小沢一郎の政党観
①新進党の結成
1994年に新進党が結成されたのも、こうした認識によるものである。この時点の2大政党の対立軸は、守旧派(55年体制の現状維持派)と改革派ということだ(小沢,1996,106‐108)。小沢は、基本理念を共有できれば、細かいところは個々の政治家が主張を変える必要はないと考えている。自民党のように、それぞれが「ウィング」を広げていけばいいのである。この小沢が「ウィング」を広げた結果、異なる主張を行ってきた政治家が1つの党に存在するという状況が生まれた。右も左も抱えるため結局は全てに「良い顔」をしなければならない。そうすれば政策にまとまりは無くなってしまう。そのまとまりの無さが、小沢の変貌として随所で取り上げられてきた。自民党では許されることであっても、離合集散激しい野党では、有権者に屁理屈として映ってしまったのである。
②新進党党首選における政策提言
1995年に、小沢が新進党の党首選に立候補するにあたって、いくつかの政策提言を発表した。その際の主張は『日本改造計画』で唱えられたものが中心であった。一方で大幅な減税(所得税・住民税の50%引き下げ、固定資産税の廃止)や消費増税の凍結(3%据え置き)、セーフティーネットの整備についても言及している。消費税に関して、小沢は著書『日本改造計画』の中で、消費税率10%への引き上げを主張している。また細川内閣では、税率7%の国民福祉税の導入を計画していた。それが、この党首選では増税は凍結され、減税ばかりを唱えたのである。この1つだけでも「小沢は変節した」と批判されたのであった。しかし、小沢にとって第一なのは国民の暮らしなのである。バブル崩壊後の景気低迷が続く状況の中では、いくら消費増税による財政の健全化が持論であっても、その旗を掲げるべきではないと判断したのだ。
③小沢一郎のセーフティーネット論
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