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ニンジャスレイヤー二次創作:【デス・オブ・ザ・ライブリー・デイズ、……】

 毎朝、空が明るくなる前の5時には起床。既に目を覚ましている父のキリオと朝食を食べ、そのまま車で駅まで送ってもらい、ハイスクールの頃からバイトしていたコケシマートへ。接客と品出し作業で12時間を超える勤務を終えるとキリオが迎えに来る。すっかり暗くなって家に帰れば、そこからが一日で一番大切な時間。イアイ・ドージョーを運営するキリオとのトレーニング。

 これがツルタチ・ミズカのネオサイタマでのいつもの一日だった。

 12月。既に日は落ち、フリーリングの木板材から裸足の足裏に容赦無い冬の冷たさが染みこむ。広いドージョーの中に人影はミズカとキリオの二人だけ。それがより一層寒々しさを際立てた。ドージョーの中央に立つミズカは黒いハカマに白のケンドー・ウェア姿。癖のある黒髪を後ろで短く結わえ、腰に差した鞘に左手を添えて右手にトレーニング用の模造カタナの柄を握る。左手の親指を鍔にかける。

 親指で鍔を押し上げ右足を踏み出しながら鞘を引いて抜刀。その勢いのままに右上に斬り上げる。「イヤーッ!」さらに斜めに斬り下ろす。「イヤーッ!」

「イヤーッ!」「イヤーッ!」そのまま一連の演武ムーヴメントへと繋げ、納刀。正面のカミダナと、その下に立つキリオへ向かって一礼する。

「フム……」濃い紺色のケンドー・ウェアを着たキリオの表情は厳しく、刃を思わせる細い目は普段の優しい瞳とはまるで別人のように鋭い。一見痩身だが引き締まった筋肉と鋭い眼光はまさにイアイドのタツジンのそれだ。当然それは外見に限った話ではなく、彼のイアイのワザマエは数あるイアイドージョーの主の中でも頭一つ抜きんでている。彼はミズカにとってかけがえのない家族であり、同時に越えるべき大きな目標であった。

「まただな。剣先がブレている」端的な指摘だった。彼の目は誤魔化せない。「……ハイ」「何か気が散ったか?」「ハイ。その……」ミズカは目を伏せて息を吐いた。

「……あのヤクザ連中のことです、父さ……センセイ。あいつらのせいで、このドージョーが……!」悔しさでつい語気が強くなる。

 ほんの数年前、まだミズカがハイスクールに通っていた頃は、このドージョーにはもっと多くの門下生がいた。ジュニアハイスクール前の子どもからカチグミ企業に通うサラリマンまで、年齢性別問わず多くの人がキリオから剣の教えを請わんとこのドージョーに通っていた。キリオは一人一人の弟子をきちんと覚え、真摯に指導していった。ミズカにはそんな父が誇らしかったし、そんな父の娘として恥じぬ剣士であろうとした。

 状況が変わったのはミズカのハイスクール卒業が間近になってきたころだっただろうか。ジアゲの為にドージョーを潰そうとするヤクザが嫌がらせを始めたのだ。最初はドージョー入り口付近にたむろする愚連隊めいた連中が門下生や通行人に対しじろじろと不躾な視線を飛ばすだけだった。それが次第に威圧的なヤクザスラングを放ったり、ドージョーから帰宅する門下生を車でつけ回したりするなどの行為へエスカレートしていった。

 まず最初に女子供が不安がってドージョーを辞めた。それでも去らない者達はその家族が嫌がらせの標的にされた。その上脅迫まで行われたのか、一番の古株でキリオの信頼も篤い一番弟子が突然ドージョーを辞めると言い出すと、それに続くように古参の弟子達も次々とドージョーを出て行った。

「スミマセン、本当にスミマセン……! センセイ……!」「……いや、いいんだ。そちらの事情は分かっているつもりだ。これ以上お前達を巻き込むわけにはいかない」「……ハイ、アリガトウゴザイマス……! ゴメンナサイ……!!」「謝らなくていい。家族は大事だ……」

 去って行く彼らは誰もがみな心から悔しそうで申し訳なさそうで、でもどこかほっとしたような様子だった。仕方ないと思う一方で、ヤクザのやり方に屈した彼らに対する失望、軽蔑。ミズカの心のどこかにそんな気持ちがあったことは否めない。彼らが皆先輩として尊敬するに値する人たちだったのがまた辛かった。

 マッポに通報したところで状況は好転せず、気がつけばミズカが一番の古株になり、新しい弟子は入ってこなくなった。キリオはミズカにはドージョー経営のことは何も言わなかったが、資金繰りが取り返しのつかないほどに傾いているのは嫌でも理解できた。一度傾き転げ落ち始めたものを止める力はミズカにもキリオにも無く、門弟がミズカ一人を残して全員去って行くまでそう長い時間はかからなかった。残ったのは人数に対しあまりにも広いドージョーと使う者のいない備品の数々、そして各種支払いの催促の山。

 ミズカがハイスクールを卒業してそのままバイト先だったコケシマートに就職できたのも、ヤクザの圧力がまだ勤務先に及んでいなかったのも幸運だった。キリオはミズカの稼いだ金を受け取ることに難色を示したが、ミズカはこのドージョーに無くなってほしくなかった。父の築いたドージョーが、その誇りが、ヤクザの卑怯なやり方に屈するなど。だが彼女の稼ぎを充てたところで今更どうにでもなるものではなかった。

「……迷いがあるのは私とて同じだ、ミズカ=サン」キリオの声がミズカを回想からドージョーへと引き戻す。「だが、カタナを持つ時は常にヘイキンテキを保ち……」

「そんなのできないよ父さん! このドージョーが無くなるかもしれないのに!」気がつけばミズカは父に向かって声を荒げていた。無くなるかもしれない、ではなく無くなる。頭ではどうしようもないと分かっている。でも認めたくなかった。

「愚か者!」キリオが一喝した。ドージョー全体を揺るがすような力と威厳に満ちた声に思わず体がびくりと震える。

「カタナを持つことは人を傷つけ殺す術を持つということだ。カタナを持ったからには常に自分を制し律せねばならん。激情に囚われるな!」「っ! ……ハイ。スミマセン、センセイ」

 何度も聞いた教えだった。彼の教えるイアイは心ないものが用いれば誰かの命を奪うなど容易いだろう。故にキリオはカタナの扱いだけでなく、カタナを持つ際の心構えを説くことも軽視しなかった。だからこそキリオのドージョーは人心を集め多くの門下生がやってきていたのだ。ついこの前までは。それを思うとミズカの心は乱れた。見かねたキリオが今日の稽古の中断を言い渡すほどだった。

……


「……ミズカ。実際、もう潮時だ。もうこれ以上はどうにもならん」ドージョーに併設された母屋、リビングのテーブルに向かい合って今後を語る私服の父は、ドージョーにいたのと同じ人とは思えないほど疲れ、くたびれ、弱り切っていた。無理も無いことだ。連中の嫌がらせは現在も止むことなく続いている。リビングの窓は尽く割られ、ガムテープで継ぎ接ぎしたガラスの隙間から冬の冷たい空気が容赦なく吹き込んでくる。相手が未だ直接的な暴力に訴えてこないことだけが救いだったが、それもいつまでもというわけではないだろう。それでもミズカの心は納得していなかった。

「分かってるよ父さん、だけど……だけど……!」声が震え涙が溢れる。悔しくてたまらない。マッポは頼りにならず、自分は力になれない。大好きなドージョーがただ失われようとしているのを眺めていることしかできない。

 結局この日はもうそれ以上なにも手に付かなかった。ミズカは逃げるように私室に走り、布団を頭から被った。

 翌日の早朝、いつものように駅まで送ってもらう筈だったキリオの車は全てのタイヤがパンクしていた。危ないから仕事先までついていくなどと言い出した彼の提案は断った。正直一人では怖かったが、それよりもドージョーを長時間空けるとどうなるか分からないという不安があった。細かい雪が舞う中、ミズカは大急ぎで駅へと走る。始業に遅れたら即減給だ。

 近道するために狭い路地を突っ切るミズカの視界の前方、停車していた黒い車がエンジンを始動させた。それはそのまま発車し前方へと加速する。ミズカに向かって。

 運転席の男と一瞬、目が合った。ドージョーの前で嫌がらせをしていたヤクザのリーダー格だ。私を狙ってるんだ!

 気付いた時には車はもう目前に迫っていた。いくらイアイドーを鍛えたと言っても、狭い道をふさぐようにまっすぐ向かってくる車をパルクール回避できるような身体能力などミズカには無かった。

「ンアーッ!?」ぶつかってきた車のボンネットに撥ね上げられ、そのまま脇に投げ出される。全身に激痛が走った。どこかの骨が折れたのかもしれない。どこの? 分からない。このまま私は殺されるの? 嫌だ、嫌だ。誰か助けて。

 ミズカを撥ねた車が停車し、運転席の窓から身を乗り出したヤクザが侮蔑的な笑みを浮かべているのが血の滲んだ視界の向こうに見えた。車はそのまま走り去り、後には油の浮いた水溜まりの中、血を流し両足の不自然な方向に折れ曲がったミズカが一人、舞い落ちる雪以外に動くものの無い路地に残された。

……

「……心配させやがって……!」その日の夜、ミズカに面会しに病室へ入って来たキリオは開口一番にそう言った。他に人のいない簡素な個室、頭部に包帯を巻いた白い病院着姿でベッドから上体を起こしたミズカをきつく抱きしめる。

「よかった、本当によかった……!」「もう、大げさだよ父さん」ミズカはそう言ったが、本心ではとても嬉しかった。あのまま誰にも気付かれずに一人で父を残して死んでしまうのではないかと、それだけがひたすらに怖かった。

 数十秒抱擁してからキリオはミズカを解放し、簡素なパイプ椅子に座って深く溜息をついた。「……で、犯人はやっぱり……」「うん、ヤクザだった。絶対間違い無いよ」「……そうか」

「ごめんな、ミズカ。俺がさっさと連中の言うとおりにしなかったせいで、こんなことに……」「違うよ、父さんは悪くない! 全部あいつらが!」「それでも、だ。俺はお前を危険に巻き込んでしまった。相手が形振り構わない連中だってのは分かっていたのに……!」

 キリオは両肘を腿に乗せ、両腕で額を押さえて静かに涙を流していた。愛娘の姿を自分の目で確認した喜びと、愛娘を危険に晒した自責の念だろうか。それを見るミズカも辛かった。なんとかして元気づけてあげたかった。

「でも、大丈夫だよ父さん。私、本当に大したことは無かったから!」ミズカは努めて明るい声を出し、簡易ギプスに包まれた両足を布団から出してベッドに座る格好を取る。そのまま簡易ギプスをバリバリとはぎ取り、両足でベッドから立ち上がる。手では何も持たず、両足だけで体を支える。

「ミズカ……? お前、足折れたって……」キリオが目を見開く。「うん、そうらしいんだけど……なんか、治りがすごく早いみたい。ほら、もう歩ける!」ミズカは大きな笑顔を作り、そのままキリオの座る椅子の周りを歩いて一周する。骨折した足とは思えないほど体が自然に動いた。

「こら、無理するな!」「無理なんかしてない! 本当に、もう治ったんだって! それどころか体が軽くなった気分さえするの!」

 強がりや痩せ我慢ではなかった。撥ねられた直後に運良く通りかかった通行人の呼んだ救急車で運ばれてきた時点では、ミズカの足は完全に折れていたのだという。運ばれてすぐに手術を受けられたとはいえ、たった半日でここまで良くなる訳が無い。それはミズカ本人にもなんとなく分かっていたが、深く考えはしなかった。きっと手術をしてくれたお医者さんの腕がすごくよかったんだ。

 慌てふためくキリオを尻目に、ミズカは笑いながら部屋の中を歩き、ジャンプし、スキップし、その場で駆け足してみせた。その様子を見ていたキリオもつられて笑い出した。あんなことがあった直後だというのにこうして父と二人で笑い合っていることが妙に可笑しくて、それがまたミズカの笑いを誘った。思えば、こんなに笑ったのは久しぶりかもしれなかった。

 結局、ミズカは翌朝退院した。入院費は一泊分で済んだが、それでも救急車使用料や手術費を合わせるととんでもない額になった。加えて、無断欠勤した形のコケシマートからは解雇の通知がIRCに届いていた。それを確認したときにはさすがにミズカの明るい気持ちは吹っ飛んでいた。ドージョーに帰り着いたときには二人とも無言だった。

 相手はいよいよ手段を選ばなくなった。これ以上は本当に命に関わる。その現実がより一層二人の気持ちを落ち込ませた。

「……ミズカ」「うん、父さん」「道着に着替えなさい。……今夜のインストラクションは長くなる。覚悟しておきなさい」「はい、わかっています」

 みなまで口に出す必要も無かった。冷静を装う彼の声には堪えきれない悔しさと屈辱が滲み出ていた。このドージョーは、今日で終わりなのだ。

……

「イヤーッ!」「イヤーッ!」腕を狙うミズカの竹刀をキリオが縦に構えた竹刀で受け、そのまま横から頭を狙う軌道を描く。

「イヤーッ!」予想通りの反撃を強引に振り下ろした竹刀で下に払う。ドージョーの床に叩きつけられた竹刀が跳ねる勢いを利用し、キリオの竹刀が下から迫る。「イヤーッ!」咄嗟に一歩退くと、ミズカの眼前をキリオの竹刀が通り過ぎる。この機を逃すまいと、小さく振りかぶったほとんど突きのような一撃を繰り出す。……届くか。

 キリオの目線はしかとミズカの竹刀を捉えていた。しまった、と思った時には遅かった。

 ハカマに隠れたキリオの左足が僅かに右に動く。たったそれだけの小さなムーブで、狙い澄ましたつもりの一撃は半身に構えたキリオのすぐ真横を通り過ぎた。「……イヤーッ!」そのまま右足を大きく踏み込んだキリオの竹刀がミズカめがけ振り下ろされた。防御は……間に合わない。

 その竹刀がミズカの髪に軽く触れたところで両者の動きは止まった。「……マイリマシタ」ミズカは小さく呟いた。最後の手合わせの機会。父を超えることは、ついにできなかった。

「惜しかったな、ミズカ」キリオはミズカの頭をぽんぽんと右手で優しく撫でる。「父さん……私……!」「いいんだ、ミズカ。お前はこんなにも立派に成長したんだ。俺はそれが何よりも嬉しいよ」「私……わたし……っ!」「泣き虫だな。お前は昔からそうだった」「だって……だって……!」

 自分の胸に顔を埋める娘を優しく引きはがし、キリオは微笑みながら語りかける。「それにミズカ。まだ終わってないぞ」「え……?」「こっちへ来なさい」

 キリオがゆっくり向かった先には沢山の竹刀や木刀が壁に立てかけられている。今ではそのほとんどが使われていない。キリオはそれらの前を通り過ぎ、荘厳な刀掛けに安置してある二本のカタナを手に取った。普段使っているようなトレーニング用の模造カタナではなく、刃の研ぎ澄まされた本物のカタナだ。

「最後に真剣での演武だ。憧れてただろ」「いいの!?」「ああ。……どうせ、このカタナも手放さなきゃならなくなるだろうからな。最後に、本物でやろうじゃないか」

 二人一組で演じる演武は模造カタナで数え切れないほど練習したし、真剣での素振りだって何度か経験はある。だが真剣での演武は初めてだ。一度やってみたいと思っていたが、こんな形になるなんて。

 キリオは寂しげに笑いながら、カタナの一本をミズカに差し出した。ミズカは鞘に収まったカタナを両手で受け取る。見事な漆塗りの黒鞘に収まったそれを手に取った瞬間、どくん、と大きく心臓が鳴った気がした。

「……!」「ん? どうした?」「い、いや大丈夫。なんでもないよ」

「そうか? ……では、こっちに」キリオがドージョーの中央に立つ。ミズカも慌てて父と向かい合うような位置へ小走りで向かう。

「いいか、よく聞きなさい。今私とお前が持っているのは真剣、本物のカタナだ。人を傷つけ、殺すための武器だ」「……ハイ」「今からやるのはイアイの型の演武。お前に何度も教えた型だ。分かるな?」「ハイ」「何度も言うようだが、カタナを持つ者は常に自分を制し律する精神を持たねばならん。真剣を持ってそれを改めて学びなさい。それが私からの、最後のインストラクションだ」「……ハイ!」

 向かい合った二人は同時にオジギし、3歩前へ。タタミ一枚分の距離で足を止める。ミズカとキリオの視線が交わり、二人の右手が同時にカタナの柄を握る。

 初めて手に持にした訳ではないのに、握ったカタナはこれまで以上にしっくりと、まるで吸い付くように手に馴染んだ。カタナの先端にまでニューロンが行き渡るような、そんな奇妙な錯覚さえ覚えた。

 無意識のうちに体が動き、一瞬で抜刀する。一拍遅れて抜刀した父の目が細められた。

 カタナを構え向かい合う二人。キリオが大きくカタナを振り上げる。そして。「イヤーッ!」まっすぐにカタナを振り下ろす。型の決まった演武のこと、これに対しどう動くかは予め決まっている。……だが。

「……!」

 ミズカはすぐに違和感に気付いた。遅い。父のカタナの動きがあまりにも遅いのだ。否、カタナだけではない。視界の全てがスローモーションで動いている。カタナの軌跡がはっきりと見える。人体を頭頂から両断する振り下ろしの軌跡が。

 まるで何度も繰り返してきたことかのように、ミズカの体は無意識のうちに動いた。だがそれはキリオから教わった演武の型とは違っていた。

 すう、と摺り足で一歩下がる。カタナで受け止められると想定していたキリオの眉が訝しむように動く。ミズカにもなぜか分からなかった。ただ、自分に向けて振るわれる刃に対してどう対処すればいいのか、彼女には自然と理解できた。

「……イヤーッ!」先ほどまでミズカの頭部があった場所めがけゆっくりと振り下ろされるカタナに、横から叩きつけるように上段のイアイ。甲高い金属質の破壊音が響き、折れたカタナの切っ先がくるくると宙を舞う。ミズカはそれを半ば呆然と眺めていた。キリオの目が大きく見開かれた。そこにあるのは驚愕と……恐怖。怯え。ミズカに対しての。

「アイエエエエエ!?」

 こんなに情けない父の悲鳴を聞いたのは初めてだ。ミズカはまるでスクリーン越しに映画でも見ているような奇妙な心地だった。目の前のそれが現実の光景とは思えなかった。スクリーンの中では振り抜かれた自分のカタナが一瞬で納刀されていた。一連の動作はミズカの意図とは関係無く行われているようだった。

 右手に握るカタナの感触も左の親指に伝わる鍔の冷たさも、まるで現実味が無い。自分の中の誰かに動かされるがままに鯉口を切り、左手で鞘を引きながら右手でカタナを滑らせる。虚空に向かって何度も何度も繰り返したムーブ。泥めいて引き延ばされ鈍化した主観時間の中で、加速した刃が彫像めいて固まった父の首へ迫る。

 何、これは。私は何をしているの? ダメ、お願い。やめて!

 ミズカはなんとか自分を止めようとしたが、肉体の速さに対し混乱し思考が滞ったニューロンの指令はあまりに遅すぎた。カタナを振り抜いた姿勢で彼女の体はようやく止まった。

 宙を舞っていた切っ先が渇いた金属音を立てて落下し、続いてべちゃりと嫌な水音を立てて斬り飛ばされた頭部がドージョーの床に転がった。首の切断面から噴水めいて赤い血を吹き出した体はぐらりと横に傾き、倒れた。

 ドージョーの床に広がる血溜まりの生々しい鉄の香りが彼女の意識を引き戻す。スクリーンの観客から当事者へと。

「……父、さん?」思わず一歩後ずさり呆然と呟く。なにが起きたのか分からなかった。

 逃げるように視線を逸らすと横向きに倒れた生首と目が合った。大きく見開かれた目、悲鳴を上げたまま固まった口。その表情は愛娘に向けられるそれではなかった。理解を超えた、得体の知れない怪物に対する本能的恐怖の表情だった。

 その瞬間、彼女は唐突に理解した。自分はもうヒトではないのだと。たった一瞬で自分は怪物に変わってしまったのだと。そして……その一瞬の変化が、彼女のこれまでの努力を、父が生涯をかけて鍛え上げたイアイドを、無慈悲に塗り潰してしまったのだと。

 視界が突然色を失い、体温が冬の寒さよりもなお低く下がったように錯覚した。自らの実力で目標を超えることは最後まで叶わず、それどころか唯一にして最愛の家族を自らの手で殺めた。そのどうしようもない現実が、奇妙なほどに落ち着いた諦観と共に冷めたニューロンに染み渡る。

 ゆっくりと目を伏せ、ふぅ、と溜息を一つ。壁際にかけてあるテヌギーでカタナに付いた血を拭い鞘に収める。続いて折れた切っ先を拾い、死体が握るカタナに合わせるように置き直す。最後に死体に向かって手を合わせ、小さくオジギしナムアミダブツと唱えた。

 その時、彼女の第六感が敵意ある者の接近を告げた。ゆっくりとドージョーの入り口に目を向ける。

 「ザッケンナコラーッ!」CRAAAAASH!

 閉じられていたドージョーの扉が外から吹き飛ばされた。顔面に飛んできた蝶番の破片を、首を傾ける最小の動作で避ける。

「……オイオイ、あのオヤジの情けねェ悲鳴が聞こえて駆けつけてみれば……なんだこりゃ?」

 土足でズカズカと踏み込んできたのは、昨日彼女を撥ねたあのヤクザだった。口には恐ろしげな覆面を……否、メンポを装着していた。メンポにはバツの型に交差した二本のカタナのエンブレム。見たことのないマークだった。ヤクザは猜疑心に満ちた暗い目でドージョーを無遠慮に見回し、キリオの死体を確認し、最後に目の前の女を見ると、怪訝そうに眉根を寄せた。そして、凶悪なナックルダスターを装着した両手を合わせてアイサツをした。

「ドーモ、ヴァイオレイターです。その足、間違い無く潰してやったよな? それにその死体……テメェまさか……ニンジャになったってのか?」

 ニンジャ。その言葉がパズルのピースのようにニューロンの空白にピタリとはまった。

 そうか、私はニンジャなんだ。

 それを自覚した時、彼女には自分がどう返すべきか自然と理解できた。自分にはもう、かつての名前を名乗ることはできない。ツルタチ・ミズカのあの日々は、父と共にたった今死んだのだから。

「……ドーモ、ヴァイオレイター=サン。アパシーブレイドです」

◆◆◆

 そこでアパシーブレイドは目を覚ました。

 白い寝間着を着込んだ上体を布団から起こす。外のベランダに繋がる窓からは、不夜城のネオン光をうっすらと反射する分厚い雲が見える。12月の太陽はまだ昇っておらず、時計を見ると午前5時前。任務でもないのに自然にこの時間に目が覚めるのはいつぶりのことだったか。

 随分と懐かしい夢を見たものだ。今では夢を見ること自体がひどく珍しいことになったというのに、よりにもよってあの日あの時の夢など。ニンジャになってからというもの初めてのことだ。

 原因は分かっている。あいつだ。

 狭い仮眠室の枕元、あの時からずっと使っているカタナと共に並べられている小さなお守り袋を見やる。その中にはほんの一握りの白い灰が入っている。

 久しく結んでいない寝癖の残る黒髪をいじりながら、アパシーブレイドはそのお守りを手に取った。

【デス・オブ・ザ・ライブリー・デイズ、
リバース・アズ・アン・アパシー・ブレイド】終

あとがき

 以上、ニンジャスレイヤーTRPGで私が愛用しているキャラクター「アパシーブレイド」のオリジンエピソードでした。彼女が本格的に登場するリプレイ記事はこれを執筆した時点で以下の【ブレイズ・オブ・ソウカイヤ】しかありませんが、リプレイになっていないところでよく使用しているお気に入りで、今後も折を見て動かしていきたいニンジャの一人です。
 拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

◆アパシーブレイド(種別:ニンジャ) PL:しゅう
カラテ    7     体力   20
ニューロン  5    精神力  19
ワザマエ   15(17) 脚力   11
ジツ     8  
サイバネ:『▶ニンジャ動体視力(サイバネアイ読み替え)』
     『▶ソウル由来の健脚(ヒキャク読み替え)』『▷ソウル由来の健脚(ブースターカラテ・ユニット読み替え)』
装 備:『フルヘルムメンポ(生成)』『タクティカルニンジャスーツ(生成)』『*刃の灰*』
    『**無銘のカタナ**(カタナx2読み替え)』
ジ ツ:『★★★アーチ級ニンジャ第六感』『★★★共振装束生成』
    『★★★電光石火』『★★★半神的存在(『暗黒の神殿』による)』
スキル:『●連続攻撃2』『●連射3』『●疾駆』
    『●タツジン:イアイドー』『●ヒサツ・ワザ:ファイアフライ』
    『●グレーター・ツジギリ』『●チザクラ』『●●剣との合一』『●●連続攻撃+1』
    『◉不屈の精神』『◉殺人剣』
その他:『ニンジャソウルの闇(ワザマエ/非ニンジャの屑めが!)』     
    『暗黒の神殿(アジト施設、【ジツ】+1)』『*刃の灰*』:『レリック』【精神力】+1、『その他の行動』としてこのレリックの使用を宣言することで、【精神力】が1回復する(消費はしない)。
説明:???
◆忍◆
ニンジャ名鑑#XXXX
【アパシーブレイド】
寂れたイアイ・ドージョーのセンセイの娘にニンジャソウルが憑依。
憑依前から父からイアイのインストラクションを受けていたが、憑依時に自らの手で父親を惨殺してしまう。
最愛の家族と最大の目標を失った彼女はかつての溌剌さ、快活さを失い、無気力と虚無感に襲われ、堕落した。
◆卓◆

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