そもそも、なんで海外に行ったのか?
こんにちは、シュウです。
今回は、そもそも何で海外に行こうと思ったのか、またどうやって実現したのかを書いていきます。
最初に海外に行こうと思った動機に加え、昔話に少々お付き合いください。
私は、教師を始めてから働くって本当に大変なことだと身をもって知りました。それと同時に「30代になったら海外で働いてみたい」という夢を抱きました。おそらく海外赴任が多かった父の影響です。
そんな思いを温めながら、高校で2年間非常勤講師を勤めたあとに、中学校で1年間臨時的任用教諭として働きました。※今では常勤代替教諭というみたいです。
当初は、高校の教師になり、部活をやりたいと思っていましたが、中学校での臨時的任用教諭を経験して、多感な中学生が見せる変化や成長の大きさに面白さを感じました。そして、中学校の教員になることを決めました。
時が流れて、正規採用になってから5年がたった頃です。毎年、何が新しいことにチャレンジすると決めているのですが、その気持ちとは裏腹に、新しい企画や面白いアイディアが思い浮かばないマンネリ化した日々、アウトプットの限界とでもいうのでしょうか…
そして、ある日、総合的学習の時間で行ったキャリア教育の授業で、気づいてしまったんです。生徒たちに「どんな夢がありますか」とか「将来に向けて今できることは?」とか話している自分が一番、夢や将来に向けてチャレンジしてないんじゃないかって…。
そこで、私は「大人になっても自分の夢にチャレンジしたい」、「人としての成長がしたい」、また「そんな姿を生徒たちに見せたい」と思うようになりました。※これが海外に行く動機になりました。
次に、私は、海外で働くために、どうすれば実現できるのか調べました。調べた結果、教員である私には2つの選択肢がありました。
それは「在外教育施設派遣教員」もしくは「青年海外協力隊」になることでした。
しかし、この時には、既に次年度の在外教育施設派遣教員の募集は締め切られており、1年待つことが嫌だったので、青年海外協力隊になることにしました。
当時、教員が青年海外協力隊に参加するには、「現職参加制度」を利用するか「自己啓発特別休暇の取得」のどちらかでした。※現在は、少し現職参加制度の形態が違うようです。
折角の機会なので、学校現場から離れてみようと考え、サッカー指導の経験が活かせる業種を探しました。そこで新たに、サッカー指導の業種では現職参加制度の適用ができないことがわかりました。そのため、自己啓発特別休暇を取得することにしました。※当時、所属する自治体には前例がなく、校長先生と教育長に書類作成を手伝っていただきました。
書類作成や様々な手続きを経て、自己啓発特別休暇の取得が認められて、いよいよ青年海外協力隊への応募書類の作成に入りました。※正確にはほぼ同時進行で、青年海外協力隊になれなければ、自己啓発特別休暇は取り下げるといった感じでした。
応募書類には、希望の職種と任国(赴任する国)を書くのですが、実はエチオピアを希望に入れていませんでした。本当は、別の国(東南アジアの国)に行きたいと希望していたのですが、恵まれた体格のおかげ?で、アジアではなくアフリカになりました。※健康な体に産んでくれた母に感謝です。
正直、合格通知を開いたときに「派遣国:エチオピア」を目にして、…ん?どこ?と世界地図を開いたことを今でも覚えています。
自分の希望通りにはならなかったものの、晴れて青年海外協力隊となり、エチオピアに派遣されることが決まりました。
私が海外に行くまでの大まかな流れは、こんな感じです。これから海外に行きたいと考えている教員の方々や教員を志している学生の方々のヒントになれば幸いです。
では、また!
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