われるでしょうか?
現在、我々が利用しているコンピューターのキーボード配列はQWERTYと呼ばれるフォーマットを採用しています。キーボードの最上段左側から最初の六文字をとってそう呼ばれているこの配列は、もともと「もっとも非効率で打ちにくくなるよう」設計されたものです。
現在、QWERTYキーボードは、最も効率的に設計されたキーボードと比較して、マスターするのに2倍の時間がかかり、作業には20倍の負担が発生することが科学的にわかっています。
しかし、QWERTYは、1873年以来ずっと使用され続けていて、現在でも多くの人が(かつての壊血病対策と同じように)、ずっと効率的なキーボードが存在することを知らずに、腕や指のだるさに耐えながら、この極めて非効率で高負担な設計のキーボードの上で奮闘しているのです。
もともとQWERTYは、タイピストがキーを叩くスピードを、出来るだけ遅くしようという目的でクリストファー・ショールズ[3]が発明したものです。なぜ「遅く」しようとしたのでしょう?
当時のタイプライターは、丁度ピアノのハンマーの様に、打鍵に連動して活字が紙を打つというメカニズムで機能していたので、余りに早くキーを打つと活字のバーが絡んでしまったんですね。
ショールズは、頻繁に使われる文字を小指や薬指といった不器用な指で叩かざるを得ないように配置し、しかもそれらの距離を出来るだけ離すことでキーボードを、いうならば「反最適化」したのです。
結果、ショールズの開発したQWERTYは、やがて全てのキーボードに採用されることになります。活字が絡みにくい上、タイプライターのセールスマンが顧客に「TYPEWRITER」と試し打ちする際、とても打ちやすかった、というのがその理由です。
え?よくわからない?じゃあ、ご自分で
T Y P E W R I T E R
という鍵がキーボードのどこにあるか確認してみてください。
一気に普及したQWERTYですが、やがてタイプライターの性能が向上してくると、QWERTYに対する不満が高まってくることになります(そりゃそうだよね、そもそも打ちにくいようにできてるんだから)。
不満の高まりをうけ、ウィスコンシン大学のオーガスト・ドボラック教授が中心となって研究が続けられ、1932年には効率性研究に基づいた新しいキーボード配列が生み出されます。このドボラック先生、数多くの人々がタイプを打っているところを写真に記録し、どのような操作によってスピードが遅くなるかを10年に渡って分析したそうで、その執念にはまことに感服させられます。
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