めざまし占い生活9日目:さそり座6位 猿のチョコボール
今日は1行目と2行目で矛盾が発生していないか?
「直感」が冴える日の割には「判断に迷うものは後回し」とは、これをどう読み解いたものか。
例えばランチをパスタにするかラーメンにするか迷った時、さらに自分の直感がパスタと告げているものの、6:4位の割合でラーメンが競っている時、直感を信じてパスタにするか、迷いがあるのでランチは後回しにするか、この場合どうすれば良いだろう。
いや、「直感」が働いている時点でパスタにすべきなのだ。「直感」が働かなかった場合、後回しにするということだ。つまりめざまし占いは優先順位が降順で並んでいると仮定できないだろうか。だとすれば本日僕の身に降りかかる全ての事象について、場合分けが必要となる。
ⅰ)直感が働いた場合→直感に従う
ⅱ)直感が働かない場合=迷いの状態→後回し
こうすれば整理できる。
ただこの論法には穴が2つある。
まず、場合ⅱにおける「後回し」が根本的な解決にならないことだ。上述の例で言うと、ランチを後回しにした場合、「空腹」という問題点は解決していない。更にいうと、「後回し」にするか否かという判断が毎瞬発生する。
つまり、
迷いの状態→後回し=問題の保留→問題を後回しにするかの判断→迷いの状態→……
というループに入る。村上春樹氏が「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の中で、永遠とは時間の延長ではなく瞬間の細分化の中にある、といった趣旨のことを書いていた(曖昧)が、まさしく閉じた永遠の中を巡ることになってしまう。
問題点はもう一つある。何かの本に、人間の意識は行動の後に付いてくる、という記述があった。例えばコップに手を伸ばす時、
コップを取ろうと思う→コップに手をのばす
ではなく、
コップに手を伸ばす→コップを取ろうと思う
という順らしいのだ。これは直感がどうとかいう前提が崩れてしまう。
我々にはほとんど反射と言ってもいいであろう体の行動を評価することしかできない。直感を信じるというのは、行動の結果を前向きに受け止めるということでしかない。何ということだ。これでは占いではなく自己啓発だ。
しかし僕は僕の自意識のパイロットとして、肉体に対するささやかな反乱を試みた。ランチにはパスタでもラーメンでもなく、幕の内弁当を選んだのだ。正直全く米の気分ではなかったが、食べてみると悪くなかった。僕はここで頭を抱えた。何ということだ。結局僕にできるのは行動の結果の評価でしか無かったということを自ら証明してしまった。結局腹が満たされれば何でも良かったのだ。きっと行きずりのセックスでも満足するのだろう。人間なんて火と言葉を操る猿だ。
ラッキー・ポイント「ナッツ入りのチョコ」。僕には森永のチョコボールしか思いつかなかった。久々に買って食べたら懐かしい味がした。パッケージの底のベル・マークも久しぶりに見た気がする。エンゼルは当たらなかった。飲み物も飲まずに一気に食べたら、喉が焼けるような感覚があった。ミルク入りのコーヒーがあれば良かったと思う。
今日の良いこと
・腰痛が少し改善した。
今日の悪いこと
・お腹壊し気味。
明日も良いことあるといいなあ。