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オタク履歴書


推しメンから人生を募集されているので、
今までのオタク人生をまとめてみようの回です。



幼少期


・モーニング娘。



我々アラサー世代と切っても切り離せないのが
モーニング娘。”



世間のモーニング娘。黄金期ブームに乗っかり、なんとなくドルオタデビューを果たしてしまう。

当時は自分の中に推しメンという概念がなかったものの、強いて言うなら加護ちゃんや飯田さんが好きでした。

女児で加護ちゃんを好きになるのは自然の摂理みたいな所はあるけれど、飯田さんに目をつけてるの、今現在のドルオタとしての趣味の片鱗が見えまくってやがる…
性癖は持って生まれしもの。

全然覚えてないけど、CDが壊れる程親の車内でモーニング娘。の曲かけさせてたらしい。
厄介オタクすぎる… 今もだろ

モーニング娘。の鉛筆を買ってもらったり(1ダース分買い与えられ途中で飽きる)、ミニハムずの映画を見に行った記憶が蘇る。

つんく♂、ハムスターの気持ちまでわかるの冷静に考えてヤバ過ぎん?
ミニハムず愛の唄、神曲すぎるだろ…

そして、世間のブーム終焉と共に自分自身もモーニング娘。からフェードアウトしていく。



中学時代


・AKB48


小学生の頃はアイドルとは無縁。
今思うと一般人の走るレーンに戻る唯一のチャンスであった。
しかし良くも悪くも出会ってしまった“AKB48”。

俗に言う“ヘビロテ新規”。
(初めてCDを買ったのはBeginner)


私のドルオタ人生やその価値観の形成に一番影響を与えたアイドルグループ。

AKB48もあの頃のモーニング娘。のように、当時国民的アイドルへの階段を上り詰めようとしている最中で、全てがキラキラ輝いて見えた。

そもそも、現場に行くことことがずっと憧れだったので、アイドルって本当に同じ世界に実在するの?と思っていた。

地方在住で現場に行けず、なんでこんな田舎に住んでるんだと親に八つ当たりしたこともあるくらいド田舎に住んでいたので…

今でこそ現場に行くことができるようになったものの、あの頃のキラキラした気持ちはずっと大切にしていきたい所存。

私がAKB48を好きな理由は劇場公演があること。
片山陽加さん、松原夏海さん、野中美郷さん、
髙島祐利奈ちゃん…
私の推しメンは劇場公演を大切にしてるメンバーばかりで、そういう所から好きになりました。

初代B、初代K、初代高橋A
2期、3期、13期 好きだった…

AKBオタ後期は研オタで、最後の推しメンは髙島祐利奈ちゃんだったのですが、「自分の受験が終わったらやっと推しメンに会える…!」というタイミングで卒業発表されて、盛大に病みました。

齢18にして、他界というものを知る。

アイドル卒業後は雑誌(?)に掲載された程度で、
特に音沙汰なく、変に表舞台に出てこない潔さを見てやっぱりこの人を好きになって正解だったなと今でも思います。

未だに公演曲は大好きでよく聴く。
AKBの話したいです、本当に。(平成取り残されオタク)
これを見てる古のアケカスがいたら是非ツイッターかコメント欄にて連絡お待ちしています…(亡霊)



・アイドルマスター


そして、二次元界隈ではアニメから“アイドルマスター”という概念に出会うことになります。

やっぱ765ASなんよ。

こちらはまた後ほど…




高校時代


・Tomato’n Pine


推しの卒業で迷える一匹のアイドルオタク。
しかし世はアイドル戦国時代。

とにかく色々なアイドルさんがいたな、と朧げな記憶が…

当時のTwitterでAKBオタクのフォロワーが色々なアイドルに流れていく中、
私は“Tomato’n Pine”に出会うことになります。

トマパイは当時のメラメラしたアイドル界隈とは一線を画す、“戦わないアイドル”でした。



AKB48は好きだったけど、戦うことには疲れていたので、トマパイは確かにそこにあった楽園だったんですね。

結果としてトマパイは出会ってすぐ散開(解散)してしまったものの、濃く短く楽しませてもらいました。


・モーニング娘。 / ハロプロ研修生


ここでまた野良オタクになるわけなんですが、
トマパイ散開から暫く経ったある朝のニュース番組で、モーニング娘。の新曲MVが取り上げられてるのを偶然見ることになります。

「この曲めっちゃ良いじゃん!?」
「なんかかわいい子いるんだけど!?」




それが“わがまま気のまま愛のジョーク”であり、飯窪春菜さんとの出会いでもありました。

ここで、モーニング娘。と約10年振りの邂逅を果たすわけです。
続いていくグループってすごいね。

そして、永遠にモーニング娘。’14の亡霊です。
たすけて…



あと、ハロプロ研修生も応援していました。
この頃見ていたメンバーも、現役はあと2人…?


大学時代


・アイドルマスター シンデレラガールズ


高校時代の終わりに、無印に次ぐアニメ化作品となる“アイドルマスター シンデレラガールズ”が放送され、それと同時にモバマスとグリマスを開始。
よりアイマスの世界にどっぷり浸かることとなりました。

無印からSideMまで足繁くライビュ通い、現場も少し行ってました。
あの頃は若かった…



もうプロデューサー業は引退していますが、担当アイドルは安部菜々さんです。

どうしてもネタキャラにされがちなんですけど、アイドルに対する思いの強さやその真っ直ぐな人柄を見るとほっとけないというか…

17歳だけど大人で周囲を思いやる優しさを持つと同時に、不器用な生き方をしている彼女が好きでした。

UOをバキバキ折りまくってた



・アイドルアニメ


友達と当時流行っていた、映画“KING OF PRISM by PrettyRhythm”を冷やかし半分で見に行った結果、気が狂う。

Q.プリズムショーって、何?
A.プリティーリズム・レインボーライブを見てください。




あと、大切なことは全てアイカツ!が教えてくれた。




アイドルアニメを視聴することは健康に良いとされているし、寿命が伸びるって偉い人も言ってる。



・わーすた


大学時代後半はオタクにそそのかされて、
わーすたにハマってた時期もありました。
小玉梨々華の笑顔は世界を救う。

現場1回行ったことある筈なのに全く記憶が無い。
これが老化…なのか…

全然ボカロ通ってこなかった人生なんですけど、みきとPは神。
カルビアンビシャスしか勝たん。




大学卒業以降


・SANDAL TELEPHONE


1、2年は社畜過ぎて暫くアイドルとは無縁の生活を送ってました。

暫くして、全く知らないオタクの、
『AKBの公演曲っぽい』的な趣旨のツイートを
偶然捕捉し“SANDAL TELEPHONE”を知ることとなり、ライブアイドルという存在もしっかり認知するきっかけになりました。




Magic All Nightに見事どハマりし、ライブアイドル現場デビューを果たす。


確かBEYONDだったと思う
人生初チェキは小町さんでした(トリビア)


ライブハウスって怖いイメージあったんですけど、良くも悪くもコロナ禍のおかげで落ち着いた状態から慣れることができましたね…


・メロン記念日 / ハロプロ研修生


当時の職業柄、あまりライブに行くのは良くないなと自粛していた頃の話。

コロナ禍で暇だなーと思ってYouTubeを眺めていくうちにいつの間にか古のハロプロへの扉を叩くこととなり、気付けば“メロン記念日”鬼ハマり状態に陥っていました。



気絶してる間にライブDVDも全部持ってた。
本怖。

メロン記念日は、私が知る限りだとライブが一番上手いアイドルグループだと思う。

メロン記念日は本当に良い。
アップフロントは早くサブスク解禁しろ。

数年前の引っ越しでアイマス系のCDを大量断捨離した結果、アイドル系DVDが増えただけという意味の無さ。

鑑賞会開けるようなオタク友達が近所に欲しい。

この頃、現役のハロメンでは再びハロプロ研修生、特に現OCHA NORMAの前身である、ハロプロ研修生ユニット(米村石栗窪田斉藤の俗に言う研ユニ4)を応援していました。
あと、現Juice=Juiceの石山咲良ちゃんも好きでした。

そしてある日、Spotifyでいつものようにアイドルの曲を聴いていくうち、突然ランダム再生機能から、全く知らないけど何かめっちゃツボを押さえた良い曲が流れてくる。


・NUANCE(ヌュアンス)


そう、ここでやっと登場するのが“ヌュアンス”です。
本当に長かった…

一番最初に聴いた曲は忘れたけど、一番最初に好きになった曲はミライサーカス



でもヌュアンスのことは単独の記事で書きたいので、詳しくはまた次回にでも…


今思うと人生初ヌュ現場がKBSホールで、
このバックを背にして始めて生で聴いた曲がcosmoなの
あまりに贅沢すぎたよね、わかる

推しメンと初音ましてした日


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