【連載小説】マザーレスチルドレン 第十四話 役立たずの黒服 【創作大賞2024漫画原作部門応募作】
「ヤマサキ先生、びっくりするじゃないですか! ……驚かせないでくださいよ」
その男はヤマサキという年齢不詳で、でっぷり太った体躯に顔は色白で丸々と膨れ上がっている。見るものにすべてに西遊記に出て来る豚の怪物を連想させた。先生というのはマスターがそう呼んでるので、皆もそう呼んでるのだが、どこの何者か、なにをしてるのかマスターも実は知らなかった。最近になって急にあらわれ今では毎日欠かさず顔を出すこの店の常連のひとりだった。
「そうだ、先生は、早い時間にきて、すぐにトイレに入ったきりでもう三時間はたってる……」笑いながらマスターは言った。
「ヤマサキ先生、三時間もトイレの中でいったい何やってたんですか?」
カジが訊くと、
「うん、ボクは……。ちょっと、しぇいくすぴあの四大悲劇が……。何だったか急に思い出せなくなって……。ここのトイレ借りてひとりで考えていたんだよぉ」
ヤマサキは、レコーダーを遅回しで再生しているような喋り方でそういった。
「三時間も考えてたなんて、そんなの携帯でネット検索すりゃあすぐにわかるでしょ。時間の無駄ですよ」
「そんなのはだめだよ、カジさん、自分のあたまでおもい出さないと。えーっと、ハムレットにオセロー、リア王、あと一つ。何だっけ」
「マクベス、じゃないですか先生?」
「おー、うん、うん、そうだった、そうだった。ハルちゃんはさすが、わかいからさえてるね」ヤマサキは、満足そうに何度も頷くと、ニヤニヤと微笑みながら鼻からずれ落ちかかった大きな金縁メガネ直した。そして真夏だというのになぜかしっかりと着込んでいる冬物のコートの襟を正した。
「あちゃー、先生すっかり整ちゃってるよ。でもなんだい即答だね、ハルちゃん、シェイクスピアとか読んでるの? みかけによらないね。───って悪い意味じゃないよ。まだ若いのにって事。最近の若い子は読書なんてしないだろ?」
「いや、カジさん。実をいうとボクもシェイクスピアなんて読んだことない。でもヤマサキ先生が四大悲劇の話した瞬間、読んだことのない本の内容が何回も読みこんでるみたいに頭に浮かんだんだ」
「何、そんな不思議な事ってあるのかよ?」
「うん、同じようなことは今までに何回かあるよ」
「へー、そいつはすごい能力なんじゃないか、ハルちゃん?」
「まあ、それが役に立った事はないけどね」
「あーあ、まざーれすちるどれんっていってたろ」
「先生、トイレの中でオレたちの話しっかり盗み聞きしてたんですね」
「あいつら子供をさらうらしいよぉ」
「何ですって! じゃあ外の奴らが狙ってるのはここの子供たちってことかよ、嘘だろ、えんせえぇ?」カジがすっとんきょうな声をあげる。
「まざーれすちるどれんは、さあ、汚染されていない子供の臓器を闇ルートにうりさばいてるんだって、ほら」ヤマサキはポケットから携帯電話を取り出すと液晶画面をハルトに向けた。ハルトは、奪い取るようにヤマサキの携帯を取り上げると食い入るように画面みつめ、しばらくしておもむろに顔を上げマスターを見て言った。
「これって……。どうやら先生の言うことはまんざらでたらめじゃないかも」
「それ本当かよ、どういう事なんだ? ハル、表のやつらが狙ってるのはやっぱりうちの子供たちってことか?」
「その可能性は高いね、このニュース、公正で政治的圧力を一切うけないことで有名なセンテンススプリング社のオンライン記事だから、ここにはあくまでも疑惑であって事実性の証明の裏付けはないって書いてあるけど、それは黒服に対するけん制であって絶対ウラはとってるよ。この情報の信憑性は高いとおもう」
「ふざけるな、あいつらにうちの子供たちを取られてたまるか!」
マスターは虚空にむけて叫んだ。
「マスター、レイコさんたちまだ戻らないけど、おかしくない?」
「そういえばやけに遅いな。仕方ないやっぱり黒服に電話するしかないな」
そう言うとハルトから取り上げたヤマサキの携帯で9629番に電話した。
───数回の呼び出し音のあと無常にも回線は一方的に切られてしまった。
「くそっ、ふざけやがって役立たずの黒服が!」マスターは怒りに震えいらだった声でいった。
「マスター、レイコさんに早く電話しないと」
「ああ、そうだな、レイコの携帯に電話してみよう」
マスターは、ヤマサキに携帯を返すと、カウンターの中に入り自分の携帯で電話した。
「レイコか、今どこにいる? 子供たちは一緒か?」
───あ、パパ。こんなに遅くなって……ごめんなさい。もちろんみんな一緒よ。心配させてごめんね。もう少しで駅前。あと十分くらいで帰りつくと思うわ。
「待て、まだ帰ってくるな!」
───なによ、急にどうしたのパパ、まだお店開けてるんでしょ? わけが分からないわ。雨が降り出す前にはやく戻りたいのよ。
「今は理由を話してる暇がない。取りあえず駅で待ってろ。すぐに迎えにいくから」
───なんなのいったい? お店はどうすんの。
「店のことなんかこの際どうでもいい」
───もう、なんだかさっぱり分かんないけど、じゃあ、そうね、駅前のロータリーの噴水のところで待ってるね。
「わかった、車ですぐに行くから絶対そこを動かないでくれよ、それと子供たちから絶対目を離さないでくれ」マスターは電話を切ると、壁の時計を見上げた。
「マスター、ボクも一緒に行くよ」
「そうか、わかったハル。じゃあ一緒にきてくれ」
マスターは棚に置いてあった車のキーをつかむ。
「すいません、カジさんと先生は店番たのみます」
「わかったよ、マスター、気をつけて。オレは先生と店番しとくよ、どうせ客来ないだろうけど、ねえ先生?」
「うん、ちゃんと、るすばんしとくよ、そしたら、ちょっとトイレにいってくる」
「えー、またですか? 先生…… 頼みますよ」
ヤマサキはトイレに入ってしまった。
「じゃあ、カジさんごめん、すぐに戻るから、それと棚のボトルは適当に飲んでくれてていいから」