組織の劣化の構造原理

企業経営では「組織を永続させること」が非常に重要なテーマになるわけですが、考えれば考えるほど、これは難しいことだなと思います。

特に難しいのが「リーダーの選出」です。会社を作って大きく育てるというのは間違いなく一流のリーダーにしかできないことですが、問題は、この一流のリーダーが、次の世代のリーダーを選抜・指名する時です。

確認してみましょう。

このチャートは北野唯我さんの本をベースにしています。まず、二流の人間は自分が本当は二流であり、誰が一流なのかを知っています。

一流の人間はそもそも人を格付けする、あるいは人を押しのけて権力を握ることにあまり興味がないので、二流とか三流といった格付けそのものをはなから考えません。

三流の人間は、往々にして周囲にいる二流の人間のことを一流だと勘違いしており、自分も「いまは二流だが頑張ればいつかはああなれる」と考えて、二流の周りをヨイショしながらウロチョロする一方で、本物の一流については、自分のモノサシでは間尺を計れない、よくわからない人たちだと考えています。

この構造を人数の比率で考えれば、一流は二流より圧倒的に少なく、二流は三流より圧倒的に少ない、ということになります。

人事評価では、能力や成果が正規分布していることを前提にして評価を行うことが一般的なので、ボリュームとしては中心となる二流が一番多いのではないかと思うかもしれませんが、実際には能力も成果も正規分布ではなくパレート分布[t1] していますから、三流が数の上では圧倒的な多数派ということになります。

したがって、「数」がパワーとなる現代の市場や組織において、構造的に最初に大きな権力を得るのは、いつも大量にいる三流から支持される二流ということになります。

三流にウケるのが大事

これは何も組織の世界に限った話ではなく、書籍でも音楽でもテレビ番組でも同じで、とにかく「数の勝負」に勝とうと思えば、三流にウケなければなりません。

資本主義が、これだけ膨大な労力と資源を使いながら、ここまで不毛な文化しか生み出せていない決定的な理由はここにあります。「数」をKPI(重要業績評価指標)KPIに据えるシステムは、構造的な宿命として劣化するメカニズムを内包せざるを得ないのです。

さて、少数の二流の人間は多数の三流の人間からの賞賛を浴びながら、実際のところは誰が本当の一流なのかを知っているので、地位が上がれば上がるほどに自分のメッキが剥がれ、誰が本当の一流なのかが露呈することを恐れるようになります。したがって、二流の人間が社会的な権力を手に入れると、周辺にいる一流の人間を抹殺しようとします。

イエス・キリストを殺そうとしたヘロデやパリサイ派の司祭、ジョルダーノ・ブルーノを火刑にかけた審問官、トロツキーに刺客を送って暗殺したスターリンなどは全て、二流であることが露呈するのを恐れて一流を抹殺した二流の権力者という構図で理解することができます。

一流が排除された組織で何が起きるか?

これを組織や社会の問題として考えてみると、二流によって一流が抹殺された後の世代に大きな禍根が残ることになります。

二流の人間が一流の人間を抹殺し、組織の長として権力を盤石なものにすると、その人物に媚び諂って権力のおこぼれに預かろうとする三流の人物が集まることになります。二流の人間は一流の人間を恐れるので、一流の人間を側近としては用いず、自分よりもレベルが低く、扱いやすい三流の人間を重用するようになる。

かくしてその組織はやがて、二流のリーダーが率い、三流のフォロワーが脇を固める一方で、一流と二流の人材は評価もされず、したがって重用もされず、日の当たらない場所でブスブスと燻ることになります。

やがて二流のリーダーが引退し、彼らに媚び諂って信頼の貯金を貯めてきた三流のフォロワーがリーダーとしての権力を持つようになると、さらにレベルの低い三流のフォロワーが周辺を固めるようになり、その組織はビジョンを失い、モラルは崩壊し、シニシズムとニヒリズムが支配する組織が出来上がることになります。

組織が一旦このような状況まで劣化すると、一流の人材を呼び込み、重役に登用するという自浄作用はまったく働かなくなるため、組織の劣化は不可逆的に進行し、世代を代わるごとにリーダーのクオリティは劣化していきます。

これが、現在の日本の多くの組織において起きていることでしょう。世代論・年代論の構造的問題に加えて、リーダーのクオリティが経時劣化するという問題が輪をかけている、というのが今の日本の状況です。

古人は、書を読まなければ愚人になる、といった。それはむろん正しい。しかし、その愚人によってこそ世界は造られているので、賢人は絶対に世界を支えることはできない。

魯迅「墓の後に記す」

組織は構造的宿命として劣化する

前節では、二流が一流を忌避し、三流で周りを固めることで組織の上層部は構造的・宿命的に劣化するという指摘をしました。

これは、二流によって一流が排除されるという人為的な操作をベースにしたメカニズムですが、組織の劣化が不可逆なエントロピー(乱雑さの度合い)増大のプロセスであることは、ほかの要因からも推察することができます。

その理由は「凡人は自分より能力の高い人間を見抜くことができない」からです。アーサー・コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズシリーズの「恐怖の谷」に次のようなセリフがあります[1]

凡人は自分より高い水準にある人を理解できないが、才人は瞬時に天才を見抜く。
Mediocrity knows nothing higher than itself, but talent instantly recognizes genius.

この指摘を先ほどの枠組みに当てはめれば、天才は超一流、才人は一流ということになり、凡人は三流ということになるでしょうか。これを人選のエラーと出現率という問題として考えてみましょう。

確率の問題として組織論を捉える

ここから先は

2,537字
この記事のみ ¥ 500

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?