アーティストという呼称
僕は最近、自分のことをアーティストの括りに入れて、まあアーティストとして話を進めることが多い。そこで気になるのが、世の中のアーティストの受け止め方だ。
「アーティスト」と呼称することをやや嫌う人がいる。僕もそれはすごくよく分かる。なぜなら、アーティストの基準が曖昧で、「理解したい」という人の基本的な欲望を完了させられないまま、連呼されるのでイライラするのだと思う。
そもそも「アート」が既に曖昧なのに、「ちょっと待って?アートの定義をまず――」と言いかけているうちに、その質問を遮って「ティスト」まで付けて話を進行しちゃっているのだから、カチンと来るのも当たり前だ。
例えば、世にあるたくさんの“スト”――例えばスタイリスト、ブッディスト、ピアニスト、エコロジスト、オプティミスト、ミニマリストや小百合ストまで入れても、ほぼ全て何の“スト”なのかはっきりしていて、ストレスではない。
セラピストはやや広すぎて曖昧な時もあるが、それにしてもアーティストは群を抜いている。
♦︎と、まずはアーティストという呼称そのものがイライラの原因だとしたが、本当のイライラの根源は、アーティストがアーティストではないからなんだと思う。
ただ、逆に言うと、その人たちを何と呼べばいいのかという新たな問題が発生する。
19世紀後半以降、異端なものをアートと言って喜ぶ風潮と同時に、変わっている人を全てアーティストにカテゴライズしてしまったのがいけなかった。
よって、本来「アーティスト」と呼ばれるべき正規軍は迷惑を被った形なのだが、アーティスト自体が大衆に深く理解されているわけではなかったので、その迷惑に対して誰もきちんと反対してくれず、アーティスト特有の素晴らしい寛容さで受け入れてしまった。その弊害がここに来て出ている気がする。
数十年前、カリフォルニアロールがアメリカで生まれた時、「カリフォルニアロールなんて寿司じゃねぇ!」って反対したものだ。
もしアーティストが寿司くらい大衆に認知されていれば、「アーティストじゃないアーティスト」はある程度の基準を満たすまで除外されていたに違いない。
♥︎では、「アーティスト」はそもそも日本語ではないので、その弊害もあるのでは?ということで、フランスの例を見てみることにする。
フランスでは、もう少し細かい職種で呼ぶ傾向がある気がするが、呼称が示す範囲には日本と大差ない。すごいアーティストには「いやぁ、彼は本物のアーティストだな」なんて形容詞を付けたり、ちょっと力の未熟なアーティストには「若い」という単語を付けたりするのが、わずかに日本と違うかもしれない。
ただ、大きく違う点があると感じる。それは、アーティストの地位とアートの捉え方だ。
その点の細かい話はまた別の投稿に委ねるが、簡単に言うと、フランスでは実利的な利益を盲目に追いかける概念が低い国なので、自然とアーティストが日本よりも本来のアーティスト像に近い。
だから、前述の熟練度に限らず、アーティストをアーティストと呼ぶことにあまり違和感がない。それから、日本ではアーティストが自由業だが、フランスには国が定めたアーティストの基準がある。
この2点が日本と大きく異なるため、フランスではアーティストが大体アーティストらしく感じられるのだと思う。
♣︎では、結局どうするのが良いのか。
法的なカテゴライズがない日本では、もう一度全ての人が「アーティスト」という言葉の本来の意味をちゃんと理解するべきだと思う。
辞書を引いてみると、アーティストとは、各文化によって少しずつ違いはあるものの、概ね「創造的な表現を通じて感情や新しいアイデアを伝える人」と言える。
どうやら「創造的な表現」「目に見えづらい感情や新しいアイデア」がキーワードになっているようだ。
そのようなものを伝えようと尽力する人だと考えれば、比較的腑に落ちやすいですし、その中に若い人や熟練者が自然と含まれていても違和感がありません。
ですから、むしろ無意味に崇めることなく、まずこのような意味を把握した「アーティスト」という概念を、みんなで共有することが大切ではないかと思います。
その上で最終的には「創造的な表現をしている人か、言葉になりきらないなにかや新しいアイデアを生み出す人か、あるいは伝えてる人か」を自分の目で確かめて決定すればいいのではないかと思います。
Photo ©️Toyama Mai