憎め。殺せ。汝の母を!
私は幼い頃から母が憎かった。嫌いだったわけではない、ただただ憎かった。
母は私を虐待するようなことはなかったし、私に愛情を注がなかったわけでもない、と思う。母はおそらく世の母親がするように私を抱き、躾け、教育し、褒め、時には叱った。私が母への憎悪を初めて自覚したのは多分、幼稚園に入るより前だった。そのころはまだ憎悪などという言葉も、それがどういう感情かも理解していなかっただろう。
母の全てが憎かった。私に優しく語りかけるその声も、私を気遣って差し伸べてくれる手も、私がどんなにいい子かを町内の知人に自慢するその表情も、全部。だから私は自分の本心を隠しながら母に接するのにひどく苦労した。自分の抱くこの想いが決して誰にも悟られてはならない類のものだということは、なんとなく分かっていた。
そして今日、高校の部活から帰宅した私は夕食を作っていた母を包丁で刺した。母はひどく驚いた顔をして、その表情が苦痛と恐怖と困惑の入り交じったものに変わり、最期には「なんでこんなことを」と泣きながら力尽きた。周到な計画なんて無いけど、かといって突発的な衝動によるものでもない。「いつかやらなきゃ」とずっと思っていたことをやろうと思った、それだけ。警察へ通報すると私は自室のベッドに寝転んだ。
その時、不意に携帯電話が着信を知らせた。知らない番号からだ。
「……もしもし」
『もしもし?カナちゃん?偉い、ようやくやったのね!』
電話の相手は聞き覚えのない女の声。決して若くないその声はしかし、学芸会のビデオの中の私の声にどこか似ていた。
『いつまでかかるかなーって思ってたけど、さすがカナちゃん!やるときはやるいい子!私の自慢よ』
私が黙っていても電話の向こうの猫撫で声は途切れない。私は直感的に理解した。
私は、この女を殺さなければならない。
携帯電話を放り投げ、パトカーのサイレンを遠くに聞きながら私は家を飛び出した。
【続く】
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