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「奇跡的な出会い」僕とジョルダン

昨年のアヴィニヨン演劇祭での公演「BLANC DE BLANC -白の中の白-」から、豊岡演劇祭での「動きは命の翻訳である」に至るまで、僕が使用しているジョルダン・チュマリンソンの曲について多くの方から質問を受けました。そこで、この奇跡的な出会いについて改めて記しておきたいと思います。


僕のここ数作品に使用されている楽曲はすべて、素晴らしい作曲者であり、何百回聴いても飽きることのない有能なピアニストでもあるジョルダン・チュマリンソン(Jordane Tumarinson)のものです。彼との出会いは、忘れもしないフランスのコロナ禍、ロックダウンの最中に起こりました。それは、結果的にコロナが僕らを引き合わせたと言っても過言ではありません。


警察が鋭い目を光らせ、外出も一切許されない、さすが中央集権国家と思わせるフランスのロックダウン。最初こそ「強制的に体を休める命令って悪くないんじゃないか?」なんて思っていましたが、数日も経つと嫌でも体が鈍り、動きたい衝動が湧き起こってきました。何か面白いことでもないかと所在なく窓から外を眺めると、いつもは賑わっていた日曜日の公園が嘘のように空っぽになっていました。昔漫画で読んだ、「謎の病の流行によって世界中かた突然人がいなくなる」さながらに、まさか現実にこんな風景が目の前に広がるとは思いもしませんでした。そんなことを考えながら僕の身体は、日曜日の目の前の公園には当たり前にいた人々を自然と描写し始めました。


ベンチで本を読んでいる僕に、スペースを空けるためにもう少しずれろと言うことになんの躊躇もないおじさん。「おい!日本の競馬は偉いな!儲けたお金は慈善事業に使われてるんだってな!」などと新聞の内容について意見を求めることもしばしば。思いがけず友人に遭遇することはパリあるある。フレンチキスを交わしては手を振り合う。いつもは邪魔なハトも、不思議なもので、いなくなってみれば寂しく思える。

そんなマイム遊びをしていると、その遊びの情景をぴったりと表すような曲が不意にパソコンから流れてきました。あまりに感じの良い曲に調子に乗った僕は、驚いたことにそのまま一気に最後まで作品を作ってしまったのです。動いたりしているとアイデアが生まれて、そのアイデアがどんどんと伸びていくことはよくありますが、粗削りとはいえ最初から最後まで作ってしまったのは、この曲があまりにもこの場面に合っていたからだと思います。

そのくらいに感じた曲ですから、興味は曲へ。早速どんなタイトルかと見てみれば、なんと「Ambiance Dimanche:日曜日の雰囲気」。日曜日をキーワードに入れていたので当たり前といえばそれまでですが、この時は興奮も相まって、偶然性に神秘的なものを感じずにはいられませんでした。


そうなると人間、欲が出るもので、この作品をSNSに載せて、同じようなロックダウンで閉じ込められている人々に見せたくなりました。ダメ元で作曲者のプロフィールを見ると、なんとフランス人ではありませんか。どうせ彼も部屋で悶々としているに違いないと思い、善は急げと彼に動画と曲をくっつけた映像を送り、SNSで流して良いかどうかを尋ねることにしました。程なくして返事が返ってきて、答えはyes。「こんな素晴らしい作品に貢献できて嬉しいです。どうぞ使ってください」と書いてくれました。

Jordane Tumarinson

それがきっかけとなり、後日、今度は逆に彼の方から、彼の新曲「Blague Cosmique(コズミックジョーク)」のビデオクリップを僕に依頼してきました。僕はその時たまたま舞台セットが組まれていた劇場で仕事をしていた上に、見ればそのセットが都合よく僕がイメージした曲の世界とぴったりはまっていたので、それと共に作品を作り彼に送ったところ、前に室内で遊びで撮った動画のようなものを軽く依頼したつもりの曲に、凄い予算をかけたみたいに出来上がったそのクリップを見て、彼は予想以上に喜んでくれました。それを見て彼はついにその次のアルバムの全曲のクリップを正式な仕事として依頼してくるに至ります。対して僕は、そのころにはもう全編彼の曲だけの舞台ソロ作品「BLANC DE BLANC -白の中の白-」を作り始めていました。このようにコロナ禍の中でコロナ禍のおかげで生まれた出会いが、お互いを刺激し合い、今日まで続いてきたというのが彼との出会いから今日までのお話です。


もう一つだけ、おまけみたいな話なのですが、僕がコンタクトを取った時、実は彼の本職は医療従事者でした。もともと僕は医療にとても興味があり、烏滸がましくもこの道に足を踏み入れた理由は「アートが医療的な役割を果たす」という大義によるものでしたので、あまり社交的でない僕が割と臆せずコンタクトを取ったのは、ロックダウンと特殊な状況による独特の連帯感みたいなものもありましたが、彼のプロフィールにある種のシンパシーを感じたせいもあるかもしれません。しかし、その彼が今はその仕事を辞めてプロの作曲家・ピアニストになりました。期せずして僕も、マルソーの学校を出て以来ずっと悩み続けていた自分の表現の長い長いトンネルを抜ける時期で、ようやく自分の作品に確信を持って臨めるようになったタイミングでした。


彼に詳しく聞いたわけではありませんが、「偶然が必然なのは、チャンスは準備をしていない者には訪れないからだ」というように、恐らくは二人のそれぞれのターニングポイントがこの時期に予兆としてあり、それが何らかのきっかけを待つだけとなっていたのではないかと思っています。その時にたまたまロックダウンというまるで台風の目の中のような圧倒的な静寂がやってきて、実行化する為の思考のトリガーを引き絞ったたのではないか思っています。

こうして僕たちは、未だに一度も直接会ってはいない間柄にも関わらず、かなり早い段階から自然とチュトワイエ(親しい間柄になると使う二人称)する仲であることが、現代のアーティストらしくて面白いです。


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奥野衆英はパリにいます
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