#031 ガースナーにみる「コンテキスト・リーダーシップ」のアート
書店のビジネスコーナーにはリーダーシップに関する書籍がたくさん並んでいますが、それらの本を眺めてみてこのように思われたことはありませんか?
ある本のタイトルには「鬼になれ」的なことが書かれているのに対して、ある本のタイトルには「仏になれ」的なことが書かれている。形式論理学を当てはめて考えてみれば、どちらかの本が嘘だということになるわけですが、さて著者名を見てみればどちらも高名な方でとてもペテンを働くようには思えない・・・ううむ、これは一体どういうことなのか、と。
率直に言って、経営実務やスポーツの世界で実績を挙げた人の書かれた「私のリーダーシップ論」というのは、ごく少数の例外を覗いて、ほとんど全てが「青年の主張」になっていると、僕は思っています。
なぜ、リーダーシップに関する論考の多くが不毛な「青年の主張」になってしまうのかというと、それらの主張が、コンテキスト(文脈)からリーダーシップを分離し、どのようなコンテキストでも通用する「普遍的な原理」としてそれを主張しているからです。
リーダーシップというのは文脈=コンテキストに照らし合わせて考えないと有効性の議論ができない大変相対的な概念で、チームメンバーの能力レベルや組織の置かれた状況が違ってくれば有効なリーダーシップのあり方も変わってきます。
例えば、優秀で動機付けされた部下が多数存在するコンテキストでは「ビジョンだけ示して任せる」というリーダーシップのあり方が有効である一方、未熟な部下が多く、組織の存亡が危機的というコンテキストでは「指示命令と信賞必罰」によるリーダーシップが望まれるでしょう。
最適なリーダーシップのあり方は、コンテキストに応じて変わる。この点を踏まえず、どんな状況でも通用する「伝家の宝刀」のように、一つのスタイルのリーダーシップを語ってしまうのは、大きな誤謬のもとになります
過去の歴史を紐解いてみれば、あるコンテキストで有効だったリーダーシップが別のコンテキストではさっぱりダメだったということがいくらでもある。
たとえばウィンストン・チャーチル。大英帝国のリーダーとしてヒトラー率いる第三帝国との戦いを導いた当時の英国首相ですが、第二次世界大戦が始まった当時、チャーチルは半ば政界を引退しており著作にふける日々を送っていました。
そのまま戦争が始まらなければ、ガリポリの戦い[1]で大失態を演じた海軍相として静かに歴史の表舞台から姿を消していたでしょう。つまり、大戦前の平時というコンテキストにおいて、チャーチルは時代という舞台で既に居場所を失っていたのです。
しかし、1939年にドイツはポーランドに侵攻し、イギリスはドイツに宣戦を布告。チャーチルは内閣に招かれて海軍大臣に返り咲くことになりました。この際、英国海軍が艦隊に「Winston is back=ウィンストンが返ってくる」と打電したのは有名な話です。その後、1940年には首相に任命され、自ら国防相を兼任して挙国一致内閣を率いて戦時指導にあたり英国を勝利に導きました。
しかし、チャーチルが類まれなリーダーシップを発揮したのはここまでで、終戦直前に保守党は労働党に敗れ、終戦を待たずにチャーチルは首相の座を去ることになります。つまりチャーチルは、リーダーとして連合国を勝利に導いておきながら、首相として終戦を祝えなかったのです。
その後、もう一度首相に返り咲きはしたものの、在任期間中の英国は衰退の道をたどることに終始します。戦時の政治リーダーに求められるのは「資源集中のアート」ですが、平時の政治リーダーに求められるのは真逆の「資源配分のアート」です。チャーチルは前者において歴史的にも類い稀なリーダーシップを発揮したわけですが、後者においては贔屓目に言って二流のパフォーマンスに終始しました。つまり「平時」と「政治」というコンテキストの違いで、求められるリーダーの資質や行動様式は全く変わる、ということです。
結局、チャーチルのリーダーシップは、1940年代の欧州において大英帝国を率いてヒトラーの第三帝国と戦う、という極めて限定的なコンテキストにおいてのみ存分に発揮されたものの、その前後においては有効に機能しなかった、ということです。
また、我が国に目を転じてみれば、阪急グループの事実上の創始者である小林一三が目にとまります。小林一三は、線路を敷くだけではなく、我々が現在当たり前のように利用しているサービスを大量に、しかも鉄道輸送を中核に統一されたシステムとして構想した人物です。
例えば、着物販売でしか使われていなかった月賦販売を住宅販売に持ち込んで郊外住宅というコンセプトを「発明」する、宝塚少女歌劇団(現宝塚歌劇団)をつくって休日の旅客需要を生み出す、果ては阪急沿線の豊中にあった原っぱを活用するために全国高校野球大会というシステムを構想して居住者以外の旅客需要を生み出す等、とにかく鉄道輸送が作り出す外部経済性をとことん取り込むビジネスモデルを生み出しました。
東大EMPの企画責任者で元マッキンゼー日本代表もつとめた横山禎徳氏は「なぜ小林一三のように自由な発想で、革新的な課題を設定し、それを解いてみせる迫力と気概とスケールを持ち合わせたベンチャービジネスの創始者が出て来ないのだろうか」と嘆息しています。
しかし、実はその小林一三が大学を卒業してから30代の半ばまでを過ごした三井銀行で「うだつの上がらないサラリーマン」に終始したことはあまり知られていません。左遷に次ぐ左遷を経て結局35歳のときに「三井にいても先は知れている」と、箕面有馬電気鉄道に身を転じることになるわけですが、小林一三自身が「耐えがたい憂鬱の時代」と述懐している位だから余程水が合わなかったのでしょう[2]。
あれほどの構想力と実行力を見せつけた稀代のアントレプレナーが、鬱屈したサラリーマンとして愚痴をこぼしているという姿はどうにも想像しにくいですが、これもまたリーダーシップは文脈=コンテキスト次第なのだ、ということの格好の証左といえます。
6つのリーダーシップスタイル
コンテキストによって求められるリーダーシップのあり様は異なる、ということは、リーダーシップには複数の側面があり、それらをコンテキストによって自由に使い分けられるのが最も有能なリーダーだということになります。では、そもそもリーダーシップのあり様にはどのようなパターンがあるのでしょうか?
僕が以前に所属していたコーン・フェリーは、1970年代から継続的に世界中のリーダーの行動を収集・分析し、最終的に「有能なリーダー=結果を残す人々」に共通してみられる行動特性として「6つのリーダーシップスタイル」が存在することを明らかにしています。
ここでは紙幅が限られるので個別のスタイルについての詳しい解説に省きますが、注意してほしいのは、一見すれば矛盾するようなスタイルが並列で記述されているという点です。
例えば「指示命令型」は、部下に対する即座の承諾と服従を求めるというリーダーシップですが、これは組織の長期的な方向性やありたい姿を示して鼓舞する「ビジョン型」とは正反対のリーダーシップスタイルです。
フランスの思想家、文学者のアントワーヌ・ド・サン・テグジュペリは「もし船を造りたいのなら、男たちをかき集めて森に行かせ、木を集めさせ、のこぎりで切って厚板を釘で留めさせるのではなく、海へ漕ぎ出したいという願望を男たちに教えねばならない」という言葉を残していますが、これは典型的な「ビジョン型」リーダーの主張と言えます。
一方、何らかの理由で喫緊に海にこぎ出さなくてはならない状態、旧約聖書の「ノアの箱舟」の様に、大洪水が起きて町が濁流に飲み込まれる、というような状況では「願望を教える」よりも、とにかく森に行って木を切って船を組み立てさせる「指示命令型」のリーダーシップスタイルが求められるでしょう。
つまり、あくまで適切なリーダーシップスタイルは、その文脈=コンテキスト次第で決まる、ということです。他にも、例えば部下に任せるよりもまず自らが率先して行動するという「率先型」と、部下の育成を尊重し信頼して任せる「育成型」は、正反対のリーダーシップスタイルと言えますが、人材資源に乏しいベンチャー企業であれば選択の余地なく「率先型」にならざるを得ない一方、人材資源が豊富にあって事業環境が安定的な状態にあれば「育成型」のリーダーシップスタイルが望ましいと言えます。
得意なスタイルを多用しがち
リーダーシップにはいくつかのスタイルがあり、時と場合によって最適なスタイルを使い分けることが必要である、ということは、リーダーシップスタイルというのはゴルフにおけるクラブの様なものだということです。ロングホールのティーショットをサンドウェッジで打つ人は居ないでしょうし、逆にバンカーでドライバーを振りまわす人も居ません。
ところがコーン・フェリーのこれまでの調査では、多くのリーダーは自分の得意なリーダーシップスタイルをどのような状況でも使いたがる傾向があり、6つのスタイルを時と場合に応じて柔軟に使い分けることが出来る「全方位型」のリーダーは全管理職の中で一割程度しかいないことがわかっています。
ちなみに日本の場合、全管理職のおよそ半分は一つ、あるいは二つのリーダーシップスタイルに依存していることがわかっています。しかし、かつてのように経済状況が安定的な時代ならともかく、現在のように事業モデルや経営環境がくるくる変わる世の中では、一つのリーダーシップスタイルのみに依存する「一本足打法」のスタイルでは多様な状況に適応することは難しいでしょう。
ガースナーによるリーダーシップ改革
優れたリーダーが状況に応じてリーダーシップスタイルを適切に切り替える。これを最も鮮やかに見せてくれたのが、IBMのターンアラウンドを担った際のルー・ガースナーだったと思います。
1993年、IBMが深刻な経営危機に陥った際、当時ナビスコのCEOだったガースナーは三顧の礼をもって瀕死のIBMのCEOとして迎えられます。当時のマスコミはこの人事登用のニュースに仰天し「IBMはついに狂ってしまった。ポテトチップとICチップの違いもわからなくなってしまったようだ」と揶揄したわけですが、ガースナーはここから見事なターンアラウンドをやってみせます。
まず、ガースナーは自らの手で財務分析を行い、IBMが債務超過に陥りつつあること、再生には一刻の猶予もないということを把握し、まずはキャッシュの流出を止めるためのリストラプランを作成に着手します。ガースナーはもともとマッキンゼーのコンサルタントですから、ものすごい職人技を持っているわけですね。
このリストラプランは「人員の削減」「事業の売却」「残存事業における価格の見直し」を主軸としたものでした。このリストラプランがまとまった段階で、ガースナーはIBM再生計画についての記者会見を一度行ったのですが、この際、参加した記者から「あなたの言ってるのはただのリストラプランじゃないか、経営者なら再生のビジョンを示してほしい」と詰め寄られます。
ここは本当に大好きなエピソードなのですが、この質問に対してガースナーは「いまのIBMは救急救命室に入っている瀕死の患者のようなもので、もらえるものであればなんでも欲しいというのが本音だ。しかし、要らないものもある。その筆頭が、あなたの言ってる「再生のビジョン」とやらだろうね」と言って質問を切って捨ててしまったんですね。つくづく、リアルに経営というものを背負っている人の言葉だと思います。
経営においてはビジョンが大事、とはよく言われます。僕自身もビジョンに関する書籍を出しているくらいですから、ビジョンの重要性についてはよく理解しているつもりです。しかし、物事には必ずコンテキストというものがある。膨大な量のキャッシュが流出している、まさに瀕死の重症患者のようなIBMにおいて重要なのは、まずはキャッシュの出血多量状態を抜けて、救急救命室から出させることです。経営のこともわからずに聞いたような口をヌカすんじゃねえこのバカチンが、という気持ちだったのではないでしょうか。
さて、このようにして波乱の記者会見を乗り切ったガースナーですが、このリストラ計画の立案と実行と並行してやっていたことがあります。それは、社内および顧客のキーマンへのヒアリングです。
ガースナーは、このヒアリングを実施するにあたって「顧客の話を聞いてみよう。我々が何をすべきなのか、一番よく知ってる人たちだ」という言葉を残しています。このヒアリングで、一説によるとガースナーは一万人を超える人々の話を聞いたと言われています。一年の稼働日数が250日としても、1日に40人ですから、ちょっと眉に唾したくなる数字ですが、いずれにせよ、ものすごい数の人々に会ったことは確かなようです。
そして、このヒアリングから極めて重大な示唆が得られます。それまで世の中でしばしば言われていたのは「IBMは巨大になりすぎてIT業界のスピードについていけない。いくつかの企業に分割してアジャイルな企業群へと変革すべきだろう」という論調だったのですが、さてどうか。
ガースナーはヒアリングから、次のことを明らかにします。
顧客企業はもはやIBMにIT機器の販売を求めていない
逆に求めているのは顧客企業が抱える問題をITの力で解決すること
IBMへ期待しているのはITのワンストップサービス
顧客が抱えるさまざまな問題をITで解決するワンストップサービス企業。これがIBMに求められていることでした。このような期待を顧客から受けている以上、会社を分割するなど愚の骨頂と言えます。会社を一体のものとして保つことで、競争相手にはない総合サービスが可能になるのですから。
このヒアリングをもとにして、ガースナーは「Eビジネス」という、まさに新しいIBMのビジョンを打ち出します。この時点でIBMの業績は既に大きく上向きに転じていたのですが、では次にガースナーは何をやったか。
彼は、IBM社内にガースナースクールを立ち上げ、これまでのモノ売りから、顧客企業の抱える課題をITで解決するサービス企業へとシフトするための人材育成に乗り出します。CEOの最終期には業務時間の過半を人材育成に充てていたと言われていますね。
さてここまで、就任からざっと5年ほどのあいだのガースナーの活動をサマライズしてみましたが、このリーダーシップの流れ、シークエンスが、先ほどお見せした「6つのリーダーシップスタイル」で綺麗に説明できることに気づきましたか?
IBMのCEO就任から4年ほどの期間をリーダーシップスタイルのシークエンスとして説明すると次のようになります。
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